川越まつり2014最終日 朝から午後の部 | 「小江戸川越STYLE」

「小江戸川越STYLE」

「時が人を結ぶまち川越」
川越のヒト・コト・モノ、川越物語りメディア、小江戸川越STYLE。
川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真



2014年10月19日、川越まつり最終日の朝。
前日の熱気はどこへいったのかと思うほど、静けさに包まれた通り、
今日も朝から青空に包まれていた。
連雀町。
熊野神社の横に設営された会所では、道灌の山車が留め置かれ、
10時前に曳行安全祈願祭が行われようとしているところだった。

静謐な時間が流れるなか、
熊野神社の宮司による祝詞奏上、宰領などの玉串奉奠が続きます。
無事に祈願祭が終わると、一堂でお神酒を口にして心身ともに祭りに気持ちが入っていく。





前日の川越まつりの初日は、
「何事もなく無事に終えられた」と宰領は話し、
初日は氷川神社の神幸祭のために、
通りを真っ直ぐ進んだ仲町交差点まで山車を進め、夕方からは通りに山車を揃える宵山
二日目の今日は、いよいよ本格的な山車の曳行、曳っかわせが始まる。




連雀町は、蓮馨寺の門前町として知られる町で、
昔からの商店が数多く残ります。
この地域だけでも7つの商店街があり、新しいマンションが5つ建ち、
自治会に入っているだけでも750世帯ある大きな町内です。
顔触れを見ると、さすが歴史がある地域だけあって、
幅広い年代が集まっています。



連雀町の道灌の山車は昭和27年建造、
昭和44年からは自前の囃子連「雀会」が山車に乗って演奏しています。
山車建造に関わり、以来今でも第一線で川越まつりに参加し続けているような方々ばかりです。

「山車出すよ!」
頭(かしら)が叫ぶと、綱が引かれ、ゆっくりと道灌の山車が通りに姿を現しました。
道灌の山車は川越で一番の大きさを誇り、迫力満点です。

10時、交通規制が始まる時間となり、辺りから車が消える。




木やりの後、囃子の演奏が始まり、拍子木が打たれる。
それを合図に、「ソーレ!!」町の人たちが綱をぐっと曳いていく。
山車が前にゆっくりと進み始めた。沿道から歓声とともに拍手が起こりました。
2014年川越まつり最終日、スタートです。





道灌の山車に乗って演奏するのは雀会、
やっぱり雀会の演奏は凄い。音のキレに、全体のハーモニーと奥行きがあります。
そしてこの日の演奏が今までで一番だと思った。
聞いてるだけで気持ちが高ぶってくる、まさに囃子。曲はニンバから始まりました。


山車を曳く人数は他の町内より圧倒的に多く、
綱を持てず内側にびっしりと人が埋まっています。
曳いているのは自治会の方などの他に、
連雀町特有の集まり、連々会の人たちです。
地域のまとまりを作ろうと連雀町在住者を中心に平成元年に結成された連々会は、

現在80人ほどで若手が多く参加しています。
活動は夏の盆踊りに、メインはなんといっても川越まつり。連々会会長は
「連雀町は若者の熱気が溢れている町。川越まつりでエネルギーが爆発します」と話します。
去年雨だったリベンジにさらに燃えて山車を曳きます。






午前中は、連雀町内をぐるっと廻る町内曳き。
神様に降りてもらった山車を町内曳き廻します。
大正浪漫夢通りに入り、北上していく。
通りは、午前中から人で埋めつくされていました。
大正浪漫夢通りに山車が入ったあたりで、
前方にいた先触(さきぶれ)が駆け出していきました。



もう少ししたら山車は仲町に入る。
山車の綱先が町境を越える前に仲町の会所へ行き、
山車の通行の許可を得る口上を述べます。
この際、できるだけ連雀町と仲町の境に沿って行き、大きく入り込まないようにしていました。



「本日はおめでとうございます。連雀町太田道灌の山車にございます。
ご町内を曳行させて頂きたく宜しくお願い申し上げます」
それに対し、
「どうぞ、お通りください」と仲町から許可を得ると、
すぐに自分たちの山車に舞い戻り、
山車曳行の全体責任者である宰領に報告します。

