「「すみません」の国 」 | Jiro's memorandum

Jiro's memorandum

泉治郎の備忘録 読書の感想や備忘録 ※ネタバレ注意
【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

「すみません」の国 (日経プレミアシリーズ) (日経プレミアシリーズ 157)/日本経済新聞出版社

¥893
Amazon.co.jp



★★★★☆



「すみません」はいろんな場面で使います。


例えば、「非を認める」時に使う場合、欧米では「正しさを競う」争いに負けること、日本ではその「場」の雰囲気を良好に保つこと、とかなり意味が異なります。

ちなみに、異民族の侵略を受けた国ほど、自分の過失を認めないと言う法則があるそうです。例えば、フランス、インド、アラビア、など。異民族との接触による悲惨な経験がない日本人はお人好しです。




本書によれば。そもそも、欧米と日本ではコミュニケーションの目的が違います。

欧米では、自分の意見や思いをできるだけ正確に伝えることが目的です。はっきりとストレートに表現します。意見が衝突するのは当然で、相手を説得し自分の意見を通すのがコミュニケーションのもっとも重要な役割です。

日本では、コミュニケーションは良好な関係を保つための手段です。意見や思いを正確に分かってもらおうと言うより、お互いの対立点をぼかして「何となくいい感じ」の雰囲気を醸し出す努力をします。したがって、あえて意見や思いをはっきり伝えず、曖昧な表現に終始します。自己主張は極力避けて、お互いの気持ちを結びつけることがコミュニケーションの重要な役割なのです。




コミュニケーションの量的な違いもあります。

アメリカは異なる文化的背景をもった人の集まりなので、お互いを理解するために積極的にコミュニケーションを行います。

日本は、生まれたときからずっとお互い顔見知りのムラ社会なので、顔つきを見ただけで分かり合えるため、言わないでも分かることをわざわざ話しません。




質的な違いもあります。

アメリカ人のコミュニケーションは浅いそうです。なんてことはない表面的な内容のやり取りを一見親しげに、ユーモア交えて話しますが、お互いのプライバシーには踏み込まず、一定以上距離が縮まりません。

日本人は、案外内面的なことを話したりします。「今日は無礼講でいこう」と言うシチュエーションもあります。




ただ、日本では、とても大事な政治問題が本音の議論ではなく「空気」で決まってしまうという問題があります。かなり困った問題です。