川越style「伊佐沼工房」奥野さんの織物のアトリエから | 「小江戸川越STYLE」

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「時が人を結ぶまち川越」
川越のヒト・コト・モノ、川越物語りメディア、小江戸川越STYLE。
川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

「糸っていう曲をご存知ですか??」

そう言うと、

奥野さんはそっとCDを流し始めました。

中島みゆき作詞作曲、BANK BANDが歌うその曲は、

私のテーマソングなんです、大好きな曲だと言います。

」(You tubeより)

 

日々糸を織る仕事だからこそ、心に染み入る歌詞だと話します。

 

 

『なぜ めぐり逢うのかを

 

私たちは なにもしらない

いつめぐり逢うのかも

私たちは いつも知らない』

 

アトリエに響く桜井さんの歌声を背景にして、

 

奥野さんの糸の話しを伺いました。。。

 

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

 

目の前にパッと水面が広がりました。



水の表面を撫でた風は、水紋を作り、涼を含んで抜けていく。
真夏でも水辺の涼しさがありました。
川越の伊佐沼。
もともと灌漑用の溜め池として入間川を水源として作られたもので、広さは24ha。
川越の米作りに大事な沼。
伊佐沼が心臓なら、ここから伸びる九十川などの小さな川が毛細血管。
毛細血管で運ばれた水が周辺の土地に注がれ、たっぷりと溜められて稲を育てています。

伊佐沼は冬期は北側3分の1が干潟として露出することから

シギ、チドリ、ガンなどの生息地として貴重な沼となってきました。
外周路に植えられた桜は、川越の桜名所の一つ。

隔年の花火大会も定番ですね♪

車を止めて伊佐沼公園に来ると、川越の避暑地として親しまれている場所だけあって、
土日ともなると公園の遊具にBBQにと、賑やかな雰囲気に包まれます。

特に園内を流れる水路は、

夏は子供たちの格好の水遊びの場。

よく見ると、水路はぐるっと円形に流れています。

それは、川越の街を円を描くように流れる入間川、新河岸川のような形に見えてくる。

そんな思いを巡らせながら見つめるのも楽しい。

林の間を歩いていく。

地面に広がる葉の影を踏みながら浴びる蝉時雨、沼からの風、子どもたちの声。

木々の間に芝生が見えた、懐かしい。。。
ついこの前でしたが、ここで「ふれあい福祉まつり 」が開催されたのを思い出しました。
あの時の喧騒とはうってかわっての静寂。

さらに奥に進むと、左手に木々の隙間から建物がうっすら見えます。
まるで森の一部となっているように溶け込んでいるそれは、
もっと近づいて見てみたくなる不思議な力を発していました。
足が建物にどんどん向かっていきます。

 

建物の全部が目の前にはっきりと現れました。
工場・・・??とは違う雰囲気だということはすぐに分かりました。

木々を抜け、森の日影から明るい場所へ。太陽光が降り注ぎます。

 

建物の前には石の彫刻がいくつも置かれていました。


 

 

ここが「伊佐沼工房」です。

石彫や織物の作家さんが集まるアトリエとして、2010年にできてから4年になります。
工房を構える作家は、

奥野誠さん、奥野セツ子、岩間弘さん、平井一嘉さん、田中毅さんの5人。

 

それぞれが朝から夕方まで制作に没頭する現場であり、

 

作品を常設展示しているギャラリーも併設しています。


 

 

(ギャラリーにある奥野さんの織物)

一つの建物の中に5人もアトリエを構えているのは川越でも珍しい。

伊佐沼公園内というロケーションは最高です。

それまでは各人自分のアトリエを構えていたそうですが、

5人とも今の拠点は伊佐沼工房になっています。

川越だけでなく全国各地で展覧会を開くような作家さんが集まっている伊佐沼工房。

マイペースに、そしてお互いに切磋琢磨しながら日々制作している工房です。


5人の工房の一つ、

織物作家の奥野セツ子さんのアトリエの入り口には

自身で織った麻の暖簾がかかっていました。

よく見ると、三色の糸で織られた生地。

一つは梅から、一つは桜の落ち葉から、一つはスオウから染料をとり、

糸を染めて織った生地でした。
その先にあるのが、奥野さんが日々制作する部屋。
ここにアトリエを構えて1年半になります。

奥野さんは、糸を自分で染めて機織機にかけて織り、生地を作っています。

アトリエに置かれた機織機はすでに12、3年は使っているもので、

自分の織りにはなくてはならないもの。

年によって変わりますが、ストールにベスト、小物類など

生活に馴染む自然なものを日々織っています。



草木染めに使っている植物は
川越近辺の畑で育てられた薔薇、椿、ビワ、月桂冠、緑茶、梅などを使っているそう。
工房のすぐ目の前に生い茂るツツジを分けてもらって染めたりもするそう。
以前は藍も自分で育てていました。

