宗教と信仰と経文 | 『 真理は自然の中に在り 』
『精神文明と奇跡』
政木和三

第3章 肉体と生命体

宗教と信仰と経文

 最近は特に宗教による争いが各地各国に多く発生し、血みどろな戦争にまで進展しているところもある。宗教と信仰は、人々を救い、人々に精神的な幸福を与えるはずのものが、善人を戦争の苦難の道に追い込み、大衆を不幸のどん底に落としいれている。その原因は何であろうか。キリスト教のイエス・キリストがそのように教えたのだろうか?

 ゴーダマ・ブッタ(釈迦)、モーゼ、アラーの神マホメット、そしてイエス・キリストも、高次元の世界において同一の神か、あるいはその分身の神である。

 自分の分身が作った宗教を攻撃せよと教えるはずがないと思われる。それでは現在の争いは何に起因するのだろうか? それは、現在の宗教家の、自己の利益のために、自己の権益を増すために、動物的欲望を満足させるための闘争にほかならないものである。

 イエスも釈迦もモーゼもアラーも無限の愛と光を持つ絶対神の指令により、その時代、その社会情勢に合った教えを人民に与えるために、人間の姿となって天上界から降臨したものである。このように考えれば、宗教の対立はあり得ないことであり、もし闘争があるとすれば、神の教えを代行すべき現在の指導者は、もう一度昔に帰って、真の神の教えの何であるかを研究する必要があるのではないだろうか? そして全宗教が仲よく歩調を合わせ、世界全人類の幸福のためにつくさねばならないと思う。

 天玉尊先生が、神に対して、神様はどんな方ですか、そしてお名前を教えて下さいとお願いしたとき、

 神とは姿形なく、光の如く平等に慈愛を無償で与えるものであって、精神のある光のようなものである。名もないが、しいて名前が必要であれば

 『無上根本大聖尊』とでもしなさいとの教えがあった。

 その絶対の神の許(もと)にある天使が、人の世を救う姿としてあらわれたのが、釈迦でありキリストであるわけである。

 仏教もキリスト教も回教も神道も、全て同じ神の意志によって作られたものであり、その精神の基本とするところは全て同一のものであるはずである。どの宗教においても、根本は人間の幸福と平和を教えているものであろう。

 それが千年、二千年と経るに従って、その職にたずさわる人間が、自己の利益のために他の宗教を誹謗(ひぼう)することになった。同門の宗教においても、みにくい争いを新聞紙上で見るが、その管理者は、宗教が何であるかを忘れ去り、営利事業と考えているのであれば、宗教株式会社を設立し、製品等によって社会に利益を還元しつつ、自分も儲ければよい。自分は働かず信者の供物によって安穏な生活をむさぼりながら、内部で争いをするとは、常人よりも精神面は下劣ではなかろうか。

 このような心掛けで導かれる人は、また我欲におぼれるようになるのではないだろうか。救われたいと願っての信仰が、悩みの種にもなりかねないものとなる。


お経とは

 宗教には必ずといってよいほどお経がある。お経をあげないと仏様に申しわけないと思って、忙しい時間を割(さ)き、気持ちはいらいらしながら、心は他の事に頭をいっぱいにして読経している人を見かける。

 お経とは何であろう。人間の作文は詩とか歌になるが、お経とは、神示等によって作られた神の言葉である。神が造ったお経を神の前で唱えて何の意味があるのだろうか。

 神が経文を授けるとき、その意味をよく理解し、実践せよと教えられたはずである。お経は唱えるものではなく、心の教訓として、自分の心の中に焼きつけるために読むもものなのではなかろうか。

 中には例外として、般若心経(はんにゃしんぎょう)のように、古代インド語を漢文で表現し、意味のわからぬようなお経や、神道の大祓詞は、精神統一のときには、それを無心に唱えることによって無我の境に入る利点もあろうが、一般の経文はその意味を悟ることが主体となっている。お経は唱えるものではなく、自分がよく理解し、その精神を実践に移すようにしなくてはならないものである。