「仲町から通行の許可を得ました」
「了解しました。それではこのまま真っ直ぐ進みます」


先触は、常に山車の綱先にいて、前方の様子に目を配っています。
他町内に踏み込む時は走っていって許可を得、
他町内の山車が見えれば走っていって相手と話し合いをし、
お互いの山車をどう通行させるのか、すれ違う際に山車同士を合わせるのか、
毎回調整します。
戻ってきて宰領に伝え、頭が拍子木を使って山車運行の指示を出し、全体が動いていく。
宰領は山車について離れられないため、先触が調整役となり宰領が判断を下します。

そしてその間も、山車は多くの人で曳かれ、囃子は途切れずに続いている。
それぞれに役目があり、


山車の曳行は一つの町自体がそのまま動いているといっていい、
大勢の人による全体運動である。




そして、ソーレ!ソーレ!と山車が連雀町を越えて、仲町に踏み込んでいく。
「どんどん綱曳いて!曳いて!」
商工会議所を左へ曲がり、仲町交差点を過ぎて西へ真っ直ぐ進む。
「今年は曳き手が多いですね」と語る町の方。夜になるとさらに増えるといいます。
「生まれも育ちも連雀町。小さい頃は手古舞やってたんですよ」と話す方もいました。



蓮馨寺裏にある大工町通りを南進。
ここは電線が多い通りなので、慎重に山車を進めていきました。
一本でもあると山車を止め、ゆっくりと越えていく。
まだ道灌の人形は出していません。







県道に出てきて、連雀町交差点に向かう。
こうして町内を曳行してきた午前の部。





午前は他の町内の山車と向かい合うようなタイミングはありませんでしたが、
町内曳きという大事な曳行であり、神事としての川越まつりを色濃く感じられます。
綱を頑張って曳いた子供たちにお菓子が配られ、昼休憩となりました。

この間は山車は通りに留め置き、人形も掲げて、
祭りに来られた方に見てもらいます。





13時。木遣りが始まり、午後の曳行が始まった。
囃子が始まり、拍子木が打ち鳴らされ山車が動き始める。
綱を握り締めた町衆が、「ソーレ!ソーレ!」と大声で曳いていきます。








熊野神社の会所を出発した道灌の山車は、
連雀町交差点から県道を東に進み、
いちのやがある松江町交差点から川越街道を北上していく。
目指すのは川越市役所だ。


川越まつりの初日には、
午後に市役所前に山車が揃えられる山車揃いが行われるが、
最終日には山車揃いという催しではないにしろ、
13時半~15時の間に市役所に来て、山車が集まるのを見せる山車行列が行われる。
観光客の方が大勢集まる市役所ならではの催しです。
また、川越市役所交差点はかつて川越城の西大手門があった所なので、
城内曳き入れの格好にもなっている。
市役所に集まる時間も、以前は14時~という年もあったそうで、
川越まつりが始まって360年、その先に、
時代に合わせて細部は少しずつ変化していっているのが分かります。




川越街道に進むと、遠くに一台の山車が見える。
それを目で捉えると、すぐに先触は駆け出し、
相手の動向を確かめにいく。
そこにいたのは松江町二丁目の浦嶋の山車だった。



帰ってきた先触役の方と宰領が話している。

「浦嶋の山車はあそこにしばらくは留めているそうです」
「曳っかわせはやりそうですか?」
「それは分かりません。行ってみないとまだ分からないそうです。
ちょっとまた聞いてきます!」
再び走り出していった。

その間にも道灌の山車は、囃子の演奏に、
「ソーレ!ソーレ!」という掛け声で前へ進んでいる。
だんだんと山車同士が接近していく。
先触役が息を切らして戻ってきた。


「浦嶋はあの場所に留まっていますので、
その横、右をこちらが通過することで話しをしてきました。
その時曳っかわせすることに決まりました!」
「分かりました。あそこは狭いですね。気をつけて行きましょう」


これで、道灌の山車と松江町二丁目の浦嶋の山車による
曳っかわせが行われることが決まった。
単に山車同士の曳っかわせ、というより、
お互いの町のすり合わせによる曳っかわせ、と表現したいやり取りです。
そして山車が近づくと、道灌の山車の方から先に、浦嶋の山車に方向を変えた。
相手はここが地元の地、敬意を表する形がここにある。


