川越まつり2014最終日 夜の部 川越人が魅せた曳っかわせ | 「小江戸川越STYLE」

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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

川越まつり2014最終日。

川越まつり最終日 朝から午後の部


18時、夜の部がスタートした。連雀町の道灌の山車の曳き手はさらに増え、
「ソーレ!!」と掛け声に囃子に力強さが増す。





向かうのは北、仲町交差点へ山車を進めていく。
視界に先に見える交差点には仲町の羅陵王の山車が留まっている。
そこまで行って羅陵王と曳っかわせをやるか?
先触と宰領が話し合う。

「仲町はどうするんだろう」
「一番街へ行くと言ってます」
「まだしばらくいるの?」
「ちょっと確認してきます!」

走り出す先触。どうやら仲町は木やりの最中だったらしい。
戻ってきて、話し合いの末宰領が判断を下した。


「Uターン決定です!ここでUターンします!!」

決定が曳き手たちに伝えられる。
ここで待つよりもUターンして戻るルートを選択した連雀町。
そして本川越駅に向かって、今度は南下していくことになった。




途中、居囃子があると山車を止め、そちらに正面を向け曳っかわせを行っていった。
「連々会、前に集合!走って!走って!急げ!」
山車の足元に集結した連々会は提灯を乱舞させて曳っかわせを盛り上げる。
他の居囃子や川越まつりの総合本部分など一ヶ所一ヶ所で止まり、山車を向けていく。
そして、夜の部、初の山車同士の曳っかわせは三久保町の賴光の山車と実現した。




曳っかわせが囃子合戦と見ることもできるが、
本来は神の依り所である山車のすれ違いに、お互いに向けあって挨拶させようというもの。
それでも、
「少し前までは囃子合戦として負けた方が山車を先に向き直っていたんだよ」とのこと。


本川越駅前交差点に来ると、3台の山車が留まっている。
二台目の曳っかわせは、新富町二丁目の鏡獅子と相成った。




曳っかわせで演奏するのは、
連雀町の雀会はいろんな曲を演奏するが、
六軒町は「しちょうめ」という曲と決まっていたり、
仲町の羅陵王の山車に乗る中台囃子連は、
狐で「にんぱ」を演奏したり、と町内によりさまざまな形があります。


そんな、いろんな囃子が入り乱れる光景をみんなが期待していたけれど・・・
ここで数台の山車が待ち構えているだろうと進んできた本川越駅前交差点だったが、
待てど暮らせど他の町内の山車がやってこない。

大盛り上がりの曳っかわせをやるつもりだったけれど。。。


「山車がいないな。どこに行ったんだろう」口々に話す面々。


遠くを見渡しても山車の影も確認できなかった。
交差点を埋め尽くした人たちにとっても肩透かしにあった状況だっただろうと思う。
例年であれば、本川越駅前交差点は、

広い場所なので山車が集結し、入り乱れる曳っかわせが見られる。
それが川越まつりの最高潮になるはずだった。


しかし、しばらく交差点に山車を留めていたが、他の町内がやって来ない。

しびれを切らし、元の道を戻る判断が下された。
本川越駅から今度は北に真っ直ぐ進み、来た道を戻っていく。



「ソーレ!ソーレ!」
掛け声に囃子の演奏は途切れずに続いている。

道灌の山車を曳行しながらも、綱先では慌しさが増し、

さらにバタバタした状況になっていた。


川越まつり、最終日夜。
夜の部は18時からスタートし、会所に戻るまでの時間は3時間半。
ここまでで既に1時間以上過ぎていた。
他の山車はどこに行ったんだろう。


「ソーレ!ソーレ!」

通りの居囃子に一つずつ止まり、獅子舞などと合わせていく。

山車を向き直し、さらに前へ。


連雀町交差点が見えてくると、先触や山車責任者が全速力で走ってきた。宰領に伝える。
「通町の山車がこちらに向かってきてます!」
「向こうはどうするの?」
「本川越駅に来るそうです!」
「そうすると、どこかで当たるかな」
「はい、連雀町交差点で合わせようと話しました」
「分かりました」
そして、3台目の曳っかわせが連雀町交差点で行われた。
提灯が激しく揺れ、オオオ!という掛け声、囃子が激しく鳴る。




囃子の競演、連々会の掛け声、大音量の間を大声が飛び交う。

「宰領、南通町も来るそうです!」
「ここに?」
「はい!ここで南通町とも合わせる話しになりました!」
ゆっくりと山車の向きを変え、南通町の納曾利の山車ともすぐに曳っかせが始まった。