 また、仏前神前にぬかずかないと神仏に心が通じないように思う人も多いが、神は人間の心を見透(みとお)しであり、手を合わせて神前に頭を下げなくても、遠くから心の中で手を合わせることによって、心は神仏に通ずるものである。

 『神は自分の心の中にある』

 形式にとらわれず、心のあり方の問題であることを自覚すべきである。

 最近は新興宗教なるものが各地に発生しているが、その教祖さまは、予言、透視、治病等の不思議な力を持った人が多いが、それがすべて善の神の力だと思うことは早計である。

 私の政木フーチパターンにより測定すると、確かに大きなエネルギーは持っているが、それは動物的な力であって、物欲と自我本能の精神の持ち主の人がある。

 これらの人々は、信者に対して金銭物資の奉納を強要し、それを断れば、神罰を下すと脅すために、弱い信者は仕方なく泣く泣くその通りに供物を続けている。

 真に善い神は、人間を幸福にさせようとはするが、罰は絶対に与えないものである。物を強要する教祖は、虎の威を借りる何とかのように、自分のよこしまな霊感を悪用し、神の意志のように見せかけた私利私欲の発露であるのであるから、信者はおそれることなくそれと決別すべきである。

 善神の指導により、真に人を導く教祖とは、供物よりも、悩める人に喜びを、貧しい人には惜しみなく物資をも与えることができる人である。


神とは

 ある小学校の先生が『私は奇跡を見た』の本を読んで『神があるように書いてあるが、神とはどんなもので、どこに居ますか』と聞きに来た。

 筆者も五年前までは、神とか仏とかは観念上のものであって、実在しないと思っていた。天玉尊先生を知ってから、甘露の湧出、真珠の発生そして仏像の出現等、物理的にはあり得ない奇跡が続出したが、それでも信じられなかった筆者に、目の前で大黒様があらけずりから完成したり、筆者の口から出た真珠が、計る度ごとに直径が大きくなり、身体が悪いときには小さくなった事実等、科学的には説明も証明もできないことではあるが、それが事実として記録に残り、また現品が実在すればそれは事実である。

 科学的に説明できなくても、事実それはこの世の中に実際に起きたことである。それが人間の力の及ばないことであり、自然の現象でもなければ、それは誰がしたことであるかと考えると、やった者がいないことになる。そのわからない誰かのことを『神』と仮りに名付けてもよいのではないか?

 天玉尊先生も、神様とはどんな姿かを尋ねたことがあったが、そのとき神らしき方から、

 神とは定まった形もなく、名もないものである。心を持つ光のようなものだから、形が欲しければ、自分で名をつければよい。例えば

 無上根本大聖尊のような名もよい、ということから、天玉尊先生は神を呼ぶとき

 『無上根本大聖尊』と唱えている。


 降神の儀

 昭和五十六年の暮も迫った日、それはちょうど冬至の日であった。岡山の林原生物化学研究所の地鎮祭が行われた。参列者がテント内の式場に集合を終わり、最後に白装束の黒住(くろずみ)教の第六代黒住宗晴教主らがうやうやしく入場した。司会者の言葉によって式典が開始された。

 黒住教主が降神の“のりと”をあげた瞬間、私の胸に、ズシーンと、あるショックが発生した。この全身に響く衝撃は、昨年まで感じることのできなかった神の存在を示す特殊なショックである。

 筆者の背後に、昨年一月初めに、八幡菩薩が『政木の守護神となる』との神示によって降臨されてから、私自身に今までになかった感覚が一つ増したものである。それは、神社や、仏閣に詣でて手を合わせた瞬間に、胸にズシーンとくる感じである。小さなお宮やお寺で手を合わせた瞬間にそれを感じ、大きな神社でも、それを感じないところもある。つまり、昨年一月より、私の背後に八幡菩薩が守護神として降臨されてから、神の存在を知らされるようになったこの感覚である。

 いままで、地鎮祭のようなものは儀礼的なものであって、ただ形式的に行うものだとばかり思っていたが、この日の“神の降臨”の行事と共に、その会場に実際に神の降臨を身をもって知ったわけである。そのショックによって、感激とともに、眼を閉じた。

 しかし、眼をつむった瞬間に、開いているときよりも明るい黄金色が、眼の中いっぱいに広がった。不思議に思って、再び眼を開くと、テントの中はそんなに明るくはなく、眼を閉じたときよりも暗い。また眼を閉じると、前と同じように、非常に明るく輝やく黄金色であった。この光も神の存在を示すものであろうか?

