「「手紙屋」蛍雪編」(喜多川泰)
「何のために勉強するのか」をテーマにした本は、なんだかんだでこれまで結構読んだ。どの本も共感できる内容だった。
その中でもこの本は共感度が高く、勉強にとどまらず人生について深い考察をさせてくれる、いい本です。
ただ、大人になったいま読むから共感できるのであって、もし自分が中高生の頃、この本を読んだとして、どこまで勉強へのやる気が出るか? 少々疑問ではある。
人生経験を積んだからこそ共感できるという部分は、少なからずある。
とはいえ、自分も含めて大人はみんな「もっと勉強していればよかった」と思うもの。頃合いを見て、子どもに読ませてみようと思う。何かちょっとでも感じるものがあれば、1センチでも勉強に対するやる気が前進してくれれば、それでいいかなと思う。
以下、備忘
『勉強という道具は、自分をピカピカに磨いて、昨日とは違う自分になるためにある』
サッカーを習わせる親は、日本代表にするためではなく、チームワークの大切さ、努力を積んで選手に選ばれる喜び、仲間と共に勝つ喜び、負ける悔しさ、最後までやり通す忍耐力、人の失敗を責めない優しさ、教えてくれる人に対する感謝の心、こうしたものを身につけてほしい、それ以上に丈夫な子に育ってほしい、と考えているかもしれない。
『自分が生きる意味は、自分でつくっていける』
『自分は何のために存在するのだろう?』と若い人は悩む。
自分の存在理由は、いくつでもつくることができる。大切なのは、どんなに小さな役割でもいいから、磨き始めたらちゃんとそれを完成させること。何でもいいからひとつ、「自分は〇〇の役に立っている」と心から思えるものを。ひとつ完成したら、また別のものをつくる気持ちがわいてくる。そうしてどんどん自分の人生に意味を与えていく。
一度つくると決めたら、それでよかったかどうかは問題ではない。まずは完成させてしまうことが大切。一つの意味を手に入れたあとで、また別の何かを手に入れていけばいい。
『困難を可能にするのは「意志」の力』
自転車で日本を一周するとして、絶対に必要なものは何か?
体力でも、お金でも、食料やその他道具でもない。『絶対にやると決めたことを、最後までやり通す強い意志』。これさえあれば、お金や食料や寝る場所に苦労しようとも、最後までやり抜くことができる。
『成功するために必要なものは、方法ではなく行動』
「やらなきゃいけないこと」を「やりたいこと」に変えるために役立つのは想像力。たとえば、大学に合格したらどんな生活を送りたいか —— どんな友達と出会って、どんな服を着て、どんな授業に参加して、放課後はどこに行って、など。
しかし、多くの人が「想像しただけで実現する」と勘違いをする。書店に行けば成功本がたくさん売っているが、読んだだけで実際に行動する人はわずか。成功を手に入れるために必要なものは、ほんの少しのお金と、たくさんの行動。
勉強を一つの道具として見る
その道具の正しい使い方を考える
自分を磨くために使う
自分にできることを増やしていけば、自分の人生に意味が生まれる
意志の弱い人は、何も得ることができない
その意志の力を強くするために、想像力を利用する
家に帰ってから最初に座る場所で、人生は変わる
とりあえずできるようになってからが、本当の練習の始まり
「人」に興味を持つことによって「もの」を好きになることができる
親をはじめとする社会全体が、子どもの幸せを願うあまり、「自分の将来のために勉強しなさい」「自分の将来のためにいい大学に入りなさい」「自分のために〇〇を今のうちからやっておきなさい」と教えてしまっている。
子どもが幸せを手に入れる方法は「自分のために頑張ること」ではなく、「人のために生きること」。小さい頃からの夢を実現した人は「僕は将来〇〇になって、多くの人に幸せになってもらうんだ!」というように、人の役に立とうと思っていたはず。
人間は人のためにこそ、より強い意志を持って行動できるようにできている。これが人間のすばらしいところ。
「勉強」をして大成した人たちの共通点は、「世の中のためになる人になりなさい!」と言われて育ったということ。そして、そうなろうと努力して成功した。決して「自分が幸せになるためには、どうしたらいいだろうか」と考えて成功したわけではない。
『自分以外のだれかのために利用してはじめて、「勉強」という道具を正しく使ったことになる』、つまり『人に役に立つ人になる。そのために勉強する』。
「勉強を上手に使うとはどういうことか」という僕なりの考えが、
「その経験を自分という人間を磨くために使う」
「その経験を他の人の役に立つために使う」
ということ(実はこの二つは基本的には同じことなんです。どちらかを究めて達成しようとすれば、もう片方も自然に達成されますので・・・・・・)、大人のする広い意味での勉強であれ、受験勉強であれ、同じことです。多くの受験生を指導し、彼らのその後の人生を見てきた結果、今はそう考えています。