草木染、例えば薔薇だと、

まず茎、枝を煮て染料を作り、

その中に生成りの白い糸を入れて色を付けます。

 

染料によって頻度は変わりますが、

一度では色は定着しづらいものは、

漬けては一週間乾かし、漬けては乾かしを繰り返して

退色しない堅牢な色にします。


染めた後に、色止めや発色のために媒染(ばいせん)するのですが、

鉄媒染、ミョウバン媒染、他には銅媒染、錫媒染があって、

この媒染の仕方によっても、同じ薔薇でも色の変化が生まれる。

 

「ミョウバンだと明るい色になったりします」

 

 

 

 

茜、カテキュー(漢方にも使われる植物)、エンジュ(マメ科の植物)など、

梅は、小枝でとった染料でミョウバン媒染によって

梅の明るい色になっていました。

 

緑茶で染めたものは、緑になるかと思いきや・・

 

鉄媒染でグレーになっていました。

媒染によって一つの植物がいろんな色に変化します。

 

タマネギの皮で染めたものは、タマネギのような色でした(*^.^*)

 

同じ植物でも、全てが毎回同じ色になるとは限りません。
大体は似たような色になっても、
植物が育った土壌や天候によって微妙に変わるので、

「染めてみるまでは分かりません」と言います。

 

そして、「その年の色があるんです」という言葉には、

 

ずっと草木染めを手掛けるからこそ、植物に対する感性であると思いました。

自然相手にした、糸の染め。

自分の色を求めて、根気強く染めを繰り返します。


絹に綿に麻、

化学繊維は使わず自然素材を使うなかでも、
糸は絹を使うことが多いそう。
絹はUV、抗菌作用があるので特に着るものには使っている。


「絹は動物性たんぱく質なので染料が染まりやすいんですよ」


茨城や京都から取り寄せているそうです。
綿も使いますが、植物性なので下処理が必要。
絹で織られた奥野さんの生地は、肌に近いような肌触りです。

 

絹。

 

素材としての絹には、個人的にも特別な思いがあります。

今はもうやっていませんが、

秩父にある父の実家が養蚕農家で、

小さい頃、夏休みや正月に帰ると

蚕が小屋の中に所狭しとひしめいていたのを覚えています。

蚕は一日中桑の葉は食べ続けます。

繭として出荷し、それらは富岡製糸場にも行っていたかもしれません。

 

小さい頃の絹の記憶。

 

そして川越の綿の歴史。

糸にまつわる話しは昔から全身に染み込んでいます。

 

素材の話しはいつまでも楽しい。。。

 


奥野さんのアトリエで、各地の生地と生活の話しを聞きました。

東北のボロ着物の話し、

生地をつぎあてつぎあてした生地は、

何代にも渡って大事にされてきたもの。

その厚みは「立つ」くらいのものだそう。

 

佐渡の相川の裂き織りの話し。

 

次々出る話しに興味は尽きません。。。♪

 

奥野さんが今、新しい素材として

 

「今凄く注目しているんです」と話していたのが、和紙。

和紙も山桃や茜、カテキューなどで自分で染めて、裂き織りする。

和紙を裂いて糸のように細くして、

それを機織機にかけて織ります。

 

織られたコースターは、触ると絹のような触感で、

 

紙だと思えないくらいです。

 

 

さまざまな植物を煮た染料に和紙を入れても避けることなく丈夫で、

色も綺麗に付きやすい。

水と楮とトロロアオイだけで作った純粋な和紙は、本当に丈夫です。

 

和紙という素材を巡る旅もまた楽しいもの♪

東秩父村にある「和紙の里」や

小川町の「埼玉伝統工芸会館 」で実際に紙漉き体験ができます。

 

新しい素材にも注目し、挑戦し、可能性を広げている奥野さん。

 

今では染めも織りも自身でこなしていますが、

もともと最初に織りを始めたのが14、5年前。

織りだけでも時間も手間も掛かるので、

「染めまではできない」と思っていたあの当時。

 

ある不思議な縁があって自分で染めるようになったんです、と振り返ります。

 

 

織るための糸をいろいろと探していた時、

 

