貧困問題に取り組まない政治家はいらない - 総選挙で私たちが望むこと | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 1カ月後にせまった総選挙に関する論評とアピールを紹介します。1つは、NHKラジオ第一の「ラジオあさいちばん・ビジネス展望」(7/21)で放送された内橋克人さんの「『暑い夏』に問われること」。もう1つは、反貧困ネットワークの「7.31選挙目前!~私たちが望むこと 集会宣言」です。


 ▼「暑い夏」に問われること(経済評論家・内橋克人氏)


 総選挙で何が問われるか?


 2006年9月に小泉政権が去り、この3年間に安倍、福田、麻生と3人の首相がこの国を担いました。とりわけ小泉構造改革の残された負の遺産にあえぎ続けたというのが小泉政権後であったと言えると思います。


 つまり、小泉構造改革が生み出した新たな構造問題である貧困と格差の問題が顕在化し、ついには世界同時危機に遭遇して、矛盾が一挙に吹き出したと言えるでしょう。


 かつて小泉フィーバーに踊った当の有権者の目にも深刻な社会的矛盾である貧困問題が可視化されてきたと思います。貧困と格差、この言葉に象徴されるように、経済変動が起こると、その負の影響、マイナスの影響が社会的弱者、弱い人々に収斂してしまう構造が生まれてしまったということなのです。その上、絶えず新たな弱者を生み出す、常に社会的弱者を生み出していく構造、これが社会に組み込まれてしまった。これは客観的に見て私は日本社会の大きな問題であると思っています。


 したがってこの暑い夏に問われるのは、こうした構造を必然的に生み出すような構造改革、こんな構造改革が「改革」の名に値するのか、「改革」の名で叫び続けていいのか、あるいは真の「改革」とは何か、それを問い直すのが今回の総選挙の最も重要なテーマだと考えるわけです。


 経済変動のマイナスの影響が社会的弱者に収斂していくという仕組みとは?


 たとえば今回の解散で、この国会で審議予定だった労働者派遣法改正案ですね、これも廃案になってしまったわけです。緊急を要する、最も重要なテーマであったわけです。小泉構造改革の元で解禁されたのが製造業への派遣労働の解禁、派遣労働を許したことですね。これは絶えず社会的弱者を生み出す仕組み、装置の一つだったと思うのです。派遣労働がなければ企業は成り立たないだとか、働き方の自由化・多様化だと、こういう大義名分、これは私はトリックとかレトリックだと思うのです。やはり企業としての成立要件、社会的責任が大きく問われていると思います。


 派遣労働の実態をよく知れば、この実態というのは労働の差別化です。たとえば社会保障体系から排除された極めて低いコストの労働力を合法的に調達する手段になっています。企業にとって都合のよい景気変動のクッションにほかならなかったのです。その象徴が、皆さんの目に見えるようになった昨年末から新年にかけての東京日比谷での「年越し派遣村」だったと思うんですね。


 いまだに、この派遣労働を労働の多様化だと言っている労働経済学者がいますが、これは考え直していただきたいと思っています。ILOの調査によっても、失業保険を受けることができていない失業者の割合、先進国の中で日本は最悪の数字です。じつに8割近い失業者が失業保険を受けることができない。ドイツ、フランスですと1割そこそこですし、アメリカでさえ57%です。


 経済変動のマイナスの影響が社会的弱者に収斂していくというのは、そういう意味で、非正規雇用者、あるいは障害を持つ人々、高齢者、さらに健康を失って介護・医療を必要とする人々、そして所得の低い人々、そういった社会的弱者に経済が変動した場合に負の衝撃が集中しているというのが今の社会の明らかな現実だと私は思います。


 なぜ、社会的弱者に矛盾が集中するようになってしまったのか?


 ここが最も重要だと思うのですね。構造改革の中身を問わずに、「改革」という言葉だけに、小泉フィーバーの頃はマスコミも国民も熱狂してしまった。それがいま時限爆弾のように、小泉時代に仕組まれた構造改革のしっぺ返し、これが時を隔てて炸裂しているのです。


 小泉政権が「改革」の名において実行したのは新自由主義改革です。振り返って総括すると、次のような政策のパッケージによって成り立っていました。パッケージですから一つひとつ取り上げてどうこう言ってもしょうがないので、全体を一つとして行ってきた。ここが問題なのです。


 大きく言って5つあります。


 第1に富裕層優遇減税。これを断行しました。所得再分配政策を拒否して、税制のフラット化、平板化を行って、累進課税の最高税率をうんと低くしてしまった。


 2番目に労働保護規制の撤廃です。労働者を解雇する自由をつくった。労働保護規制の解体によって、労働者を保護の対象の外に放り出してしまう。つまり労働者は保護されない。そういう企業にとって有利な労働力、派遣労働者をはじめ非正規労働者を大量に、合法的に生み出しました。


 3番目に福祉・社会保障の削減。そして4番目にマネーに対してバリアフリーの社会に日本をしてしまった。つまりマネーにとって障害も規制もない社会にした。自由にマネーが暴れ回ることができる社会に日本がなってしまっている。5番目に市場競争至上主義です。


