正社員も非正社員も家族つくれない、仕事・家族・教育の循環構造が崩壊した日本社会 | すくらむ

すくらむ

国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 動向が気になる研究者のひとりに、東京大学の本田由紀教授がいます。その本田教授が、今年の2月4日、参議院の「国民生活・経済に関する調査会」で参考人として、人口減少社会の改善をテーマに意見陳述を行っています。最近、その議事録を発見したのですが、国会議事録の文章は自由に利用していいとのことですので紹介します。


 《東京大学大学院教育学研究科教授・本田由紀参考人の意見陳述》


 戦後日本社会を、オイルショックを迎える以前の「理想の時代」と、オイルショックからバブルが崩壊するまでの消費社会化・情報社会化が進んできた「虚構の時代」と、バブル経済の崩壊後現在に至る「不可能性の時代」という3つの時期区分に分けると、「理想の時代」に成立した戦後日本型循環モデルは、「虚構の時代」において、すでに内部から様々な問題があらわになっていて、「不可能性の時代」に立ち至って、もはや循環そのものが成り立たなくなっています。


 戦後日本型循環モデルの特徴は、教育と仕事と家族という3つの社会領域から次の社会領域に向けて、アウトプットを注ぎ込むことによって、教育、仕事、家族という3つの社会領域が緊密に結び合わされ、回っていたことです。


 具体的には、新規学卒一括採用という慣行が存在したことにより、学校を終えれば、次に仕事の世界にスムーズに入っていけるという前提が幅広く成り立っていました。長期安定雇用と年功賃金に支えられて家族をつくり、子どもにお金が掛かる時期に賃金が高くなる賃金カーブの中で働き、一方、家族は、主に父が持ち帰ってくる賃金を、次世代である子どもの教育に注ぎ込むことによってその教育を成り立たせるという、後ろから支える役割を担ってきたのです。


 しかし、このような循環構造は、成立直後の1970年代後半から80年代にかけて、すでにその問題状況が様々な面で明らかになっていました。たとえば、教育の世界では、良い成績を取って良い大学に入り良い会社に入るために勉強するのであって、学ぶことそのものの意味は置き去りにされたまま、それでも教育システムが何とか作動するような事態があったのです。


 また、仕事の世界では、家族に賃金を持ち帰るためには会社に言われたことはすべて受け入れて働くという、「会社人間」と言われるような労働者像が幅広く成り立ってきました。


 家族については、父、母、子の間にプライベートな親密性が成り立ちにくいような、空洞化した状況の中でこれまで来た面があります。


 90年代において日本社会に生じた最大の変化は、仕事の世界、雇用の世界の変化です。働く人の大半を覆っていた正社員という働き方は、90年代に入って細り、学生アルバイトや主婦パートではなく、自ら生計を立てていかなければならないような人たちまでもが非正社員という立場に甘んじざるを得なくなっています。


 晩婚化や非婚化の進行には大変著しいものがありますが、たとえば賃金が少な過ぎたり、雇用が不安定過ぎたりするために家族をつくれないようなケースもあり、あるいは、正社員になってみれば、驚くほどの過重労働、長時間労働ゆえに家族をつくれない人々も非常に増えてきています。


 今の循環構造とその崩壊が、主に若年層にもたらしている2つの不幸があります。1つは物質面での不幸、つまり、もう生活が成り立たないという面での不幸であり、もう1つは精神的な面での不幸です。循環構造が崩壊する前から、教育、仕事、家族という3つの社会領域の中で、なぜこういう社会領域があるのか、その中で自分は何をしているのかということに関する意味の実感は空洞化していましたが、今その上に、さらにかぶさるように、物質面での不幸が精神面での不幸を追加しつつあるのです。


 今いかなる対処が必要なのかを考えてみると、新しい形で循環を立て直していくしかないと考えます。


 まずは、仕事、家族、教育というそれぞれの領域の中身そのものを立て直した上で、互いの関係性も新しくつくり直していく必要があります。


 また新たに、これまでは手薄であった循環の周りを埋める存在としてのセーフティーネットを手厚くしていく必要があります。具体的に言うと、仕事の世界においては、ある程度の安定性、ある程度の収入、ある程度の向上機会、ある程度の生活との両立可能性を兼ね備えた適正な働き方を広く回復していく必要があるのです。


 家族については、固有の原理、たとえば情愛、親しさ、充実した余暇などを取り戻す必要があります。


 また、教育も、学ぶことそのもの、学習内容そのものの意義の回復が必要です。


 教育と仕事との関係では、新規学卒一括採用慣行を克服し、適正な仕事を模索する期間の猶予を若者に与えるような労働市場の形にしていくべきだと考えています。


 仕事と家族の関係では、これからはリスク分散としての共働きが不可欠になると思います。仕事と家族の間のワーク・ライフ・バランスを成り立たせて、父も母も仕事に就くけれども、夕方以降は帰ってきて、家族の中で人間らしさを取り戻すことができるというような、バランスが取れた生き方が必要だと思います。また、家族と教育との関係では、家族にいかに格差があっても、教育システムの中でその格差を最小化していくような、教育システムの責任や自律性を立て直す必要があります。


 《※以下質疑の一部です》


 質問 わが国の憲法や労働関係法においては、労働分野における諸権利、活動について世界的にレベル以上の権利を確保していることも事実です。不幸に苦しむ若年層の内在的な意識の中に、法的に保障されたそれらの権利を行使して自律的に自らの立場、処遇を改善する意欲があるのでしょうか? ないとすれば、それはなぜでしょうか?


