すべてなるものである自分が生きていると、
許すとか許さないとかもなく、
何からも縛られていなくて、
ただ自由である、という感覚がある。
そこには、ただ自由がある。
すべてなるものである自分が生きていると、
つねに真我を生きているので、
人のことはまったく気にならず、自分に集中している。
集中“できている”という感覚すらなく、
ただ、自分自身を生きている。
人のことはまったく気にならず、
でも、すべての人とつながっている。
人類と、世界と、地球と、宇宙と、
自然と、動物と、植物と、鉱物と、
精霊と、霊魂と、聖霊と、賢者と、魔女と、
法則と、神と、無と、光と、闇と、善と、悪と、
無機物と、有機物と…
すべての存在とつながっている。
なにものからも解き放たれている。
それは、ドッグランで走り回っていた
ことあの姿が見せてくれていた世界。
大好きな人や、大好きなボールを
好奇心とワクワクに任せて ひたすら追いかける高揚感。
でも、そこからも自由である。
いつでも手放せる自由意思がある。
なにものからも解き放たれていて、
そこには、ただ、自由がある。
これが、愛である。