「軍事には軍事で」じゃなく他国との対話と共存こそ必要 - 憲法9条は戦争ふせぐ最良の方法 | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 日本国憲法第99条には、「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記されています。


 公務にたずさわるすべての人が、法秩序の最高規範である憲法に基づいて政治や行政を遂行する義務を、主権者である国民に対して負っていることを確認している規定です。


 この規定には国務大臣や国会議員も明記されています。仮に、憲法9条に反対する立場に立つ国務大臣や国会議員であっても、行政や立法にたずさわるときには「憲法尊重擁護義務」があるということです。


 私たち国家公務員労働者も、就任にさいして、憲法を尊重擁護するとの趣旨を含む宣誓を行い、行政にたずさわるにあたって、この立場を厳守する義務があります。


 そして、私たちに、「尊重擁護義務」がある「憲法9条」には以下のように明記されています。


 日本国憲法 第9条【戦争の放棄】


 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 私たち国公一般の加盟する国公労連(日本国家公務員労働組合連合会)は、2006年11月26日付の『読売新聞』朝刊に、「憲法9条が未来をひらく - 武力で平和は築けません/私たちは、日本を「戦争する国」に変える9条改憲に反対します」と題した意見広告を掲載しました。(じつは私は制作担当でした)


 そのときに、「九条の会」呼びかけ人の劇作家・井上ひさしさんから寄せていただいたメッセージが、私たちの考え方を端的にあらわしていると思いますので、以下紹介します。


 憲法9条は戦争ふせぐ最良の方法 井上ひさし氏(劇作家)


 人間には残虐な面があることはたしかですが、言葉をもち、その言葉で気持ちや考え方を交換し合う能力があります。むだな争いはやめて、なかよく生きることもできるはず。ちかごろ、この第9条の中身が古いという人たちがいます。「平和主義」という考え方は古いでしょうか。問題が起こっても、戦争をせず、話し合いを重ねて解決していく。その考え方が古くなったとは、私にはけっして思えません。むしろ、このやり方はこれからの人類にとっての課題ですから、第九条は、新しいものだといっていい。日本は正しいことを、ほかの国より先に行っているのです。「平和主義」という考え方は、人類にとっての理想的な未来を先取りしたものだといえます。その考え方が戦争をふせぐ最良の方法だと注目している人は、外国にもたくさんいます。第9条は、世界の人々のあこがれでもあるわけですから、なんとしても、その精神をつらぬいていきたいものです。


 上記の井上ひさしさんのメッセージを若干補足すると、「第9条は、世界の人々のあこがれ」というのは、例えば、国連のミレニアム・フォーラム(2000年5月開催、106カ国参加)の「平和・安全保障及び軍縮の最終報告書」で、「すべての国が日本国憲法9条にのべられている戦争放棄の原則を自国の憲法において採択する」と明記されたり、100カ国が参加したハーグ世界平和市民会議(1999年5月開催)では、「公正な世界秩序のための10の基本原則」を採択し、冒頭の第1原則に「各国議会は、日本国憲法9条のように、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」とうたったことなどを指します。


 さらに補足として、明治大学の山田朗教授の講演の一部要旨を紹介します。(※2006年の映画人九条の会で行った講演でちょっと古いですが)


 大事なことは、アジアにおける軍拡の連鎖を断ち切る必要があるということです。意外に日本国内では意識されていませんが、日本の軍事力というのはアジア諸国の注目の的になっています。日本から見ると北朝鮮や中国の方がどんどん軍拡しているというふうに見えます。確かに軍拡しているのですが、もとはといえば、日本の軍拡が口実になっているのです。だいたい現在の自衛隊の軍事力は、専守防衛を目的にしているにしては巨大すぎます。為替レートの換算の仕方によって多少の変動はありますが、日本の防衛費5兆円弱というのは世界で2~4位にランクされます。しかも、冷戦後各国が防衛費を減らすなか、唯一日本だけは横ばい、もしくは増えているのです。加えてアメリカ軍がいますからそれが中国や北朝鮮の口実にもなっているのですが、こうした日本の軍事力の状況が、アジアにおける軍拡の非常に大きな要因になっているのです。


 やっかいなのは中国が軍拡に走ると、それに対抗するためにインドが軍拡に走り、インドが軍拡に走るとインド洋の沿岸諸国が軍拡に走る、という連鎖反応が起きてしまっているのです。


 「軍事には軍事で」という論理をつきつめれば、中国や北朝鮮の核に対抗するには日本も核武装するしかなくなります。ここで、アメリカの「核の傘」理論の登場です。北朝鮮が日本を攻撃できない理由のひとつには、もしそんなことをすればアメリカに攻撃されて国家が崩壊するという恐怖感があるといえるかもしれません。


 しかし、アメリカの「核の傘」は、日本を守るためにあるのではなく、アメリカの国益を守るためのものです。その時の国際環境にもよりますが、何がなんでも日本を助けるというほど、アメリカは単純ではありません。


