若者の孤立と絶望から互いにつながる希望へ - 重松清が考える、働く人の貧困と孤立のゆくえ | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 11月8日に放送されたNHKのETV特集「作家 重松清が考える 働く人の貧困と孤立のゆくえ~「派遣村」の問うたもの」を観ました。番組では、「若者の孤立」の深刻さを浮き彫りにすると同時に、先日の「クローズアップ現代“助けて”と言えない30代」 でも指摘していた若者の内面の問題だけでなく、若者が孤立せざるをえない社会構造上の問題にも迫っていました。そして、「若者の孤立と絶望」をどのように「希望」に変えていくのかという課題についても、首都圏青年ユニオン の取り組みを紹介しながら、若者が「居場所」をみつけ、「つながり」「連帯」をつむぐことにこそ「希望」があることを明示していました。以下、いくつか印象深かったところを要旨で紹介します。(※私の解釈で相当まるめた要旨になっているのと、解説等も付け加えていること御了承ください。byノックオン)


 昨年起こった秋葉原事件は、「派遣労働」という働き方が、不安定な雇用というだけでなく、人間を深い孤独とさらなる絶望へと導くことを示しているのではないかと重松さんが指摘します。秋葉原事件と年越し派遣村、共通のキーワードは「派遣労働」。重松さんは、「派遣切り」された若者をはじめ、年越し派遣村で実行委員をつとめた首都圏青年ユニオン書記長の河添誠さんや、年越し派遣村で名誉村長をつとめた宇都宮健児さんらを訪ねます。


 製造業の「派遣切り」にあった若者は、派遣で働いていたときは、自分と他の立場の人たちを比較したりするのがいやで、意識的に職場で友達をつくらないようにしてきたと語ります。その上、派遣で働いていたときは、日々のぎりぎりの生活の中で、働いても働いても貧困状態に置かれ続けていたのだということも、自分自身少しも思い至らなかった。派遣で働いているときからすでに貧困になっていることに気づかなかったと振り返ります。


 重松 一生懸命に働けば生活が成り立ち、生きがいも生まれる。そんな一昔前までの仕事のイメージが、日本社会からは、いつの間にか失われてしまったようです。おそらく年越し派遣村に集まった人たちの多くもそれまではひとりぼっちだったのではないでしょうか。しかし彼らは、人を傷つけるのではなく、人とのつながりに救いを求めました。そしてその声を力に社会の仕組みを見直そうという声が高まってきました。派遣村が問いかけたのは、労働者の生存すら守れない派遣という働き方、一生懸命に働いても生活ができないという貧困問題が私たちのすぐ隣にあるということだと思います。


 河添 派遣村に集まった人たちは、家を失い、手持ちのお金は9円しかないなどの状態に陥っていました。そこまでお金が無くなる前に相談に来ればいいのに、誰かに頼っちゃいけないとみんな思い込まされているのです。


 自己責任社会によって、多くの人が、誰かに頼ったりするのはダメな人間のやることだと思わされています。とにかく俺はひとりでやってきたんだというのが最後のプライドになっているんですね。それで人に頼っちゃいけないと頑張るのですが、頑張ってもどうにもならない構造上の問題があるわけです。


 重松 「派遣切り」にあった方が、派遣労働で働いている職場で友達をつくらないようにしてきたと語っていました。当事者が自ら孤立を深めてしまうところに派遣労働の持つ秘密があるのではないでしょうか?


 河添 派遣労働は、いつクビを切られるか分かりませんし、将来の見通しもまったく立ちません。とりわけ製造業派遣は、愛知でクビを切られ今度は大分という具合に全国各地にある工場を転々とさせられるわけです。ですから友達もつくれないのです。クビを切られるたびに、自分はダメな人間なんだと思い込まされ、自己肯定感を失っていく。簡単にクビを切られ、モノのように捨てられるので、社会で自分が役に立っていると思えなくなるのです。


 重松 学生から社会人になる、働くようになることを「社会に出る」と言っていました。それは「社会とつながる」ということでもあったと思いますが、いまや社会とつながることができなくなっているのが派遣労働という働き方ではないでしょうか?


 宇都宮 ヨーロッパにも派遣労働はあります。しかし、ヨーロッパでは派遣という働き方が解雇されやすいなどでリスクが高いから正社員よりも派遣労働の方が賃金は高いのです。ですから、ヨーロッパでは企業にとって派遣を雇うメリットがあまりないから大きく広がらない。ところが日本の場合は、賃金が低い上にいつでもクビを切れるわけだから、企業にとってこんなに便利なものはないわけで、どんどん正社員から派遣に企業は置き換えるわけです。日本の企業は派遣労働を規制すると海外に企業が出て行かざるをえないとか、失業者が増えるとか言いますが、ヨーロッパ諸国はそれできちんとやっているわけですから勝手な言い分です。企業に便利な使い捨ての派遣労働を温存しておきたいがための企業の横暴を許してはいけません。