知人からあるお店を紹介してもらい行ってみた。

そこには自分で織りをやっている方がいて、

その方の紹介で、織りや染めを教えている工房があることを知る。


実際に行ってみることにし、そこで言われたのが

「自分で染めれば自分が気にいる色になるわよ」と。

その言葉に自分でやってみようと決意した。
背中を押してくれたその方は、
草木染を復活させた山崎斌(あきら)さんのお孫さんの知り合いという方だった。


それからというもの、奥野さんは
手当たり次第染めてみては、成功と失敗を繰り返し

自分の色を見つけていきました。


「あの時の出会い、言葉がなかったら自分で染めてみようとは思わなかった」

染めを自分でやるところから、周りの世界が急激に変わっていくのを感じた。
藍を育てるための畑を貸してくれる方との運命的な縁があり、
人との出会いは不思議なことばかりだった、と笑顔で話します。

その先に伊佐沼工房のアトリエがあったり、

今こうして話しを聞いていたり。


その生地のように、

まるで人との繋がりを織り込んでいるような

縦の出会いの糸と横の出会いの糸の織り成し。
縦と横が交差し離れ、また交差し離れ、丁寧に織られていって、
いつしか誰かを暖める布になっている。


「絹は生き物」

絹は呼吸しているんだ、と教えてくれました。

確かに絹には生物感がある。
断面が三角なので、光に反射した時の光沢はなにより美しいです。
 

・・・と、
奥野さんがふと口にしました。

 

「羽さんって川越にいるんですよね??」

 

 

始めは『??』と思ったのですが、
ああ!と、すぐにスタジオ羽65さんのことだと分かりました。
スタジオ羽65といえば、

 

川越の一番街の少し先、弁天横丁にある長屋にできたギャラリー&アトリエ。
廃屋から改修作業に加わって、完成まで見届けた場所です。

GALLERYなんとうり企画展スタジオ羽65



スタジオ羽65の山本さんは、川越に来る前は東大和にアトリエを構えていて、

東大和にあるギャラリー「傑山(けつざん)」で個展を開いていました。

そして、奥野さんもそこで個展を開いたことがある。。。

 

そう、二人は同じ場所で個展を開いていたんです。
顔を合わせる機会はありませんでしたが、

 

「ずっと前から知り合いのような気持ち、

まだ一度も会ったことがないからぜひ会ってみたい」

 

と奥野さんは話していました。

 

 

同じ織物作家として、今川越でも交差する縁に、

 

不思議なものを感じる。

川越の中に、手作業を大事にして織物をする人同士、

お互いに繋がったら面白くなりそうですね。

 

奥野さんの縦の糸と山本さんの横の糸が織り成す布が

 

川越でどんなことができるか、楽しみが増えます♪

この日はいませんでしたが、

普段なら他の作家さん、彫刻の田中さんなどもここで制作をしています。

(みなさんの制作拠点でありますが、それぞれが各地で展覧会などに呼ばれるので、

全員揃うことはあまりないそう)

以前訪れた時の田中さんの制作の様子。


 

 

この時は、次の展覧会に向けて作品制作に没頭している時でした。

「揺れる彫刻」として、

いくつもの彫刻を作り、それぞれ揺れる速度が違うという作品群。

速く揺れるものはすぐ止まり、ゆっくり揺れるものはゆっくり止まる、

その違いが楽しかったです。

 

こうして、5人の作家が集まっている伊佐沼工房。

 

 

伊佐沼工房と川越の街との繋がりは深いです。

 

去年の冬には、夜の一番街の散策を楽しんでもらおうと

Night Window Gallery 」と題して、
通りのお店の窓越しに伊佐沼工房の作家さんの作品が展示されていました。

 

 

 

 




各お店の夜のWindowに飾られた作品たち。画期的なイベントでした。

 

そして年一回、小江戸蔵里で開催している伊佐沼工房制作展は、

 

今年も4月に開催され今回で4回目。
工房にいる5人の作家さんによる展示で、

各地の展示会に出品し飛び回っている方々が、

川越の街中に一堂に介する貴重な展示会です。


田中毅さんの彫刻作品。



奥野セツ子さんの織物作品。

 

そう、この時に、

 

念願の田中毅さんとも初の対面を果たしたのでした。

展示会に来ていた実際の田中さんは、

とつとつと話す方で穏やかな方でした。
奔放な感じもあって自由な発想で生み出される作品たちは、まさに人柄を表しているようです。
見ているだけで、気持ちが柔らかくなる彫刻たち。
本人の言葉では
「一見するとなんなのかすぐに分からないものを作りたい」そうです。
簡単なものでも数日、時間がかかる作品は一ヶ月は掛かると話していました。

 

田中さんといえば、川越の人なら一度はその作品を目にしているはず。

 

一番街の各所の足元に、そっと彫刻が置かれています。


 

 


お話しを聞いて、10年前に一番街に寄贈された彫刻であることが分かりました。

そんな前からあったんですね。。。

足元からひっそりと確かに今でも人を見上げています。

 

