オーストラリア滞在中、
現地の高校で日本語アシスタントのボランティアをした。
ある日、メルボルンの男子校で近々行われる日本語試験の
面接の練習相手をお願いされた。
「どういう風に進めるかは、本人達がわかってますので」
という、よくわからない説明を受け、私は面接官役となった。
面接練習に臨むのは、先生曰くクラスで一番日本語ができるという男の子。
生徒 「ぼくは日曜日にお父さんと○○に行きました」
私 「ああ、お父さんと出かけたの!」
生徒 「???」
私 「(…あれ?)」
困ってる。
生徒くん、ものすごーく困ってる!!
そこで私は、ちょっと言い方を変えてみた。
私 「あなたは日曜日にお父さんと○○に行きましたね」
生徒 「はい!」
すごくホッとした表情の彼。
うーん…、これは…
日本語学習者用の教科書を見たことがある方はご存知のことでしょうけれど
まず彼らは、「ですます調」から学び始める。
それ自体をどうこう言うつもりはない。
でも、はっきり言って、そこに載っている例文を
私たちネイティブ日本人が日常の中で口にすることは、ない。
9割方、ない。
日本語の会話は、前後のやりとりから主語が抜けることが多々あるし
敬語の使い方も、教科書に載っているものとはちょっと違う。
例えば友達同士の会話。
教科書ver.
「○○さん、私は図書館に行きます。あなたも行きますか?」
「はい、私も図書館に行きます」
「では行きましょう」
日本人ver,
「○○さん、私図書館に行くけど、行く?」
「うん、行く!」
「じゃあ行こう」
これはあくまで一例だけれども。
その時、私は怖いと思った。
もしかして、私たちが学んだ英語もこうなの…?
それはとてもとても、嫌だと思った。
通じるんだけど…
通じることはもちろん大切なんだけれども…
そこから学ぶことが、本当に最善なんだろうか…?