川越街道は決して広い道ではないので、
山車同士がすれ違う時は緊張に包まれる。
二台が揃うとギリギリといった横幅。
鳶が車輪を確認しながら、「大丈夫!このまま進め!」と指示を飛ばします。
山車のすれ違い一つに、たくさんの判断と労力がある。





さらに道中、曲がり道の先に見えた三久保町の賴光の山車とは、
「ここでは通過するだけということで」
という話しをつけ、遠くから山車を向けて挨拶をする。
その先に大手町の鈿女の山車が視界に見え、こちらに向かってきている。
「大手町とはどうするの?」
「通過する時に合わせることになりました!
あのカーブを進んだ先にで、こちらが左手から合わせます!」



続いてきた元町一丁目の牛若丸の山車とも合わせ、
市役所の交差点までやって来た。
川越市の猩猩の山車と南通町の納曾利の山車が、
既に市役所前に留められ合わせているところでした。




連雀町が両山車に走り寄り、その後の曳行予定を聞きにいく。
「南通町はこの後どうするんですか?」
「うちはこのまま真っ直ぐいきます」
「あちらの方向ですね」
「そうです。今成の山車と合わせます」
「了解です!」
南通町が動いた場所に道灌の山車を入れて、市の猩猩の山車と合わせる話しになった。



市役所の駐車場を埋め尽くした人人人。
離れたところには新富町二丁目の鏡獅子の山車が見え、
遠くに今成の細女の山車も見える。
市役所に向けて続々と山車が集結してきていた。

「市役所の前で、市の山車と曳っかわせする話しをつけました!」
「向きは?」
「市の山車が前にちょっと出すそうです。南通町は前にいきます」


打ち合わせを待つ間も、

前方では市と南通町の山車による曳っかわせ、
後方では道灌と、その後ろやって来た中原町の重頼の山車による曳っかわせが行われている。
囃子は途切れず、今できることを考え、

現場の判断で前後左右にいる山車と合わせていく。


さすがに市役所前には山車が揃い、見応えがあります。
この時、市の猩猩の山車に乗っていたのは天神囃子連。

「とおりゃんせ」でお馴染みの三芳野神社にある囃子連です。
市の山車には、山車を保有していない町内などが乗っていて、
年によって乗る囃子連が変わります。
天神囃子連が曳っかわせに演奏していたのが「しちょうめ」。
「あの笛は上手だな」と、連雀町の雀会の一人が呟いていた。


南通町が進んでできたスペースに道灌の山車を入れ込もうとしたその時、
間にするすると綱が伸びてきた。
手にしているのが新富町二丁目の人たち。
市役所前の細い道から鏡獅子の山車を曳いてきて、
山車の間を先に通していくことになった。
なんと、間を縫うようにしてジグザグに進んでいく鏡獅子。


これには観客も大歓声、「凄い!」と声が上がります。

新富町二丁目の山車を先に進んだ後に市の山車と曳っかわせ。


さらに三久保町の賴光の山車に菅原町の菅原道真の山車が来て、
交差点に複数の山車が入り乱れる。
菅原道真の山車で舞いを担当しているのが、南田島の人たちによる足踊り。

床に寝た状態で足を上に掲げ、
足に取り付けた人形で舞いを魅せるという川越唯一の舞いです。



市役所前の空間は、道の行き来するのとは違う判断の難しさがある。
それぞれの町内の先触や宰領、頭が総合的に判断した曳行は、

ダイナミックな山車行事が見られる場所でもあります。




このあと道灌の山車はは市役所から一番街の方向へ進み、
菓子屋横丁を越え、新河岸川に架かる高沢橋まで行くルートになっていた。
あの橋まで行くのは連雀町にとっても初めてのことだった。
こういうところにも川越まつりが変化していく様子がありました。




途中、中原町が先の方へ留まっているのを見ると確認しに行く。
「中原町はどうするって?」
「このまま留まっているので先に行ってくれ、と言っています」
「あの看板かわせる?大丈夫なの?」
先触役と宰領が話し、そこに相手の先触役がやって来て

