「ローマ人の物語 ハンニバル戦記 上」★★★★☆ | Jiro's memorandum

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「ローマ人の物語 ハンニバル戦記 上」(塩野七生)
 
 
塩野七生氏によれば、人間もシステムも時代の求めに応じて変化する必要があり、もし歴史を裁くとしたら、それはただ一つの理由ーーー時代の要求に応えていたかどうか、とのこと。
 
『ハンニバル戦記』は紀元前264年~133年、北アフリカの強国・カルタゴとのポエニ戦役からギリシャやシリアに及ぶ対外戦争が範囲。
知力では優れていたギリシア人なのに、経済力に軍事力にハンニバルという稀代の名将までもっていたカルタゴ人なのに、なぜローマ人に敗れたのか。
ローマ人が築きあげたシステムが、その真価を問われる機会であった、という視点にたつ。
 
 
 
ベンチャー企業が大企業に局地戦で勝利することはよくある。さらに、その勝利を足掛かりに大企業を完膚なきまでに駆逐し、大市場で主導権を奪ってしまうこともある。
 
こういう事例もまた、歴史に学ぶ、ということなのだろうか。。
 
 
 
塩野七生氏は「歴史はプロセス」派とのこと。結果を知るだけであれば、高校の教科書なら5行で終わるところ、『ハンニバル戦記』は文庫本で約600ページになる。多く書くのは、長々書きたいからではなく、プロセスを追っていくことではじめて、歴史の真実に迫ることも可能、と思っているから、とのこと。
 
ちなみに、その高校の教科書の記述はこちら。
 
イタリア半島を統一した後、さらに海外進出をくわだてたローマは、地中海の制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民都市カルタゴと死活の闘争を演じた。これを、ポエニ戦役という。カルタゴを滅ぼして西地中海の制覇をにぎったローマは、東方では、マケドニアやギリシア諸都市をつぎつぎに征服し、さらにシリア王国を破って小アジアを支配下に収めた。こうして、地中海はローマの内海となった。
 
 
以下、備忘
 
 
共和政ローマでは、軍の司令官でもある執政官に対し、いったん任務を与えて送り出した後は、元老院でさえも何一つ指令を与えないし、作戦上の口出しもしないのが決まりだった。任地での戦略も作戦の立案も、完全に執政官に一任されていた。敗北の責任を問わないのも、心おきなく任務に専念してもらうためでもある。また、講和を申し出るのも受けるのも、講和の条件を提示することからその交渉まで、執政官に一任されていたのである。
 
 
紀元前241年の改革による変化は、ローマ社会の中産階級化。市民集会で過半数を獲得するには、第一階級の票だけで充分だったのが、第一、第二、第三階級まで動員しないと過半数は成立しなくなった。より広範な市民の意志が、国政に反映するようになった。
ローマ軍団を構成する市民兵も、より広範な層によって構成されるようになり、軍団の指揮官たちに貴族・平民の差別がまったく存在しなかったことと並んで、ローマという国家の挙国一致体制の強化に有効に働くことになる。
 
 
何ごとにつけてもシステム化するのが好きだったローマ人、1日の最後にくる宿営地建設にいたっては、マニュアル化もここに極まれり、という想いになる。
ローマ人には、マニュアル化する理由があった。指揮官から兵から、毎年変わるのである。誰がやっても同じ結果を生むためには、細部まで細かく決めておく必要があった。
 
 
戦闘中の働きが充分でなかったり、早々に敵に背を見せたりした場合は集団の罪になるので、罰も軍団や隊全体に科される。
軽い罰は、配給される食料が小麦ではなく大麦(馬の飼料)になるというもの。最も重い罰は、集団で軍規に反した行為をした場合(総司令官に反旗をひるがえした場合)で、集団全体から10人に1人の割合で抽選で犠牲者が選ばれ、鞭打ちの後、斬首刑に処される。通称「十分の一処刑」。自分自身も同罪でいながら同僚を処刑する役まで努めさせられ、精神的にも残酷このうえない。
ローマ軍の軍規は厳しいことで知られていたが、公正に実施されることも有名だった。自分の息子を処刑させた執政官の話は、末長く語り伝えられた。
 
 
 
 
この連作の通し表題を、私は『ローマ人の物語』とした。だが、日本語の表題のラテン語訳には、歴史とか物語とかをダイレクトに意味する、ヒストリアもメモリアも使いたくなかった。所詮は同じ意味ではあるのだが、ジェスタエという言葉を使った。RES GESTAE POPULI ROMANI「レス・ジェスタエ・ポプリ・ロマー二」とは、直訳すれば、「ローマ人の諸々の所行」である。いかなる思想でもいかなる倫理道徳でも裁くことなしに、無常であることを宿命づけられた人間の所行を追っていきたいのだ。