『神曲』地獄巡り3.三途の川アケロン大河 | この世は舞台、人生は登場

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近くて遠くは三途の川

地獄の前庭(Vestibolo: ヴェスティーボロ
 事なかれ主義者たちの地獄


 地獄の門をくぐり抜けたらすぐ、悪人全員が三途の川の渡し舟に乗って地獄本土に上陸できるわけではありません。地獄門と渡船場の間に、まだ「地獄の前庭」と呼ばれる場所があります。

地獄の前庭

 地獄の門を抜けるとすぐ、星明かりもない暗闇の中から、異様なため息や泣き声やかん高い叫び声が響いてきました。その騒音の先を見ると、猛烈な速さで旋回する一旒の旗の後ろを追って、無数の亡者たちが走っていました。そしてその全力疾走は、一瞬でも立ち止まることは勿論、スピードを緩めることさえ許されませんでした。そしてアブやハチに刺しまくられて、血まみれになって逃げ回っていました。この地獄の前庭にいる亡者たちはどの様な罪を犯したのか、とダンテはウェルギリウスに尋ねました。すると先達は、「この哀れな有様は、褒められたことも貶されたこともなく無気力に生涯を送った者たちの哀れな死後の状態だ」と教えました。すなわち、生前に良いことも悪いこともしなかった者たちは、死後に天国は勿論のこと地獄にさえ受け入れてもらえないのです。ダンテはこの様な「事なかれ主義」の考え方をする人間を最も嫌っていました。さらに驚くことには、人間だけにとどまりません。反逆天使サタンが煽動して天国で戦争が勃発しましたが、その時、神にも反逆天使にも味方しないで中立を保った天使がいました。神は、その優柔不断な態度を取った天使のことは反逆天使よりも嫌いました。それ故に、この前庭で事なかれ主義の人間と同じ処罰を受けさせました。※天国の戦争について詳しく知りたい方は、私のブログ「『失楽園』の物語」を読んでください。

 ダンテが「あれほど酷い罰を受けるほど彼らの罪は重いのですか」と尋ねると、ウェルギリウスが次のように説明しました。


「簡潔に話してあげよう。こ奴たちは死ぬことができる希望(原文はsperanza di morteなので「死に対しての希望」か?)もない。奴らの暗愚な生活は余りにも低劣なので他人のどんな運命にも妬みを持つ。世界はこ奴らの名前が残ることを許さない。慈悲も正義もこ奴らを軽蔑している。こんな奴のことは議論しないでおこう。見るだけで通り過ぎよ。」(『地獄篇』第3歌45~51、筆者訳)

 この地獄の前庭は、神からも神の敵からも嫌われて、地獄の本土さえ入れてもらえないほどの「くだらない連中(cattivi:カッティーヴィ)」で、本当の人生を生きてこなかった「たわけ者たち(sciaurati1:シャウラーティ、現代イタリア語ではsciagurati)が苦しめられている地獄です。


 三途の川アケロン

 地獄の前庭を、チラッと見ただけで通り過ぎますと、前方の微かな明かりの中で大河とそこで群がっている人だかりが見えてきました。そこは三途の川アケロンの船着き場でした。




ギュスターヴ・ドレ(1832~1883)の描いたアケロン川の渡し守カロン
船頭カロン

 アケロン川の渡船場に着いた時、老齢のために白くなった髪をした船頭カロンが、ダンテたちの方に舟を漕いで近づいてきました。カロンはキリスト教的登場人物ではありません。ギリシア・ローマ神話由来の人物です。さらに「三途の川」という概念もキリスト教には存在しません。ダンテの『地獄篇』の世界はギリシア・ローマ神話の世界なのです。キリスト教の純粋部品で『神曲』の地獄を形成することも可能です。天国の戦争の時に敗れた反逆天使だけで地獄を支配させれば良いのです。しかし、アケロン川の渡し守カロンを初め、地獄の要所要所の支配者または管理者のほとんどは、ギリシア・ローマの神々や怪獣たちです。すなわち、ギリシア・ローマ神話の世界でキリスト教的罪を犯した罪人が罰を受けているのです。間もなくこの先の第二圏谷で登場する地獄の裁判官ミノスや第三圏谷にいる地獄の番犬ケルベロスやその圏谷の出口にいるプルートンなど、地獄を牛耳っている悪魔たちは、ほとんどがギリシア・ローマ神話由来のキャラクターたちです。