 重松 このままでは人間ももたないし、社会ももたないのではないでしょうか? さっきまで一緒に働いていた人がいきなり解雇され、誰からも守られないまま路上に放り出される。私たちの社会はもうそんな状況にまでなってしまっています。それをくい止めるためには働くことをめぐる法律やシステムを今一度見つめ直す必要があるのではないでしょうか。


 ナレーション 現在、日本の最低賃金は平均で時給713円。最低賃金を一般の労働者の賃金と比較すると、1978年の37.1%から2008年38.8%と一貫して低水準にあります。神奈川県労連の青年部の仲間たちが最低賃金による1カ月間の生活体験を実施。生活体験を終えた青年たちからは、「食事も十分にとれないので体調管理ができない」、「体調がすぐれないと、まともに働くこともできない」、「体調が悪くなってもお金がないので病院にも行けず、さらに体調を悪化させ長い期間まともに働くのが困難になった」、「お金がないから他人との交際をあきらめざるをえない」などの感想が口々に語られました。日本の低過ぎる最低賃金では、1カ月の間さえまともに働き続けることが不可能なのです。貧困は、まともな労働を不可能にしてしまうのです。


 派遣労働など非正規労働者だけでなく、正規労働者も過酷な労働を強いられています。SHOP99の店長だった清水文美さんは首都圏青年ユニオンに加入し、いま裁判をたたかっています。清水さんは、月100時間以上の残業をしても「店長だから」という理由で残業代が支払われていませんでした。いわゆる「名ばかり管理職」「名ばかり店長」です。店長のときの清水さんの出勤簿には、朝7:45出社で翌日7:24退社し同日1時間後の8:55に出社し翌朝8:05退社という4日間で80時間超の労働時間で、この月休んだのは1日だけで、1月343.5時間という記録も残っています。こうした異常な長時間労働のためにうつ病になり、働けなくなってしまった清水さんは、自分だけでなく他の社員らにこんなひどい働かせ方をしている会社の責任を問いたいと裁判でたたかっているのです。清水さんは、「自分はモノ扱いよりもひどい燃料扱いだったと思います。会社のための熱になりエネルギーにはなりましたが、燃料は使い終われば何も残らない。消耗するだけで私という人間が空洞化してしまいました」と語ります。


 正規も非正規もどんな働き方でも誰でもひとりで入れる労働組合--私たち国公一般労働組合と同じ形態である首都圏青年ユニオンの団体交渉の様子が紹介されます。この日は、非正規の若者が一方的に解雇された問題での団体交渉。職場も労働時間もバラバラな首都圏青年ユニオンの組合員をつなぐのはメーリングリストです。メールで団体交渉の集合時間と場所を連絡し、その場で作戦会議を開いて団体交渉にのぞみます。参加は自由で、組合員は使用者と対等に交渉できることに驚き、働くものの権利を自覚していきます。困っている当事者は、団体交渉にかけつけてくれた仲間たちによって、自分はひとりぼっちじゃないと感じ「孤立」から救い出され、団体交渉に参加した組合員は、困っている仲間から感謝されることで自分の存在が「肯定」されます。救いを求め、また救いの手を差しのべて、お互いが「つながり」、ひとりぼっちではないんだと実感しあうことができるのです。


 牛丼チェーン店「すき家」のアルバイト従業員が不当に解雇され、6人が首都圏青年ユニオンに加入。団体交渉で企業側は謝罪し解雇を撤回。同時に、1万人のアルバイト従業員の過去の残業代割増分の不払いを払わせました。アルバイト従業員6人の労働組合員が、1万人のアルバイト従業員の労働条件を改善させたのです。首都圏青年ユニオンには、①残業代の未払い、②有給休暇の未消化、③社会保険・雇用保険の未加入、という「違法の3点セット」の労働相談が多く寄せられます。“今ここにある違法労働”--これを若者をお互いにつなげていく労働組合が改善しているのです。


 河添 貧困状態に置かれている人たち、社会の中で弱い立場に置かれている人たちは、孤立を強いられています。派遣、非正規、シングルマザー、障害者、難病の方、DV被害者など、様々な理由で貧困状態に置かれている人たちは、なかなか社会的に発言する機会もないし、そういった精神的なゆとりもない中で日々生活しているわけです。しかし、社会の側は、その人たちの声をきちんと聞く必要があると思います。声を聞いて、その人たちを社会のメンバーとして、きちんと受け止めていく必要がある。それは社会の側が聞く耳を持つと同時に、その人たちを励まして、居場所をつくり、人をつなげなら、その人たちがちゃんと声をあげられる状況を作り出すこと、そして声を聞こうとする人たちがつながっていくことが、この社会を少しずつ良くしていくことにつながっていくと思います。


 重松 人とつながること。社会とつながること。ときには救いを求め、また救いの手を差しのべて、お互いに声をあげ、お互いの声を聞き、ひとりぼっちではないんだと実感しあうこと。僕たちの社会はもう一度その原点に帰る必要があるのかも知れません。