 本田 労働者の権利を知る機会はなかったと答えた人の比率を見ると、若いほど、学歴が低いほど、労働組合に入っていないほど多くなっています。確かに、法律的には整備されているかもしれませんが、そういう法律があることそのものが十分に伝わっていません。また、どうやれば具体的に実効あるものとして法律で自分の身を守ることができるかということも知識として知らされていないのです。学校教育の役割が重要だと思いますが、若者に知識を伝えて、具体的に、どういう手段があり得るのか、態度、実践的な動き方まで伝えていく必要があると思っています。


 質問 わが国の賃金体系は、歴史的な変遷の中で、ある種家族給という、一世帯に対する報酬というイメージも持っていて、男女別々に賃金体系を考えていくという構成にはなっていませんが、考え方としては、すべては男女同一であり、個別に一人ひとり給与を考えていくようなところを目指しているのですか?


 本田 家族給や世帯単位の社会保障は、日本型循環モデルの強固な前提の下でようやく機能していたものです。それが崩壊しつつあるからには、やはり、個人単位に持っていき、男女の間で差も付けない必要があると考えています。


 質問 バブル世代は、正社員の仕事がどんどん厳しくなって家庭と両立できる状態ではありませんが、バブル後のロストジェネレーションの世代は、安定した職業を見付けられずに非正規になっている人たちも多く、少子化を解決するときにすぐ子育て支援などの発想に行くが、雇用問題の解決の方が急がれるのではないでしょうか? また、女性にもいろいろあり、仕事と家庭、子育てを両立したい人もいるが、いくら教育を受けてもやはり家庭に入りたい女性も一定数いると思います。ただ、職業をあきらめて家庭に入るからにはある程度の世帯収入を期待するわけで、今それだけを背負える男性が減っているのでなかなか結婚にも結び付かないということがあると思います。雇用をいかに確保していくか、新卒で安定した仕事を見付けられなかった人たちをどうしていくかというところに結び付きますが、解決策をどのように考えますか?


 本田 学校を出た途端に正社員になってしまえば女性でも男性でも極めて忙しくて、その意味で子育てと両立できるような状況にはありません。一方で、非正社員であるとか無業の正社員ではないふうなルートに入ってしまうと、今度は収入の点でやはり家族をつくったり子育てをしたりするということが難しい。どっちも難しいんですね。


 非常に両極端になってしまっているのです。つまり過重労働の正社員か安定性や収入が過少な非正社員か、大ざっぱに分けますと、そうなっていますので、正社員も非正社員もどっちも子育てできないわけです。


 正社員と非正社員、どっちも極端できつくなっているわけですから、その中間的な働き方を増やしていくしかないと思うのですね。あるいは、非正社員から正社員に後から入っていくことが可能であるようにしなければならないと思います。


 つまり学校を出た途端に、2つのルートに分かれてしまうのではなくて、まず最初に、模索期間の猶予を見て、その後、事後的に適職が見付かれば正社員になっていけるようにした方がいいと思います。


 また、非正社員のままでも食べていけるぐらいの均等待遇、同一価値労働同一賃金を達成すべきだと私は思っているわけですけれども、それが難しいのは、日本社会において、正社員の世界と非正社員の世界がよって立つところの原理がまったく違うからなんですね。


 というのは、正社員の方はメンバーシップ、組織に属しているメンバーシップのみがあって、ジョブの輪郭という、仕事の、職務の輪郭というのは大変あいまいなわけです。つまり、包括的人事権で指示されるがままに、言われたとおりの勤務地であったり仕事を担わなければならない。自分はこの職務を担うものですという、そういうキャリアの自己コントロール権というのは正社員にはほぼないに等しいわけです。つまり、メンバーシップ・ウィズアウト・ジョブなわけですね。


 非正社員の方は、今度はジョブ・ウィズアウト・メンバーシップであって、一応ジョブというかタスクなんですけれども、作業ははっきり指示されている。でも、メンバーシップ、つまり雇用の安定性は一切ないというように、メンバーシップのみがある正社員とジョブあるいはタスクしかない非正社員というふうに、まったく違う原理であるがゆえに相補うような形になってしまっているのです。


 であるとすれば、このような形の労働市場をほぐして、そこに程々のジョブと程々のメンバーシップを兼ね備えたような仕事というのを、正社員と非正社員の間をつなぐものとしてつくっていく必要があると思うのです。たとえば、短時間正社員でかつ職務は割と限定的である、でも正社員であるとか、あるいは非正社員なんだけれども、能力を付けることによって正社員の方に、だんだん労働時間も長くしたり責任を重くしたりしてだんだんと移っていけるというように、両者をつなぐような部分を幅広くつくる必要がある。そういうことが成り立ってのみ、ようやくその均等待遇ということが話題になり得ると思うのです。


 だから、その原理が相反しているような状況そのものから着手する必要があるという大変難しいことだと思います。だから、アプローチとしては、たとえば労働契約を結ぶ際に、単にメンバーシップとしてだけではなくて、職務の範囲についてもちゃんと明記するといったように、労働契約法が施行されましたけれども、あれを拡充していくことによって、もっと正社員の世界にも今まではなかったジョブというものの輪郭を持ち込んでいくということも必要だと思います。あるいは、非正社員の方ではもっとメンバーシップ、つまり雇用の安定性を確保する、強化していくということが必要だと思います。


 一方で、正社員の方はそのメンバーシップ、つまり雇用を長期的に確保するということは、ちゃんとルールは明確化した上である程度緩めなければならないかもしれないというように、この正社員と非正社員を歩み寄らせていって程々の中間的な働き方というものをいかにつくっていけるかということが、実のところ、その少子化ということが背景として、迂遠なようですけれども、重要なのではないかというふうに私は考えています。


(byノックオン)