新富町一丁目 榎会囃子連居囃子 喜多院のだるま市に合わせて | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

1月3日といえば、川越大師喜多院のだるま市。

元旦、2日と初詣で街に人が溢れる川越ですが、だるま市の日は別格です。

遠方から来られる方も多く、西武新宿線本川越駅からは始終人の流れが出来、

喜多院へ続く波が途切れることがありません。

その3日に合わせて、本川越駅近くの小江戸蔵里で開催されている新春にぎわい市は、

広場に食べ物の屋台が並び、ベーゴマ体験、

川越らしい川越唐桟を使った手作り小物の販売などで賑わっていました。



そして、この広場には新富町一丁目の山車蔵もある。

この日は山車蔵から家光の山車が表に出されて姿を現し、

新富町一丁目の榎会囃子連の方々が山車に乗ってお囃子を演奏しています。





10時くらいから新年初囃子が始まり、榎会の子どもたちが元気良い演奏を響かせていました。

甘酒を飲みながら、正月に聴くお囃子は格別です。

曲は軽やかなニンバ。

通りには、手にだるまをぶら下げる人、破魔矢を手にしている人、

あるいは観光の方が長いふ菓子を持っている方が行き交っている。

足を止めては、「立派な山車だね」と見上げ、お囃子の音色に聴き入っていました。


この正月、新富町一丁目の榎会囃子連は、

実はこの日の前日、1月2日に画期的なことをやってのけています。

新たな歴史を作ったともいえるもので、

それは東京駅に招待されて構内を囃して廻り、各店に入り込んで演奏して回りました。

いわば、東京駅内の門付のようなもの。


2014年12月20日に開業100周年を迎えたJR東京駅では、

昨年からさまざまな記念イベントが続いていて、

『・東京駅開業100周年記念Suica発売
・東京駅開業100周年記念 Suicaで行こう!買おう!わかるかな?鉄道の歴史クイズラリー
・期間限定で東京駅開業100周年記念グッズのイベントショップが登場
・「あるこう!東京駅~日本橋 百年散策」開催

・山手線ラッピングトレインが走ります!
山手線にて開業当時の東京駅と、現在の東京駅の姿を並べ、
車体を赤レンガ色にラッピングした記念車両を運行します。』

その中の一つに、川越の囃子連、新富町一丁目と大手町が招待され、駅内を演奏して廻った。

「東京駅は凄い人出でした。それでも、お囃子が通るとみんな道を開けてくれて、

演奏を聴いてくれました」

と振り返る榎会の方。

東京駅で川越のお囃子、川越の音楽が奏でられたことが快挙です。

歴史に新たな1ぺージが加わりました。


3日の山車の上では、途中人が変わり、別の子どもたちが曲を引き継いでいきます。

この日は子どもたちの演奏が多かった。榎会の方が話します。

「今日は、子どもたち中心に演奏してもらう予定です。

本祭(川越まつり)に出られなかった子もいるし、こういう機会に経験してもらいたい」

実際に山車の上で演奏すること、

ニンバという囃子のリズムのベースとなる曲を繰り返して体に染み込ませること、

なにより、人前で演奏することが変え難い経験となっていきます。

居囃子は、その名の響きから分かる通り、

山車が動かずその場に居て演奏すること。


山車に乗って動いている上で演奏していると、沿道の人たちは左右にどんどん流れていきますが、

居囃子では通りの人が足を止めて見入るので、

見られる緊張感が実は川越まつりよりあるという。

こういう緊張感が囃子の音を研ぎ澄ませていきます。





榎会囃子連では、40年以上囃子に携わっている方から、最近入った子どもたちまで、

たくさんの人たちが自分たちの地域のお囃子を練習しています。

練習は毎週土曜日、クレアモールにある自治会館で行っている。

火曜日の自主連も合わせて、熱心に練習している囃子連です。

大人が30人ほど、子どもも10人以上が入っていて、

川越まつりや正月3日の居囃子をはじめ、年間を通して演奏しています。

榎会囃子連には小学4年生から入ることができ、

そこから高校生までずっと続けている人も多い。

子どもたちを応援している親御さんたちは、

「囃子連のような幅広い年代の中に入っていって、

一緒に練習することは大事なこと」と話しています。


何世代もの人で集まった大家族のような雰囲気で、年上の人に教えてもらい、

子供たちは礼儀正しく育っていく。

「4年生になったら囃子やりたい」と言う子供も多いといいます。

練習を積み、5年生から山車に乗れるようになるそう。


そんな榎会の面々の活躍をはじめ、新富町一丁目が一体となった山車曳行に帯同したのが、

2014年10月18日川越まつり初日のことでした。

(クレアモールからマルヒロ脇を抜けて、川越街道へ行く家光の山車)


