北海道旅行その2(摩周湖・硫黄山…) | 乳がんサバイバー5年め年金生活突入です

乳がんサバイバー5年め年金生活突入です

今思えばコロリン達夫婦は小学校の教科書に載っていた「蟻とキリギリス」のキリギリス生活を送っていたのだと年金生活になってやっと気がつきました
トントンの生活習慣病は自覚無しの危機的状況、コロリンは乳がんサバイバー5年目
現在節約生活頑張ってます

こんにちはヾ(@°▽°@)ノ

訪問ありがとうございます




日が暮れるのが早くてヽ(*'0'*)ツふと気が付くと

太陽に置いてきぼりされているこの頃です


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『フォトライブラリー』と言うサイトに
写真を登録して売れれば老後の生活の足しに
なるかもしれないと欲をかいて
これ迄に撮りためた写真が入ったSDカードを
引っ張り出し目ぼしい写真を探していたら

SDカードに眠る旅の記録が次々飛び出してきました


折角ブログをやっているので是非思い出を

書きとめようと北海道旅行から始めたのに

№1を八月に書いてやっとNo.2に進んだ

のんびり屋ペースです



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コロリンは40年前

まだ22歳の時28日かけて北海道を周遊しました
しかしその時の旅で遺恨を残しました


コープのチラシの束に入っていた格安旅行案内は
遺恨を全て解消できるコースでした


それがなんと三万円弱なら行くっきゃありません!

と出かけたのでした


一緒に行ったのは勿論トントン(旦那)です
何年経っても呆れる程に側にいるトントンです

コロリンの遺恨とは
① 摩周湖が霧の摩周湖で何も見えなかった
② 層雲峡で発熱して観光出来なかった
③ 札幌時計台が改修工事で幕がかっかていた
事でした


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一日目は千歳空港から観光バスで十勝平野と
足寄を通り阿寒湖で宿泊しました



ここからが今回のお話です


阿寒湖の水辺の旅館で泊まり朝早く起きて
朝霧に包まれた湖畔を散策しました
11月の連休中の北海道は雪はありませんが

ダウンコートを着ていても冷たい朝でした




湖は薄いベールを纏い遠い景色は幕に隠され

波は静かに息づいて水鳥たちが優雅に泳いでいます



観光船が霧の中で出港の時を待って休んでいました



旅館の前の広場は散策の小径の入り口にあたり
そこには『弁慶の足湯』がありました



弁慶が旅のなかで疲れを癒したと伝えられる
源泉掛け流しの霊験あらたかな足湯です



早速コロリンは靴下を脱いで足を湯につけました

ほんわかいい気持ちです

誘ったのにトントンは靴下を脱ぐのが面倒なので

はいりませんでした


そこでコロリンの疑問が解けました
何故『弁慶の湯』だけで『義経の湯』では
無いのか…?
弁慶は裸足で義経は足袋を履いていたから
足袋を脱ぐのが面倒だったからかもしれないと

(個人的な感想です)


その朝の食事です

コロリン達の歳には調度良い食事です



朝食の後いよいよ摩周湖に向かい出発です



雌阿寒岳、雄阿寒岳、そして摩周岳が見えると
バスガイドさんが
「摩周湖は気まぐれですから見えるかしら?
晴れていても湖面に霧があるかもしれません
行って見てからのお楽しみです」
とみんなを心配させます

でもコロリンのスマホで見る摩周湖情報カメラの
ライブ映像ではしっかり湖は見えてます
だからガイドさんに言おうとしたら
「皆さんに教えないで下さいね」
と囁かれ無視されました


駐車場からバスガイドさんの振る旗に付いて
湖の見える丘へ登るとそこには念願の
摩周湖が雲ひとつない青空の下で悠々と
輝いていました



四十年前は霧に閉ざされ何も見えなかったので

ヾ(@^(∞)^@)ノ感激でした


トントンは
「いつ来ても摩周湖は綺麗に見えていた」
と自慢して羨ましがらせていましたが
それからは
「トントンは晴れの摩周湖は見ても

霧に隠れた霧の摩周湖をみてないでしょ
コロリンは見てるからコロリンの勝ちだよ」
と自慢してます

バスガイドさんが言いました
「未婚の女性が初めて摩周湖に来て
摩周湖が見えると縁遠くなると云われています」

そうか前回摩周湖が霧に包まれていたから
コロリンはトントンと結婚できたのか…
つくづく説得力ある言い伝えだと思いました


次にバスに揺られ硫黄山に向かいました

近くには硫黄山を源泉とする川湯温泉があります


バスを降りると独特の硫黄の匂いが漂い
先にはゴツゴツした岩山が広がっています



岩の彼方此方から水蒸気が上がり

湯気でモクモク湧き上がり地面の下の

地球の力強さを垣間見せます


岩の間からプクンプクンと湯が湧き出してきます


ここに来るまでのバスの中ではガイドさんが

通行する道路の建設の話をしていました

明治時代ロシアの侵攻を恐れ

オホーツクから網走まで交通網を至急整備する

事が必要になりました

その頃極寒な地の山を切り開く工事は難しく

民間に頼めば高額になり当時の政府はそれを

網走刑務所の受刑者に担わせたそうです


その工事は悲惨で過酷なものだったそうです

詳細を中央道路を走行しながら見事に語る

バスガイドさんの語りは真に迫り

囚人が鎖をかけられ何度も倒れ息絶える

その壮絶な姿が道路の彼方此方に見えるような

気がしました

ここ硫黄山でもマッチの原材料に使う

イオウ採掘の為に網走刑務所の囚人が
使われて多くの命を落としたそうです

次に行く網走刑務所の博物館では

そのさまざまな作業の詳細を学ぶことになります


続くです