路上一歩手前の「貧困」が増大、行政の裏口の民営化・最低生活保障を骨抜きにする貧困ビジネス激増 | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 雑誌『世界』9月号で、湯浅誠さんと生田武志さんが、「貧困は見えるようになったか」というテーマで対談をしています。湯浅さんは東京で、生田さんは大阪・釜ケ崎で、大学在学中から日雇い労働者や野宿者の支援に携わってきました。その二人の視点から貧困問題について語り合っています。


 大阪市では1987年に2000人近くが野宿者になり、90年度には路上死が252人に急増し、大阪・長居公園には600軒のテントが建ち、東京でも98年から99年にかけて、野宿者激増でテント化が進み、隅田川の両脇に1000軒、代々木公園に350軒、渋谷・宮下公園に100軒のテントが出現。バブル崩壊と98年の消費税増税で、日雇い労働者ではない一般の人が野宿者になるパターンが増えたといいます。


 テントという非常にわかりやすい形で、「貧困が可視化」されていたにもかかわらず、「それを日本社会はちゃんと受け止めず、『あいつらは好きでやっている、勝手に公園を占拠している』という見方で受け止める人が多かった」と湯浅さんは振り返り、「野宿の問題については、90年代、行政は何の対応もしていなかった、ほとんど放置していたというのが実情でしょう。行政との接点があるとしたら、排除される時だけだったと言っていいと思います」と野宿者問題を放置したきた行政のあり方を批判します。


 「野宿者数は、98年から2000年頃に山があらわれて、そのあと緩やかに減りました。大阪も01年と08年を比べると、私たちが夜回りしている範囲では野宿者は3分の1ぐらいに減っている」と生田さんは実態を語ります。野宿者数が減ったのは、「特に大阪では排除がひどかったために分散化して他の地方へ行った」ことなどに加えて、湯浅さんは、「貧困ビジネスが増えたということがある」と指摘します。


 「路上の一歩手前の領域が増大している。ネットカフェもそうですし、派遣労働者の寮なども膨大に増えています。工場の周辺にできている派遣の寮なんて何十万床という規模でしょう」


 「(貧困ビジネスの)領域が爆発的に厚みを増してきた。だから、かつてだったらアパート生活が維持できずに路上に出ることになった人も、そこでとどまっている」


 野宿者数が減るのだから「貧困ビジネス」があってよかったという話なのか?という問いかけに対して湯浅さんは、「そうではないと思います。要するに最低生活ラインの下にネットを張ってしまって、最低生活保障を骨抜きする機能を持ってしまっているわけです。ネットカフェ難民の問題が可視化されてきたとき、そこを入口に、路上でもアパートでもない、広義のホームレス状態の人たちの問題をクローズアップしていけばよかったのだけれど、そうはなっていない」「行政の不在を問題にしていかないと、貧困ビジネスの話も、『ゼロよりましじゃないか』という『議論』にもっていかれてしまう」と注意を喚起します。


 そして、「貧困ビジネス」は、セーフティーネットのほころびにつけこんだ産業であるだけでなく、「行政の一種の民営化」「表立った民営化ではなく、裏口からの民営化」であることに言及します。「たとえばSSS(NPO法人)の収容施設は、行政が施設をつくらない言い訳になっています。かつてであればこのような団体は路上で刈り込みをしなければ人を集められませんでしたが、いまはそんなことをしなくても役所が紹介してくれる。公共物がどんどんダンピングされている一つの側面です」と貧困ビジネスの本質を突きます。


 さらに行政は、「自立支援」の名のもとに社会の問題ではなく個人の「自立」の問題にした上で、対象をどんどん分散化させています。分散化が行政の利権になっている例として、「ジョブカフェに配置したリクルートのスタッフの日給が12万円だったとジャーナリストの小林美希さんがスクープしましたが、これももとはNTTデータが受注して、それをさらにリクルートが受けた事業ですから、もっとすごい金額だったわけです。ワーキングプア支援と言うけれども、それにつけられた予算の大半はそういう形で企業のほうに流れていく。また、事業を細分化して天下り先をつくっている面もあるのではないか」と湯浅さんは指摘します。


 必要なのは最低生活を保障するセーフティーネットと、まともな働き方を保障するルールの徹底であって、「自立支援」ではないにもかかわらず、たとえば、母子世帯を対象にしたマザーズ・ハローワークなどに典型的に見られるとして、湯浅さんは次のように語っています。


 「すでに日本の母子世帯は世界一働いているんですよ。その人たちに必要なのはハローワークではなく労働状況の改善だということは、多少でも実態を知っていればわかることでしょう。行政は知っていてわざとやっているのか。私は以前は意図的にやっているのではないかと思っていましたが、最近は、官僚相手に講義をする機会ができてきて、本当に何も知らないのかもしれないと思い始めました」


 行政・資本の責任を免罪して、個人だけの責任にもっていく「自己責任論」については、「貧困者を追い詰めて、自暴自棄に追い込んでいくだけ」(生田さん)、「『努力が足りなかったのだから仕方がない』という議論に対しては、貧困の実態を出していく以外にない」「現場から発信していくしかないわけですが、それを受け止める人が飛躍的に増えてきた感じはしています」(湯浅さん)と、自己責任論が果たしてきたマイナスの役割について理解が広がってきている面もあるとしています。
(byノックオン)