約1分半に1人が自殺未遂はかる日本社会 - いつ誰が自殺へ追い詰められても不思議ではない | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 『西日本新聞』(4月12日朝刊)に、「熊本いのちの電話 自殺相談が急増『景気の悪化など要因』」という見出しの記事が掲載されています。そこには次のように書かれています。


 「もう、死にたい」--24時間態勢でさまざまな悩み相談を受け付ける「熊本いのちの電話」(熊本市)に自殺願望を訴える相談が急増している。2008年の相談件数は901件(全体の相談件数は1万5406件)で、前年の1.5倍に達した。国内の自殺者数は11年連続で年間3万人台を超えているが、受話器の切実な声に耳を傾けるボランティアの相談員たちは「“予備軍”がさらに増えている」と危機感を募らせている。(中略)相談者の年齢別は30代が248人と一番多く、40代(219人)、20代(172人)、50代(167人)。中学生や高校生からの相談が減る半面、働き盛りの世代が急増しているのが近年の特徴だ。(中略)「ストレス社会の中で、家庭や職場でトラブルを抱えている人も多く、景気の悪化など社会的な要因が相談増加の理由では」と池田幸蔵事務局長(59)。1985年に開局した「いのちの電話」には現在、相談員約120人が登録。24時間態勢で2人が電話機の前に待機し、08年は計1万5406件の相談を受け付けた。


 また、福島放送のホームページには、次のニュースがアップされています。


 過去最多1万5533件 福島いのちの電話(2009年03月28日 10時00分配信)


 自殺などを防ぐため電話相談に応じる「福島いのちの電話」の昨年1年間の受付件数は過去最多の1万5533件で、平成9年の開設以来初めて1万5000件を突破した。


 働き盛りの30代、40代からの相談が増えており、福島いのちの電話は「雇用情勢の悪化を反映した可能性がある」とみている。県は経済悪化を踏まえた対応を各相談機関に求めるなどの対策を進めている。福島市の県自治会館で27日に開いた県自殺対策推進協議会で示された。県は経済情勢の悪化に対応した自殺対策が重要とみて、労働局や医療、司法関係団体などに、メンタルヘルス対策支援や多重債務者への相談などを強化するよう求めている。同時に、就業の相談窓口を設置したり、うつや自殺予防の相談に応じるための研修会を開催するなど、対策を強めている。


 前のエントリー「20代と30代の死因の1位は自殺 - 若者を自殺へと排除する現実と若者バッシング 」では、20代と30代の死因トップが自殺であるという事実や、男性25~44歳の自殺率では日本は他のOECD諸国の自殺率をここ数年上回っていることを示して、東京大学教授の本田由紀さんによる若者バッシング批判を紹介しました。またそれを補強するエントリー「39歳以下の自殺者数が増加、40歳以上は減少(2008年対前年比) 」では、表題にある事実と、1999年から2005年の自殺数変化では、中高齢層の自殺率の寄与がマイナスの方向を向いており、代わりに20代、30代の自殺率の寄与度が高めに出て、中高齢層のマイナスの貢献を打ち消す形になっていることを、NPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」 の『自殺実態白書2008』の分析で紹介しました。


 それに対して、「健康な20代30代の死因のトップが病気と事故ならそっちの方が異常ですよ」とのコメントが寄せられています。


 しかし、日本以外の主要先進国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ)の中で、20代と30代の死因のトップが自殺である国はありません。日本以外の主要先進国は、事故か悪性新生物(がん)がトップになっているのです。


 例えば、アメリカにおける20代と30代の死因の順位(2003年)をみると(※日本は2002年から20代、30代の死因トップが自殺となっています)、35~44歳では1位=事故16,766人、2位=悪性腫瘍15,509人、3位=心臓病13,600人、4位=自殺6,602人。25~34歳では1位=事故12,541人、2位=自殺5,065人。15~24歳では1位=事故15,272人、2位=殺人5,368人、3位=自殺3,988人です。(←2位が殺人というのは異常かもしれません)


 また、2003年の5~24歳の自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)の比較では、日本の6.7%に対して、イギリス3.2%、フランス4.2%、ドイツ4.2%、アメリカ5.4%、イタリア2.4%などとなっています。(※「OECD社会政策指標」より)


 この数字をあげた上で、OECDの説明資料には、「社会的孤立は自殺者の生活の特徴となっていることが多いが、背後にある原因は複雑で単一の要素に帰着させることはできない。社会や家族環境といった外部からのプレッシャーが、子どもの時代から大人へ移行するむずかしさと結びついて、若者たちを極端な対応を考えるように仕向けてしまっている可能性がある。青年期における教育面と社会的な連帯の措置が必要である」と書かれています。


 これまでのエントリーでデータと分析を使わせていただいているNPO法人「自殺対策支援センター・ライフリンク」 の代表・清水康之さんが主張されている点を紹介します。


 以下は、『月刊福祉』(4月号)に掲載されている清水康之さんの寄稿「自殺させない地域社会をつくるために」の一節です。


 交通事故で亡くなる人の数は昨年1年間で5,155人であったから、いまや自殺で亡くなる人はそのおよそ6倍にものぼる。自殺死亡率でみると、米国の2倍、英国の3倍という異常な高さだ。自殺の問題は、経済の問題というより、社会全体の問題、社会のひずみが、自殺者の数に表れているのだと私は思う。


