除染作業員8人のうち7人が癌で死亡-意外なホットスポット、除染の盲点 | すくらむ

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 3月28日にTBSテレビ「ニュース23」で「意外なホットスポット なぜ死者7人も? 原発事故“除染の盲点”」と題した小特集が放送されました。福島原発事故での除染作業とも関わって大変重要な問題だと思いましたので、その要旨を紹介します。(※いつもの私の適当なメモ要旨ですこと御了承を。byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)


 TBSテレビ「ニュース23」(3月28日放送)
 意外なホットスポット なぜ死者7人も? 原発事故“除染の盲点”


 1986年に発生したチェルノブイリ原発事故。このとき放射性物質を運んだのは風や雲だけではありませんでした。


 原発から1,400キロ離れた東西ドイツ国境にあった街ミュースハウゼン。当時、ウクライナや東欧から安い物資がトラックで西ドイツへ運ばれていました。チェルノブイリ原発事故後、西ドイツ政府は放射能汚染をおそれ、東側のトラックの入国を拒否。そのため、東ドイツ政府はトラックの除染作業を運送公社の職員8人に命じました。


 除染作業を行った8人は、マスクも防護服も着用しないまま、足止めされた100台から200台にのぼるトラックの除染にあたりました。


 当時を振り返るオットー・ツェルナーさん(79歳)は、「ガイガーカウンターがガリガリとすごい音がするので、音を消して作業を続けました」と語ります。


 8人に課された仕事は汚染されたトラックの洗車だけではありませんでした。トラックのエンジンに送る空気をろ過するエアフィルターの交換という作業もありました。このフィルターがもっとも放射能に汚染されていたのです。フィルターは、外から空気を吸い込むのでトラックの外側よりフィルターの方が放射能に汚染されていたのです。


 8人による除染作業は2カ月で終わりましたが、3年後に悲劇が始まります。まずフィルターを交換していた作業員が肺がんで3年後に死亡しました。まだ30代の若さでした。


 そして、除染作業を行った8人のうち6人が10年の間に相次いで死亡。死因はすべてがんでした。


 6人の作業員の死亡と放射性物質の因果関係はあるのでしょうか? そもそもトラックはどれだけ汚染されていたのでしょうか? チェルノブイリ原発事故後の放射能汚染の記録を調べると、専門家たちが放射線量を測定していました。記録を調べたマクデグルク大学病院のトリーネ教授は、「フィルターを保管していた倉庫の入り口の測定では毎時20ミリシーベルトの放射線量を記録しています。毎時20ミリシーベルトは国際基準で原発作業員が年間で許容される被曝量に相当します。それを1時間で浴びてしまう計算になるわけです。この放射線量を一度に浴びてしまうと遺伝子に異常を起こすおそれがあります。すぐというわけではありませんが、3年から4年後には甲状腺がんを発症するおそれが出てくるのです」と語ります。


 8人の作業員のうち6人が10年以内にがんで死亡し、ツェルナーさんとノイキルヒさんの2人が残りましたが、ノイキルヒさんはチェルノブイリ事故から9年後の1995年に直腸がんと前立腺がんを発症。除染中に浴びた放射線が原因として裁判所に訴えます。1998年、裁判所は「放射線ががんのリスクを高めた」として一度は労災認定。ノイキルヒさんはドイツで初めてチェルノブイリ原発事故による犠牲者として労災認定されたのです。


 ところがノイキルヒさんが亡くなった後の2001年に、一転して二審が一審判決を棄却します。棄却の理由は「学問的に放射線量ががんを発病するには十分と言えない」というもので、放射線被曝をめぐる裁判の難しさを浮き彫りにしています。


 8人の除染作業員のうち7人ががんで亡くなり、ただひとり生き残ったオットー・ツェルナーさん(79歳)は、「私は日本でも被害者が出る可能性があるのではないかと不安を感じでいます。大量の放射線量を浴びれば病気になるし、がんで苦しんで死ぬことにもなる。そう考えるだけで気が重くなります」と語ります。