次々と山車が向き合う展開、沿道の人が歓声を上げる。




この時、連雀町交差点に仙波町も近づいてくる情報が入っていた。
話し合いが続けられたが、この時はタイミング合わず曳っかわせは見送ることに。
川越まつり、夜の部の山車に残された時間はわずか、他の町内も他の山車を求め、
どうも、この本川越駅から一番街の通りを行ったり来たりしているらしかった。

なぜそう動いていたのか、

この時は理由が分からなかったが、のちほどその事情が明らかになった。
そして、その事情により、

川越まつりにおいてかつてない光景が実現していくことになる。


中央通りを真っ直ぐ北に進む道灌の山車。
「ソーレ!ソーレ!」
蓮馨寺を過ぎ、仲町交差点が見えてきた。



ここからが2014年川越まつりのクライマックス。
川越まつりが始まって以来360年以上の先に続く、
今の川越人が作った、新たな伝説の始まりだった。。。


「ソーレ!ソーレ!」


仲町交差点が近いてくると、

いくつもの山車の提灯が見えてきた。囃子が重なっているのが聞こえる。


目を凝らすと、1台、2台・・・数台の山車が

仲町交差点という狭い辻に集まりひしめいているのが分かった。
仲町の羅陵王の山車、六軒町の三番叟の山車、

松江町二丁目の浦嶋の山車、新富町二丁目の鏡獅子の山車、
4台による曳っかわせがここで行われていたのだ。

囃子が飛び交い、山車の下で揺れる大量の提灯、掛け声。


そうなんです、本川越駅に山車がいなかったのは、ここに向かって集まっていたからなのです。
本来は、川越まつりの夜の曳っかわせ場所として、
本川越駅前、連雀町交差点、仲町交差点、札の辻交差点、と

一直線上の道の各所、あるいは松江町交差点に分散される傾向がある。

今年、仲町交差点にこれだけの台数が集まっていることは異例だった。
その理由を、現場で調整でした先触役が解説します。

「どうも道の事情から本川越駅前交差点を避けた町内がいくつもあったらしい」

そう、それで、道灌の山車が本川越駅前に進んでも、

他の山車とほとんど出会えなかったのだ。
他に行くところを探して、他の町内の先触は走り回ったことが想像できる。


運行ルートを予め決めていても、

どこで曳っかわせが行われるかは現場の状況で変わる。
その場その場の状況に合わせた判断を各町内の先触役や宰領、頭が行い続けています。


本川越駅を避けた他の町内は交差点から山車を東へ進め、

川越街道まで来ると北上していったらしい。
北上しながら、他の町内はどこに集まっているか走り情報収集し、

相手とすり合わせは何度も続けられていただろうと思う。


札の辻には幸町、元町一丁目、川越市の山車が集まっている。
連雀町交差点にも山車はそんなに集まっていないらしい。
それなら仲町交差点に行くしかない、

「今からそちらに行きます」と確認し合い、
交差点の中に山車をどこにどう置くのか事前に決め、4台の山車が集まったのだ。



この曳っかわせには、そんな舞台裏があった。

川越まつりの曳っかわせというのは、偶然山車がすれ違って起こるのではない。
現場で瞬時に変わる状況を見て、

お互いの町が時間と場所を擦り合わせて、調整の先に生まれるもの。


先触役の方が相手の山車に駆け、相手の山車がどう動くのか聞き、

すれ違う時に曳っかわせをやるのかやらないのか決め、
また自分たちの山車に走って戻ってきてすぐに宰領に伝え、判断を仰ぐ。

一回で話しが決まることもあれば、相手ともっと詰めないといけない話しが出ることもある。

そうすると再び駆け出し確認しにいく。


相手の先触役の方もこちらに確認に走り寄り、お互いに行ったり来たり走り回る。
山車は動いている、囃子も続いている。

山車を止めるわけにはいかない、つねに動いている状況で
瞬時に次の曳行を見きわめていかなくてはならない。
川越まつりではお互いの町のやり取りに、
ケータイやスマホといった機器は一切使われていないのです。

ここに昔ながらの川越まつりが色濃く残ります。
「他の町内の山車はどこにいるんだ」
「連雀町にはいないらしい」
「札の辻は無理だろう」
「そうすると仲町交差点か」

曳っかわせが川越まつりの華だとしたら、
こういう町同士のやり取りこそ、川越まつりの醍醐味といえる。
川越まつりを今に伝えるのは山車だけでなく、
町の人たちのやり取りにも、昔ながらの川越まつりがはっきりと残っています。