 私達が行っている自殺の実態調査からは、1人の自殺の背景には平均して4つの要因があることがわかってきている。(中略)一人ひとりの「自殺の危機経路(自殺で亡くなるまでのプロセス)」を分析した結果、明らかとなってきたのだ。


 警察庁が毎年発表している「自殺の概要資料」では、自殺要因の「○%が健康問題、△%が経済問題、□%が労働問題」といった具合に、それぞれの要因が独立した関係であるかのように扱われているが、自殺の背景はそれほど単純ではない。むしろ、いくつかの要因が互いに連鎖しあいながら、「危機経路」を形成するなかで、自殺は起きている。(※詳細は『自殺実態白書2008』参照


 自殺の実態調査からは、自殺問題の本質に関わるようなデータも明らかになってきている。その1つは、自殺で亡くなった方の実に72%もが、自殺する前に、自分が抱えている問題を何らかの専門機関に相談していたというデータである。しかも、その内の6割以上が亡くなる1カ月以内に相談していたというのだから、これは本当に驚きである。


 自殺というと、「選択された死」「身勝手な死」といった印象をもたれることが多い。しかし調査を通してみえてきたのは、自殺で亡くなる人の多くが、本当は生きることを望み、最後まで何とか生きる道を探そうともがいていたことだ。


 考えてみれば、「毎年コンスタントに3万人ずつ」が自殺で亡くなっているという現実は、自殺を個人の問題とするにはあまりにも不自然であると言わざるを得ない。もし「自殺する性格の人」がいて、そうした人ばかりが自殺しているというのであれば、ある年に自殺者が集中しても不思議ではないのだが、実際にはこの10年間「毎年コンスタントに3万人ずつ」が自殺で亡くなっているからだ。


 これは、日本社会のなかに3万人分の「落とし穴」があって、毎年そこにはまった人が自殺で亡くなっているということだろう。そして、穴に落ちた人が亡くなって穴が空になると、また別の人がその穴に落ちる。いや、落とされるのである。


 自殺は、人の「生き死に」の問題であり、その意味で極めて個人的な問題であることは間違いない。ただ自殺は同時に、社会的な問題であり、社会構造的な問題でもあるのだ。


 最後に、ちょっと古いですが、2007年7月31日にNHK「視点・論点」で清水さんが語った内容の一部を紹介します。


 自殺率が、アメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍という高さですから、この事態の深刻さは諸外国と比較しても際立っています。


 また自殺で亡くなる方の背景には、少なくともその10倍の数の未遂者がいると言われています。ですから実際には、1年間に30万人以上、1日およそ1000人もの人たちが、この時代に、この社会のどこかで、自ら命を絶とうと「自殺」を図っているということになります。


 しかし、自殺の問題が、私たちにとって、それだけ身近で深刻であるにもかかわらず、その危機感が社会で共有されていないのはなぜなのでしょうか。


 ほとんどの人が、「自分は自殺なんかするつもりはないし、自分の周りにも自殺なんかするような人はいない。だから自殺は自分には関係のない問題だ」。そう考えているからではないでしょうか。


 確かに自殺が文字通り、「自発的な死」なのであれば、そう言えるかも知れません。


 しかし、現代日本社会における自殺の多くは、追い込まれた末の、選択を強いられた末の死です。


 学校でのいじめや介護疲れ、過重労働や生活苦、貧困が原因による多重債務、家庭の問題やセクシャルマイノリティーへの差別など。様々な問題を複合的に抱えてしまって、抱えさせられてしまって、問題解決への糸口が本人だけでは見いだせなくなり、生きる道が閉ざされて、自殺へと追い詰められていっているのです。


 そのことは、自殺で亡くなった方たちが遺した言葉にも表れています。


 「弱い父親でごめん。本当は、もっとキャッチボールをしてあげたかった」。これは、過重労働が原因でうつ病となり、自殺で亡くなった30代の男性、ある父親が、まだ幼稚園に通うひとり息子に宛てて綴った遺書の一節です。


 また、昨年10月に繰り返し報道されていた、いじめを苦に自殺で亡くなった中学生の男の子も、「お父さん、お母さん、こんなだめ息子でごめん。いじめられてもう生きていけない」と遺していたそうです。


 私たちと同じ、ごくごく普通の日常を生きている人たちが、本当は生きていきたいと望みつつも、生きる道を閉ざされて、しかも「ごめんなさい」と謝りながら、自ら命を絶たざるを得ない状況に追い詰められている。これは、日本の自殺の多くが、自分の意志という「点」ではなく、社会的要因によって追い詰められる「プロセス」によって起きているものだということです。


 その意味で、多くの自殺は、人為災害、社会的災害であるとも言えますし、日本社会の「人間の安全保障」に関わる問題でもあると言えます。


 いまの、この日本社会に生きている限り、自殺に、いつ誰が追い詰められても決して不思議ではない。私たちが追い詰められないとしても、私たちの子どもたちが、あるいは孫たちが、自殺に追い込まれかねない、大切な人を自殺で失いかねないということなのです。


(byノックオン)