この蔵里の制作展をきっかけにして、

 

伊佐沼工房と川越の繋がりを、深く探ろうと田中さんの話を掘り進めたのがこの前のことでした。

 

伊佐沼工房の設立の時から

 

田中さんはここを拠点にしていますが、

もともと川越との繋がりでいうともう37年になります。

 

東京芸術大学大学院を出た田中さんは、
今から37年前の1977年、学校を出てすぐに川越にやってきました。

当時、彫刻で街を賑やかにしよう、と

 

川越青年会議所がまちづくりのシンポジウムを川越駅西口で主催した。
シンポジウムに合わせて田中さんは川越に招待されました。

主催者の方は彫刻に理解のある方で、
田中さんは街中に彫刻を設置するため

5ヶ月間川越駅西口で寝泊まりしながら制作していました。
なんと、簡易に作ったプレハブ小屋で寝起きし、制作に没頭していたんだそう。
西口駅前の広場、今の遊歩道の前にあった噴水時代の広場のことです。

当時制作を手伝ってくれたのが、
現在の市役所前にある太田道灌像を作った方だった。
5ヶ月の間に作ったのは、全部で6体。
作った彫刻は川越市内の各地に置かれ、

西口駅前にもかつて噴水の周りに2体置かれていました。
(覚えていますか??(*^^*))

その時作った彫刻6体のうち4体は、今は伊佐沼工房に置いてあるそうですが、
今でも当時のままに置かれている場所が2ヵ所あります。

それが、川越市駅前の川越スケートセンターの入口にある彫刻と

菓子屋横丁近くにある養寿院の庭にある彫刻。

 

川越スケートセンターに行くと、

 

広場の真ん中に少女像が置かれていました。

 

 

これが37年前にに田中さんがプレハブ小屋で寝泊まりして作った彫刻でした。
だいぶ年季が入っていますが、今でも現役で展示されています。

 

もう一つは菓子屋横丁の近くにある養寿院の庭。
山門前の立派な銀杏の木を通り過ぎ、お参りを済ませて庭を見回すと・・・
これですね!

 


二つとももちろん健在で、
田中さんが石に没頭した日々の証が今も残ります。

あの5ヶ月間を田中さんは振り返ります。

 

「寝泊まりしながら制作する彫刻シンポジウムは、日本では1ヶ月くらいが一般的。
5ヶ月もよくやったなと思います(笑)」

 

巨大な石と向かい合った5ヶ月間。
川越駅西口での熱い青春です。
たまたまやって来たという縁から川越を拠点に活動を続け37年になります。

 


この彫刻が川越に在り続けて37年。

 

一番街の各所に作品が置かれ、

イベントにも使われ、

川越の街になくてはならない伊佐沼工房の作品と作家さんです。

 

そして、伊佐沼工房といえば、外せない話しが

 

工房のすぐ横に広がる問屋町。

古くからの卸問屋が軒を連ねている地域です。

 

 

40年ほど前に、川越の観光名所菓子屋横丁の卸の機能を

この地に移した経緯があるそう。

 

問屋町の面々が集まった「バンテアン」という組合と、

 

川越商工会議所のメンバーが手を組み、
伊佐沼公園の土地を川越市から借りて新しく作ったのが、伊佐沼工房です。

 

それが今から3年前のことで、
いろんな場所を探している中、
ここなら!と決めたのが伊佐沼公園内の一角でした。
公園内に工房を作ることで人に来てもらい、
問屋町の歴史も知ってもらいたい、

 

そんな想いも込められていたかもしれません。

 

川越の伊佐沼工房、ぜひ注目してください。

 

 

毎年5月頃、ここの工房で行われる工房展では、
石彫体験も用意しています。

 

30cm立法の石を削って好きな形を作り上げる。

教えてくれるのは、伊佐沼工房の彫刻作家さんです。

毎年開催している石彫教室は今回で4回目で、

たくさんの参加者があったそうです。

来年の春頃の工房展でも開催する予定です。

 

 

アトリエから出て、奥野さんと伊佐沼公園の森を見上げました。

 

 

「夕方になると、公園内を散歩する方が増えるんですよ」

確かに、親子で、犬を連れて、歩いている方が通り過ぎていきます。

 

そして、

 

 

「どの木が揺れたかで風向きが分かるんです」

 

 

と見上げた木を指差しました。

 

この森とずっと接しているから分かる風でした。

 

これからも、この森で糸を織り続ける。

 

 

『縦の糸はあなた 横の糸はわたし

 

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない』

 

大事に、一織り、一織り。

 

 

 

 

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