交差点にこれだけの山車が集まったのは結果的に偶然だが、

形にしたのはあくまで大勢の人が、マラソン並みに走り回った調整があったからなのだ。
道の事情という偶発性はあっても、

曳っかわせは町同士のコミュニケーションによる必然です。

ただ。

一つの交差点にここまで山車が揃うのは、

神様でも誰にも予想していなかっただろう。

この事態は完全に偶然、いや、神様の粋な計らいだったのか。。。

誰かが前方を指差しながら口にした。


「後ろからもう1台来てる!」


一番街方面からは新富町一丁目の家光の山車が、仲町交差点に向かってきていた。

川越まつりの夜の部には10台ほどの山車が出ています。

そのうちのこれで道灌の山車を合わせて6台がここに集まっていることになった。

残りは札の辻に集まっているだろう。

つまり、川越まつり最終日の夜、山車が入り乱れる曳っかわせが、

二ヵ所だけで行われているという異例中の異例なことが現場で起こっていた。
交差点に山車がぐちゃぐちゃに入り乱れ、混沌とした様相となっていく。
誰かが声を上げた。

「その後ろからも来てるよ!」

さらにもう1台、一番街から来ているのが見える。西小仙波町の素戔嗚尊の山車だ。

これでこの狭い交差点付近に7台の山車が集まったことになった。
祭りに来られていた方も町内の曳き手も、詰めかけた全ての人の声が興奮していた。
とんでもないことになった、言葉にならない声があちこちから上がる。

川越まつり、ここに近年稀にみる山車の集結になろうとしていた。

4台が集まる交差点から離れ、道の途中に山車を留める連雀町道灌の山車。
綱を手にしながら、みんな交差点で盛り上がる曳っかわせの様子を遠くから見つめている。
「あの中には入っていけないよね」

道灌の山車の選択としては、交差点から1台出たらそこに入っていくか、

あるいはこのままUターンするか。

四つ角であれば緻密な計算の上で、山車の留めようによっては5台くらいは入れる。

他の山車なら1台が抜けたらその空いた場所に山車を入れる選択もありえたが、
しかし、道灌の山車は川越で一番巨大なのだ。
もっと広い交差点、連雀町交差点だったらあり得たかもしれないが、

この辻に既に4台が向かい合わせになっている。これ以上は無理だろう。。。
ここに居合わせた誰もがそう思っていたし、

この4台による曳っかわせが、2014年の川越まつりのクライマックスだろうと、誰もが信じていた。

時刻は21時になろうとしていた。
川越まつりも終わろとしている。

21時40分頃には会所に戻らなくてはならない、そして22時に交通規制が解除される。
道灌の山車に残された時間を考えると、

このまま、来た道を戻る判断になるだろう。

あの中に加われなくても、交差点に集まった4台の曳っかわせは感動的で神秘的。

連雀町の人たちも交差点に駆け寄り曳っかわせに見とれていた。


これが川越まつりの一番の華、

ここが2014年の川越まつりのクライマックスだとみんなが心に思っていた。

交差点から囃子の音が落ち着く。4台による競演が終わったのだ。
曳っかわせが終わるのを確認し、道灌の山車も戻る、と思われていた。
思われていたが。。。


「綱、中に入れろ!」


綱を前方に張り始めた。
連々会の面々も山車の前に移動する。


「急げ!急げ!」

もうみんな、叫び続けて声はガラガラだった。
喧騒を切り裂けるように拍子木の音が聞こえてきた。


まさか・・・?


連雀町からだ。

「ソーレ!!!」

道灌の山車がゆっくりと交差点に向かって前進を始めたのだ。

交差点付近に進み、びたりと止まる。


左から入り込む道灌の山車、仲町交差点に集まった5台。
道灌の山車は交差点まで10メートルまで迫った。

そして。。。

誰もが思いもしなかった動きが始まった。


「ソーレ!!ソーレ!!」


山車はさらにそこからジリジリジリジリと前に進められ、他の山車ににじり寄る。



「ソーレ!!ソーレ!!」


まだ止まらない、辺り一面の歓声が大きくなる。

拍子木が打たれた。

なんと5台の山車がびったりと向かい合ったのだ!
狭い辻に巨大な山車が5台ひしめき合っていた。



Uターンして帰るだろうと構えていた連雀町の人たちもこれには驚いていた。
「まさにあそこに入っていくとは!」
5台はぴったりと寄り合い、カオスとなった中、曳っかわせが始まった。

