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江戸時代に於ける
學問の發達と
日本精神の振發 3
編著 小 林 隆
はじめに (概略) 2
このやうな流れで江戸時代の學問は進んで行き、
日本の國體觀は學問に依つて
確立されてきたのであります。
そして、これらを考えた時、
現代を重ねるのは決して難しくはありません。
例へば、文科省を初めとする
學校教育のよつて立つ學問は
江戸時代に於ける御用學問、
朱子學のやうなものと言へます。
何故、そのやうに云ふのか。
それは江戸時代に流れに於ける
官學則ち幕府主導による學問を
考へた時に明らかになるのであります。
それは外國思想を
中心とした學問に則つて
いま學校教育も行はれてゐるからであります。
國語をないがしろにし、
日本の歴史を外國の史書から
持つてきて自らの國の史書などは
採り上げやうとはしておりません。
東京帝國大学教授今泉澄氏は
次のやうに言つております。
「國語を無造作にあつかひ、
その正しい形を破り、
美しい姿を崩してはなりません。
我々の先祖は、
遠い遠い昔に於て、
實に規則正しく、
美しい言葉を使つてゐたのです。」
戰後、特にこれと相反する流れが
今の學校敎育で爲されて來たのであります。
これが今の世の憂ふべき姿を
作つた元となつてゐるのであります。
この流れを變へんとするならば、
學問による基本作りによつての
撰擇しかないとと私は思つてゐます。
學問即ち教育のみが、
今の世を正しい姿に戻すものであります。
政治を變へるには敎育によつてのみ
それが可能になるのであります。
最近頓に、若い方々は政治によつて
世を變へんと志す方が増えてゐるやうに思ひます。
しかし、政治によつて世を變へるのは、
國民の精神がしつかりと確立されない限り
不可能であらうと私は思つております。
精神がしつかりと確立するには、
教育や學問によつてのみ
それが築かれるのではないでせうか。
そして今、餘りにも日本の國民は
物事の眞理が見えなくなつて
しまつてゐるのではないでせうか。
また教育を政治によつて變へる。
こんな思ひを持つて
政治を行つてゐる方も
私の周圍にはおります。
しかし、私は考えるのですが
政治が教育の優位に立つてゐる限り、
敎育が變るとは思へません。
政治とは畢竟妥協の産物であります。
眞實や眞理が妥協によつて
歪められるのは目に見えてゐると
私は思ふのです。
今、最も求められてゐるものこそ
正しい歴史觀、
正しい國家觀に
立脚した學問の確立では
ないかと思ふのであります。
歴史を觀たならば、
その流れを重ね合わせられることが
非常に多いと思ふのです。
現代を江戸時代に重ね合はせたならば、
先程も申しましたが
文科省が推し進め管理してゐる學校教育は、
徳川幕府が官學として保護した
朱子學派になると思ふのであります。
この朱子學派は、漢學禮讃主義によつて
多くの有爲なる青年を育みました。
當然學問の世界に於ても
七割以上を占めて居たと思はれます。
これらによつて世に出た青年の
殆どが江戸時代の輿論形成者として
存在して居たと思ふのであります。
現在の世の中で言へば、
マスメディアやそれに關はる
ジャーナリスト共にあたります。
山崎闇斎や山鹿素行、荷田春滿ら
日本精神を訴へた學派は、
將に少数であつたと云へます。
しかし、その少数派と思はれた
日本的儒學、武士道學、國學によつて
歴史は動いたのであります。
現代に於て重ね合わせたならば、
少しずつ少数派と思はれてゐる
學問にも漸く光りが
當り始めたと云ふ程度かも知れませんが、
いつの日か必ずこれらの中から
世を變革する人物が現はれて來るに
違ひないと信じております。
そんな江戸時代の學問の流れについて
書いて行きたいと思つております。
次回に續く
ももしきの軒をしのぶにすがりても
露の心をきみに見せばや
眞木和泉守和歌
《歌意》
この國の御皇室の歴史にすがりつつ、草莽の臣である私の露の清々しい心を天皇樣にお見せしたいと思つてゐます。(小林解釈)