海を越えた国で日本や日本文化、そして日本語に
興味を持ってくれるというのはすごいことだ。
『英語が話せれば、世界○億人と話せる!』
『スペイン語が話せれば、世界○億人と話せる!』
『中国語が話せれば、世界○億人と話せる!』
というのはあるけれど、日本語は日本でしか話されていない言語。
だからそこに興味を持ってくれるというのはすごいことだ。
昨年夏、ロシアから21歳の女の子が我家にホームステイにやってきた。
彼女は日本のマンガやアニメが大好き。
それが高じて日本語を学び始めたという。
最近、この角度から日本に興味を持って
日本語を学んだり来日したりする人はすごく多い。
彼女は日本語を学び始めて2年。
短い文章で簡単な単語を使えば、問題なく通じる。
でも、ここでも例の「教科書日本語」との調整が必要になってくる。
「今日は本屋さんに行こう!」 と言っても通じない。
「今日は本屋さんに行きます」 と言えば通じる、といった具合。
私たちにとって、「行こう」と「行きます」は全然ニュアンスが違う。
「行こう」は誘ってるけれど、「行きます」は決定を伝えている。
意味合いが違ってくる。
日本人同士だったら、この状況であの言い回しは絶対にしない。
これに関しては、私たちと彼女が一晩一緒に過ごすことで築いた関係性で
補えたので問題はないのだけれど…
ネイティブとしては、気持ち悪い言い回しだ。
そしてもうひとつ。
気づかされたことがあった。
「何したい?」
「食べる?」
こういう言い回しが通じない。
通じないというか、自分に質問されているということを彼女は理解していなかった。
じゃあどう言えば通じるのか。
「あなたは何をしたいですか?」
「食べますか?」
つまり、「~か?」というのが日本語における疑問形だと学んでいるのだ。
だからこちらが「~か?」と言わない限り、
彼女は自分に何かを聞かれているとは思っていない。
これはすごく興味深いことだった。
というのも、私たちは普段の日常の中で、
この「~か?」という言い回しをほとんどつかっていないということに気づいたから。
もちろん公の場や、目上の方への質問となれば使っている。
でも、家族や友人との普段の会話において何かをたずねるとき
「~か?」はほぼ使っていないのだ。
「食べた?」
「いる?」
「行ってきたの?」
いや、それだけではない。
目上の方が相手の時ですら、そうだ。
「召し上がりました?」
「いらっしゃいます?」
必ずしも「~か?」と使わなくても、丁寧な表現は可能だ。
同年代の人にいつまでも「~ですか?」とばかり言われ続けると
この人、全然心を開いてくれないんだな~…と悲しくなってしまうくらい。
『日本語の疑問形=「~か?」』
この図式は間違ってはいないけれど。
間違ってはいないのだけれど…
使ってないんだなぁ。
外からの目が入ったとき、自分のフィールドの新たな気づきとなるのだとつくづく思った。
多角的視点、おもしろい。