山車から離れた突端で打ち合わせる。
そして、二つの山車が通り過ぎる時に山車は合わせられた。



橋まで来るとUターン。
ここは下り坂になっているので、戻る時は大変だ。
「さあ、気合い入れていくぞ!」「一気にいこう!」連々会の面々が声を上げる。
一本のペットボトルの水をみんなで回し飲み、結束を固める。
「ソーレ!!」
山車を一斉に押し込み、上り坂をガタガタと音を立てながら山車が登っていく道灌の山車。
その間も続く囃子。どんな状況でも囃子は途切れません。

一番街の北端、札の辻の交差点まで来ると山車は留められ、いよいよ準備が始まった。
一番街には空を遮る電線がない。山車を目一杯上に上げ、人形を掲げることができる。
連雀町の道灌の山車に道灌の人形が据えられた。





ゆっくりと一番街を進む道灌の山車。
ここを真っ直ぐ南下し、熊野神社に戻るとちょうど午後の部の曳行が終了となる。



通りを見ると、先に3台の山車が留め置かれている。
先触役が息を切らして戻ってきた。
「1台が下がるそうなので、間を行ってくれということです」
そして、間を進む途中、頭が拍子木を鳴らし山車が留められ、向かい合わせにした。
道灌と幸町の翁と小狐丸の2台の山車と三久保町の賴光の山車が向かい合わせにされました。



この道中で、Agostoの緑さんが狐の舞い手として登場した。
川越まつり初日は熊野神社前に留め置かれた居囃子にて6回舞っていたが、
動く山車に狐で乗るのはこれが初めてのことだった。それが一番街でという奇跡のような瞬間。
沿道の人もすぐに気付いたようだ。
「あ!メスだ!」
川越まつりの歴史の中でも珍しい女狐がここに舞っていた。





仲町交差点を過ぎて仲町の羅陵王の山車と合わせることになった。
始めは「うちはここに留まっているので、そちらから来て合わせましょう」としていた仲町だったが、
連雀町が囃子のメンバーの交代に時間がかかるとの話しに、
「ではこちらから行きます」と話しが変わり、仲町から近付いて来て両台が合わされた。



山車の運行ルートは事前に決められているが、
山車同士をどこで合わせるのかは、その場の状況で現場の人の判断で決め、

また別の状況により変わっていく。
午後の部の最後ということで、二つの山車を合わせて終わろうという気持ちがあって、
最後に競演が行われました。
道灌の山車は熊野神社の会所前に戻り留め置かれた。 他の町内も自分たちの会所に戻り、
休憩と山車に提灯を設置する夜の部の準備に入ります。
午後の部の山車曳行を頑張った子供たちにお菓子が配られ、18時スタートの夜の部を待ちます。
宰領は、「昼間は特にトラブルもなく順調にいったと思います」と振り返っていました。



2014年川越まつり。
二日間とも天候に恵まれたお祭りは、いよいよ最終日の夜を迎えることになった。
川越まつりの二日目の夜は特別なものです。
初日や昼間も曳っかわせは行われますが、それはまだまだ挨拶のようなもの。
本当の曳っかわせが行われるのが最終日の夜。少なくとも連々会の面々は
「ようやくこの時が来た」と気合いが入っていた。
「二日目の夜のために今までがあった。ここからが本当の曳っかわせが始まる」と。
昼間から連々会の山車曳きは熱かった。

それは去年思う存分曳けなかったことで今年リベンジしたい気持ちが強かった思う。


2013年の川越まつり最終日夜、唯一行われた曳っかわせが

連雀町の道灌の山車と新富町一丁目の家光の山車だった。
「去年はあの時しか盛り上がるところがなかった。

囃子を叩いてもらっていること、それに、
ここまでやって来てくれた新富町一丁目に感謝の気持ちだった」
家光の山車を見送る時、連々会が新富!新富!と叫んでいたのが印象的だった。

あれから一年。二日間ともに天候に恵まれた2014年川越まつり。
夜の曳っかわせの時には山車の間に町衆が入って、提灯を乱舞させることができる。
いよいよだ、みんながソワソしていた。




川越まつり2014最終日、夜の部へ。