 こうしたことが「企業の国際競争力強化」とか、「グローバル化への対応」とか、いろいろな大義名分で強行された。大事なことはパッケージで強行されたということで、一つだけを取り出して論じても本質的な問題は見えてこないことに注意することが大事です。構造改革全体として、パッケージとして、こうした問題が相互に関連しながら強行された。その結果が、社会を構成する様々な部門、家計というセクターと企業というセクター、こういう間に乖離と格差が急速に拡大して、貧困問題が顕在化したわけです。もう現在では、ある意味で貧困マジョリティー、貧困層の多数派と、富裕マイノリティー、富裕層の少数派、この二つの階層に分裂してしまうという、不均衡国家への瀬戸際に立たされている危険な状況だと私は思っています。


 国民は真に自分たちのためになる改革とは何か、一人ひとりが問わなければいけない


 真の改革とは何なのか、人間が人間らしく生きられる社会をどう築いていくのか。この問題を原点から問い直すことが大切だと思います。


 私は、まず第1に生きていく安全性が保証されていなければならないと思います。これは物理的にも経済的にもという意味です。2番目には生き方の選択が自由でなければならない。これが保証されていなければならない。3番目に社会的排除があってはならない。ある階層だけを排除していくということがあってはいけない。4番目に社会的有用労働、介護とか医療とか、そういう現場で働く人々、社会が必要とする労働がきちんと満たされなければならない。5番目に、以上あげたことが持続可能であること。これらが、人間が人間らしく生きていける社会の条件だと思うんです。


 以上に示したような5つの条件に答えられる日本社会の建設をめざしてこそ真の「改革」と呼べるものであって、有権者はこうした大きな視点から、今回の総選挙の投票にのぞむ必要があるのではないかと思っています。


 反貧困ネットワーク
 7.31選挙目前!~私たちが望むこと
 集会宣言


 総選挙が1カ月後に迫っています。問われているのは「どの政党の誰がふさわしいか」だけではありません。私たちが、どのような政府、どのような「国の形」を求めるのかが問われています。


 以前から進行していた生活の不安定化に昨年秋以降の大不況が拍車をかける形で、日本社会の貧困化が止まりません。生活相談・労働相談・自殺防止相談の各種窓口はどこもパンク状態で電話もつながらず、ホームレス状態にある人たち向けの炊き出しに並ぶ人々は昨年の2倍から3倍に急増しています。年末年始の派遣村以降も、「雇用壊滅」とも言われるさらなる雇用環境の悪化や雇用保険切れなどの影響で、事態はますます深刻化しています。


 しかしながら、「第2のセーフティネット」は依然として始まらず、労働者派遣法の抜本的改正も果たされませんでした。生活の成り立たなくなった人たちの多くが放置されている状況は、依然として何も改善されていません。そして、この現状の改善を政治に反映させたくても、少なからぬ人たちが投票によって意思表示する機会を奪われている状態です。


 私たちは何年も前から、貧困化する日本社会の状況を憂い、「人間らしい生活と労働の保障」を求め、そして「貧困問題に取り組まない政治家はいらない」と訴えてきました。今、それを改めて、より一層強調する必要を感じています。


 貧困問題に関心を寄せる私たちは、すべての候補者に国としてただちに貧困率を測定し、貧困率の削減目標を立てるよう求めます。そして、次期首相が国会の施政方針演説で、日本国政府としてその実行を宣言することを求めます。


 国の経済力は経済成長率で表されてきました。国の健全さを表す指標は何でしょうか?


 90年代以降、経済成長を遂げれば人々の生活も豊かになり、貧困も解消していく、という相関関係は崩れました。経済成長率と貧困率は独立の変数として見る必要があります。経済成長を遂げても、貧困が増えるのであれば、「何のための経済成長か」と問われる必要があります。2つの指標が政策評価指標として十全に機能して初めて、一人ひとりの健全な生活を基礎にした成長、「安心」と「活力」を両立できる社会と言うことができるのです。


 私たちは、貧困の少ない社会、貧困を減らしていくプロセスにこそ、国の健全さを見出します。貧困の多い国は病んでいます。貧困があるのに、それを直視できない政府はもっと病んでいます。


 OECDは、日本の8人に1人が貧困状態にあると指摘しました。子どもの貧困率は7人に1人、一人親世帯では3人に2人に達します。相対的貧困状態にあると言われるこれらの人々の多くは、服を着て靴を履いています。1日3食ではないかもしれないが、ご飯も食べているでしょう。それを見て「まだ余裕がある」と言う人がいるかもしれません。しかし、私たちが築いてきた社会は、そんな情けないものだったのでしょうか。政府から「まだまだ絞れる」と言われる社会が、私たちの社会なのでしょうか。私たちが求めているのは、誰もが人間らしく暮らせる社会、そしてそれを可能にする政府です。


 政府は1965年以来、貧困率の測定を行っていません。つまり私たちが求めているのは、貧困問題に関する半世紀ぶりの政策転換です。すでに複数の官民による信頼できる試算がなされており、貧困率の公認は、貧困問題を直視し、それに立ち向かおうとする政権の「意思」の問題となっています。貧困問題を解決する「意思」を欠く政府に、私たちは私たちの生活を任せることができない。


 貧困と向き合う政治的な意思、それを可能にする選挙結果を、私たちは「反貧困キャンペーン2009」に参加する全国各地の人々とともに、求めます。


 以上、宣言します。
                2009年7月31日集会参加者一同


(byノックオン)