連雀町の思ってもみなかった突っ込み、
それは頭の、空いているスペースを確認し、

入り込める場所があるか、角度は、など考慮した上で、
ここ入ってこそ祭りだろう、狭い所入れ込んでこそ川越まつりだろう、

その判断に宰領が最終的に了承し連々会など町衆に伝えられ、

町の総意として10メートルを詰めていった。

他の町内の町衆からも
「まさかここ入ってくるとは!」と大歓声。


仲町交差点にぶっこんでいったこの判断は、連雀町ならではで、まさに連雀町らしい。
そして囃子と提灯が入り乱れ、

5台の山車による曳っかわせが続いていった。
町衆の雄叫びが轟く。

2014年川越まつり最終日夜、終盤の曳っかわせ。


連雀町 道灌の山車
六軒町 三番叟の山車
仲町 羅陵王の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
松江町二丁目 浦嶋の山車

曳っかわせ








道灌の山車が、あの狭い交差点に巨大な山車を入れ込んでいったのは、
2013年川越まつりで雨の中の曳っかわせに続く、感動的で熱いシーンでした。
長年祭りを見ている町内の方も、

「あんな凄い曳っかわせは30年ぶりかもしれない」と振り返っていた。
川越人が魅せた、伝説的な曳っかわせになった。

川越まつり、終了時刻はもうすぐそこだった。
「さあ、帰ろう!」それぞれの山車がそれぞれの場所に向けて曳かれていく。

「ソーレ!ソーレ!」


今日一番大きい掛け声が交差点に響き渡った。


「ソーレ!ソーレ!ソーレ!ソーレ!」

そして、道灌の山車も道を南下し
自分たちの町内へ、熊野神社の会所へ戻ろうと動き出した。
綱を手にするみんなの表情に、恍惚とした高ぶりがあった。
「まさかあそこ入るなんて。でもあれが連雀町だ」


連雀町と仲町の境で留められ挨拶をし、
沿道にある桟敷席など一つ一つで止まり、山車を向けて最後の挨拶をしていく。
また前に進んでいく。



2014年の川越まつりは、二日間で97万2千人の方が来られました。
全国から川越に来られ、また、

Ust配信により祭りのLIVE映像を世界中の方に楽しんでもらえたと思います。


今年川越の街を曳き廻された山車は21台。
全ての山車が、町内の方が大勢関わり、
曳行しつつ刻々と変わる状況に対応しながら、他の町内と折衝を重ねて、

曳っかわせを行っていた。
山車を通して町が一体となり、綱の内側は町内のコミュニティであり町そのものだった。

全ての町内が、自分たちの山車に誇りを持って曳いていた。
連雀町のような人間ドラマは、21台の山車それぞれにあったはず。
どの町内の人に聞いても、
「山車は町の宝」

そう自信を持って語っていた。


道灌の山車は蓮馨寺を過ぎ、熊野神社に到着。
横を通過していく山車と最後の曳っかわせを行い、
連々会の面々は名残惜しそうに何度も何度も提灯を乱舞させていた。



そして・・・ありえない光景が目の前に。。。


「ま わ せ!ま わ せ!」

なんと、山車の廻り舞台が何回転もくるくると回される。




「ま わ せ!ま わ せ!」


「ま わ せ!ま わ せ!」

その間も囃子は続き、天狐の舞いは続いている。
こういうことするの連雀町だけだと思う。。。



道の中に山車を入れてからも、
オオ!オオ!オオ!掛け声と提灯の乱舞は続き、

囃子は一層神聖さを増す。
これで今年の川越まつりも終わり、山車に降りていた神様が天狐の舞いを介して再び昇天していく。
きっと今年も、町内曳きに曳っかわせに、

町の人たちが一生懸命山車を曳いていた姿を喜んでいるに違いない。
夜空に届け、この掛け声。
全てが終わろうとしていた。




川越まつりは、360年以上続いているだけでなく、

現在進行形で熱気溢れるお祭りです。

360年の先に、川越人の心意気を熱く感じられた2014年の川越まつりでした。


これが、川越まつりです。

氷川神社の例大祭から始まり、10月18日の神幸祭、そして18日、19日の山車行事、

これにて川越氷川祭(川越まつり)の全ての行事が無事に終わりました。
来年の川越まつりでは、どんな人間ドラマと出会えるでしょう。
川越まつり2015を楽しみにしています。





幸町 翁の山車


幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車


松江町二丁目 浦嶋の山車


元町一丁目 牛若丸の山車


宮下町 日本武尊の山車


中原町 重頼の山車


西小仙波町 素戔嗚尊の山車


新富町二丁目 鏡獅子の山車


仙波町 仙波二郎の山車


南通町 納曾利の山車


川越市 猩猩の山車


大手町 鈿女の山車


仲町 羅陵王の山車


六軒町 三番叟の山車


今成 鈿女の山車


連雀町 道灌の山車


三久保町 賴光の山車


通町 鍾馗の山車


新富町一丁目 家光の山車


菅原町 菅原道眞の山車


旭町三丁目 信綱の山車



2014年川越まつり、完。