 三途の川の船頭カロンは、亡者たちを次のように怒鳴りつけました。

 「貴様ら、悪党どもの亡霊に災いあれ!天を仰げるなどとゆめゆめ望むな。わしは貴様らを永劫の闇の中の、酷熱氷寒の岸辺へ連行するために来た。」(『地獄篇』第3歌84~87、平川祐弘訳)

 ところが、生きているダンテを見付けると、次のように命令しました。

 「そこに立っているおまえ、生きているな、ここにいる死んだ奴らから離れておれ。・・・ 他の道、他の港を通って浜辺に来るがいい、ここを通すわけにはいかぬ。おまえにはもっと軽やかな舟の方がお似合いだ。」(『地獄篇』第3歌88~93、平川祐弘訳)

 カロンが示唆した「他の道」と「他の港」とは煉獄に通じる経路のことです。三途の川を渡る亡者は地獄へ搬送される悪人たちで、天国へ昇ることができる善人たちは煉獄経由で送られます。カロンが「もっと軽やかな舟の方がお似合いだ」といっているのは、ダンテは地獄へ堕ちる運命にはないことを預言しているのです。
 地獄へ堕ちることになっている亡者たちは三途の川の岸辺に集められ、カロンが真っ赤に燃える炭のような目でにらみ付けて舟に乗せていました。地面にしがみついて乗船を嫌がる者は櫂で殴りつけました。


 この場面を描いた有名な絵画の2作品を紹介しておきましょう。ギュスターヴ・ドレ(1832~1883)の描いた作品(上)は、乗船を嫌がっている亡者たちを描いたものです。一方、ミケランジェロ(1475~1564)の作品(下)は、システィーナ礼拝堂主祭壇の『最後の審判』の一部分で下船を嫌がる亡者を描いたものです。
三途の川の乗船場面

アケロン下船場面

 ダンテの『地獄篇』の三途の川の光景は、彼が『神曲』の先達役に抜擢したローマ詩人ウェルギリウスの『アエネイス』を参考にして形成されています。その『アエネイス』の中では、カロンは次のように描写されています。

 「この(アケロン川)の水と川の流れを守る恐るべき渡し守がカロンで、恐ろしいほどに見苦しく、顎の先いっぱいに手入れもせぬ灰色の髭が生えている。目には炎が燃え立ち、薄汚れた外套を肩に留め結んでいる。この者がみずから船を棹で動かし、帆を張って操る。死者を黒錆色の小舟に乗せて運ぶのだ。すでに年老いているが、神にすれば、この老年もまだ青臭く、初々しい。この者へ向かい、群衆のすべてが岸辺へと一目散に押し寄せていた。母も、夫も、命をまっとうして、いまは亡骸となった雄々しい英雄たちも、少年たちも、嫁ぐ前の少女たちも、親が見守る面前で火葬の薪に乗せられた若者たちも。」(『アエネイス』第6巻299~308、岡道男・高橋宏幸訳)

 ダンテが描くカロン像は、ウェルギリウスの作品から採用しています。当然、ローマ神話の宗教では、良い者も悪い者もすべて、男も女も老若とわずすべて、英雄も凡人もすべて、この舟でこの川を渡ってあの世へ渡ります。しかし『神曲』の中では、アケロン川を渡るのは悪人だけで、善人は別の経路を辿ります。(別経路の詳しい行程は『煉獄篇』で見ますが、概略を早く知りたい人は、私のブログ「『神曲』の見取り図」を見てください)

 ダンテは、善人として分類されたので、カロンの舟には乗せてもらえません。かといって、「他の道」へ回るためには、この世に戻らなければなりませんので不可能です。では、どの様にして三途の川を渡ったのしょうか。『神曲』の世界は超現実世界ですから、この世の基準では推し量れない障害があります。ダンテにとってもその障害を突破する方法は見付けられなかったようです。冥界訪問中に、カロンのような何人もの強敵が現れます。その時は先達ウェルギリウスが、「ダンテが進むのは《神の御意志》である」と言って相手を黙らせます。そして、このアケロン川のように渡ることが不可能な場所では、次に描かれているように昏睡状態になります。

 「涙に濡れた大地は一陣の風を発し、風は真紅の稲妻を飛ばし、その稲妻は私の五官を奪った、私は昏睡に落ちた人のようにばたりと倒れた。」(『地獄篇』第3歌133~136、平川祐弘訳)

 ダンテは、気絶している間に三途の川アケロンを渡りました。そして向こう岸に到着してから目を覚ましました。そこは地獄の第1圏谷でした。次回はそこで目覚めたところから話し始めましょう。