 そしてこの「核の傘」理論は、有効でないどころか、逆に弊害があります。「核の傘」理論でいけば、当然「核には核を」という話になります。日本がアメリカの「核抑止力」に頼っている限り、「こちらも自衛のために核を開発するんだ」という口実を北朝鮮に与えることになるのです。核に限らず、日本が軍事力に頼れば頼るほど、中国や北朝鮮に軍拡する理由を与えてしまうわけです。「軍事には軍事で」という論理では、アジア諸国の軍拡競争を泥沼化するだけなのです。


 ハード面の「軍事力」というのは存在しているだけでは「脅威」にはなりません。もし、「軍事力」が存在するだけで「脅威」であるのならば、日本の最大の「脅威」は、軍事費で計ると世界全体の半分を占める「軍事力」を持つアメリカであるということになります。しかし、今の状況でアメリカの「軍事力」を脅威だと考える日本人はそう多くないでしょう。存在する「軍事力」が「脅威」になるのは、その国と敵対的な関係となったときに初めて「脅威」となるのです。


 つまり、政治的に大きな敵対的要因を抱え込み、相手を「敵」であると認定したときにその国の「軍事力」が「脅威」となるわけで、日本が近隣のアメリカや韓国や台湾を「脅威」とみなしていないのは、これらの諸国と非敵対的な関係を意識的に構築しているからです。


 ロシア(旧ソ連)は、1980年代までは日本にとって最大の「脅威」とみなされていましたが、米ソ冷戦の終結とともに、日本とロシアとの関係も改善され、今やロシアはほとんど「脅威」とみなされていません。中国は、逆に1970年代以降、関係の改善が進むに従って、「脅威」ではなくなっていたわけですが、最近になって日中関係の政治レベルでの冷え込みによって、中国が「脅威」であると主張する人が増えてきました。北朝鮮については、冷戦時代から国交のない唯一の近隣国家として政治的に不正常な関係を続けてきており、そのような政治的な関係が反映して「脅威」として扱われることが多いわけです。


 つまり、「脅威」であるから政治的に敵対するのではなく、政治・外交上の敵対関係、不正常な関係が相手を「脅威」にしてしまうのです。ですから、私たちは、「脅威」があるから軍事的に備えるというスタンスに立つのではなく、いかに「脅威」を作らないか、という観点で外交努力し、他国との対話と共存を追求していく必要があるのです。(※山田朗教授の講演要旨はここまで)


 ※参考までにGIGAZINEさんのHP に掲載されている「世界の軍事費を一目で比較できるグラフ」です。

       ▼世界の軍事費を一目で比較できるグラフ


すくらむ-世界の軍事費


 さらに、昨日に続いて、伊藤真さんの講演です。伊藤さんは、次のように語っています。


 雑誌『世界』に、2001年の「9・11」の被害にあわれた方のお父さんのことがルポタージュで載っていました。中村拓也さんという西日本銀行の行員だった方が、30歳ですけれども、1年ほど前にニューヨークに赴任され、そして102階のオフィスで仕事をされていた。数か月前に職場で出会った女性と結婚されていたそうです。


 「9・11」の犠牲になった中村拓也さんのお父さんが、アメリカがアフガニスタンへの空爆を始めた後に、新聞の取材に答えてこんなことをおっしゃっています。


 「仇討ちができてよかったね、と知人に電話で言われた。でも報復は暴力の連鎖を生むだけだ、せがれは事件に巻き込まれたが、さらに関係のない人たちが命を失うのは耐えられない、日本はアメリカの腰巾着になる必要はない。テロの背景にある貧困の解消など他の手立てを考えるべきだ」、そうおっしゃってます。そのお父さんは、まさにテロの直後、ご自身の大切な息子さんを失って、怒りに震え、そして憎しみを持って、そして、仕返しだ、報復だ、と言ってもいいその時にこのようにお話をされているんです。私はすごいことだと思いました。さらにこうおっしゃっています。


 「子どもを奪われることの辛さ、つまり命の重さというのは、息子を失ってからより真剣に考えるようになりました。テロリストも国家も正義を語る。しかし、関係ない人の命を犠牲にするところに正義などあり得ない、せがれにこの私がいるように、どの人にも家族や恋人がいるわけです。そこへ思いをいたさずして、正義などけっして実現できないと思います。テロをなくすための特効薬なんか誰も思いつかないと思うし、妙案もたぶんないでしょう。でも、ないからこそやれることというのは、青臭すぎるかもわからないけれども、人を愛することとか、人の命を尊ぶこととか、それを一生懸命訴えていかなければ、隣人を愛する、誰の命も大事にする、そこからはじめていかなければ解決はしない、いくら遠回りでもそこが原点ではないかという気がします」


 まさにご自身の大切な息子さんを亡くされた方の言葉です。これが、憲法9条の精神だと私は思うのです。(※伊藤真さんの講演はここまで)


 最後に、ロック・ミュージシャンの故・忌野清志郎さんのアースデイ東京2005のコンサートでの言葉を紹介してこのエントリーの結びとします。


 ロックの基本は愛と平和だ。
 一番の環境破壊は戦争なんだ。
 この国の憲法9条を知っているかい。
 戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。
 まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。
 世界中に自慢しよう。


(※本当はこのあと、忌野清志郎さんが日本語で歌ったジョン・レノンの『イマジン』の歌詞を紹介したいところですが、残念ながら歌詞には著作権がありますので引用できません。ご了承ください。byノックオン)