先日の連雀町のように、正月に家々やお店を廻る門付を行う町内はありますが、

山車を出して居囃子を行っているのは新富町一丁目ならでは、

こうして、正月3日に居囃子をやるようになったのは、

平成20年にここに山車蔵ができてしばらくしてからのこと。

クレアモール沿いに山車蔵があれば、山車を前に出すのは容易。

以来、喜多院のだるま市に合わせた日に居囃子を行うようになりました。


この居囃子も、

ここで数十年お囃子を演奏している方にとっては隔世の感があると言います。


「昔は川越まつりの時も新富町には山車がないから、

通りに組んだ屋台で居囃子を演奏するくらいだった。

上広谷(鶴ヶ島駅近くの地域)から屋台を借りて川越まつりで曳くようになって、

それも、毎年ではなく一年おきくらいの参加でした」


そこから、今から12年前に自分たちの山車を持つようになり、

喜多院近くの地域ということもあり、家光の山車とした。

今では、見上げるとため息息が漏れるほどの立派な山車となって、

昨年の川越まつりの時には囃子台の上部、唐破風の下に新しい彫刻が加わりました。


(綺麗な彫刻が嵌っています)


喜多院と新富町一丁目は、お互い目と鼻の先で、

両者の因縁を考えたら、だるま市の時には、

ぜひこの山車と囃子も合わせて触れてもらいたいものでした。


新富町一丁目の山車の名前に付けられている徳川家光は、喜多院再建に相当な注力をしました。

それは天海僧正がいてこそでしたが、

家光所縁の喜多院にほど近い新富町一丁目で、家光の山車が曳き出され囃子が演奏されている。

この因縁を知れば、だるま市の日をより豊かに過ごせそうです。


昨年の川越まつりでも、家光の山車は仙波東照宮と喜多院へお参りに行っています。

喜多院の山門前まで寄せる山車は、川越の町内でもほとんどありません。

本川越駅から、電線が多い東照宮中院通りを越えて、

ゆっくりゆっくり進んでいった家光の山車。

2014年川越まつり初日、午後の部プレイバック。



本川越駅から東へ進み、交差点を越えて東照宮中院通りへ。
細い道を囃子と「ソーレ!」と掛け声で進んでいきます。


辻を左折し、仙波東照宮の前で拍子木が鳴らされ、山車が留められました。
今まで綱を曳いていた町衆が、綱から離れ

東照宮の随身門に続く参道両側に静かに立ちました。

厳かな雰囲気が漂う。
山車は回転され、門の正面に向けられた。

囃子の曲は落ち着いた鎌倉へと変わりました。


東照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮が有名ですが、

日本各地数多くの東照宮があれど、

川越には日本三大東照宮の一つ、仙波東照宮がある。


1616年駿府で徳川家康公が没し、
その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、
天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、1633年建立された。
それから5年後の1638年、「寛永の大火」と呼ばれる大火事でよって、
喜多院山門を残し、焼け落ちたが、
徳川家光より喜多院復興の命令がが下ると、
まず東照宮の再建が行われ1640年に完成した。


拝殿前の入口扉には立派な三つ葉葵の御紋がかけられていて、

内部には家康公の像が祀られ、

拝殿内欄間に徳川家光が奉納した岩佐又兵衛勝以筆「三十六歌仙絵額」があります。






再び、蔵里の山車蔵に戻ります。

昼過ぎになると通りにはさらに人が出て、埋め尽くされていった。


お囃子の人が変わってベテランの演奏が始まりました。

人が入れ替わったのは、曲の雰囲気が変わるのですぐ分かる。

一人変わるだけで全体が変わり、その変化がお囃子の味わいでもあります。

円熟の舞い、キレのある笛、どの地域の囃子連にも、思わず唸るような上手な方がいます。

川越の囃子は奥が深い。





そして、通りがにわかに賑やかになってきたと思ったら・・・

ちょうど、囃子連の他のメンバーが、町内廻りから帰ってきて、

蔵里の道路向かいにある「水上製本所 」さんの前で獅子舞が舞っているところでした。


他の町内でも行っている正月の門付のような町内廻りは、新富町一丁目でも恒例となっていて、

蔵里を出発してあちこちを廻ってきて、最後の水上製本所に辿り着いたところでした。

山車の演奏が止まります。獅子舞の方の演奏が優先されました。




・・・と、獅子舞の動きを見て、あ!とつい声が出そうになった。

あの動きには見覚えがある。。。

見覚えがあるし、以前よりずっと上手くなっている。

囃子連の方に聞いたら、やはりあの彼でした。

今でも囃子を続けていることに感動しました。


あれは、今から2年前のことです。

2013年の正月も、榎会の方々が同じように町内廻りをしていて、そう、

あの時も同じ水上製本所の前の演奏を見たのでした。

川越style


川越style


川越style

あの時激しい動きで舞っていた獅子舞は、中学生だったんです。

中学に入ってから獅子舞の練習を始めた、と話していて、

川越まつりでの舞いも楽しみにしています、と語りかけたのを覚えています。


あの彼が、高校生になった今でも獅子舞を続けていて、さらに上手くなっていた。

その成長過程を見られるのが地域のお囃子ならではです。

今年の川越まつりでも勇姿が見られることを楽しみにしています。


山車の方では、自治会長をはじめとした方により、

午後に2回紅白の饅頭がまかれて、多くの方が手を伸ばしていました。



今年の居囃子が終わって、一年が始まったことを実感します。

川越では一年を通してお囃子に触れる機会があるので、

ぜひ体験してみて欲しいと思います。

3月の小江戸春まつりは特に賑わいます。


今年も川越の音楽、お囃子に注目していきたいです。






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