 式典の終了後に、社長にそのことを伝えると、社長は、『私もその瞬間に、黒住教主が二倍にも、三倍にも大きくなったことを見ました。神はほんとうに降臨されたのですね』と、当たりまえのようにいわれた。

 生を受けて以来、六十有余年にして、初めて体験した降神についての感じであった。もしこの儀式が、ただ礼儀的なものであり、形式的なものであったら、二千年も三千年も続くはずがなかったのではないだろうか。

 自分が体験して初めてそれを事実として認める気持ちになったが、今まではこのような不思議なことは有り得ないと思っていた。…………そしてそんなばかな事があるものかと、真実を知らず否定してきた。人の話にも、そんな馬鹿なことがある筈(はず)がないと、一笑に付していた自分のレベルの低さに、深い恥らいの気持ちが湧き出してきた。

 自分のレベルが低いのはたなにあげて、自分が理解できないことは世の中に存在しないと、勝手に決めていた自分の過去が非常に恥ずかしく、思い出すだけでも穴に入りたい気持である。

 一年ほど前から、このような種々の体験をさせられ、神の存在を明確に知ると同時に、神とか仏というものの真の意義が少しばかりわかりかけてきたように思われる。

 別章でも述べたように、神とは精神をもった光のようなものであり、神の存在を知り、信ずることができる気持ちになれば、それ以降は、神に依存心をもってはいけないこと、神にお願いしてはいけないこと、ただ誠心をもって神に奉仕する気持ちがあれば、願わなくても、神は自分の希望の十倍も百倍もの力を与えてくれることを知ったわけである。

 宗教や宗旨のいさかい等はもっての他のことであり、神道、仏教、あるいはキリスト教といっても、その基はただひとつの絶対神なのである。その時代、土地、人種等によって、それに合った教えをそれらの人々に合わせるように教えただけのものであって、その基とするところは、ただ一つの絶対的な神の意志によってなされたことを知らねばならない。

精神文明と奇跡 039




第三刷発行:昭和五七年九月二十日
著者:政木和三
発行者:後藤房子
発行所:日新社 岡山市尾上二七七〇 電話〇八六二(八四)二一二一
印刷書:山陽印刷株式会社 岡山市中山下二丁目五-五〇-一〇一





 政木和三先生とのご縁の始まりは、昭和五年生まれの私の実父が小学生時代の頃より電気のイロハを教わり(実際に、電気ギター制作等々、様々な電気技術のご教授を、家族ぐるみのご近所付き合いの中で個人的に無償で賜ったそうです)、その後、御晩年には、政木先生の素晴らしいご発明品の集大成のひとつとして“世のため、人々のため”に御余生をかけ陰徳にご尽力なさいました超強力 神経波磁力線発生器(改名機器、インパルス磁力線、そして、Mリングと、すべての御販売は㈲政木研究所、㈱ケントにて)の製造に至るまで、数々のお仕事をお世話頂き、政木先生がお亡くなりになる最後の最後まで、私も含め家族ぐるみのお付き合いを賜わり、今も尚、心の底よりとても尊敬し、感謝している恩師・師匠です。

 以前に紹介させて頂きました政木先生の廃刊御著書『精神エネルギー』よりも更に5年前にご発刊なされました廃刊作品『精神文明と奇跡』を、政木先生からのお教えである『目先の欲望を捨て去り、世のため、人々のために尽力せよ!』との仰せを引き続き継承するため、これから毎日少しずつではありますが紹介させて頂きますので、皆様には再度、暫しのお付き合いの程、何卒、宜しくお願い申し上げます。

深謝
m(__)m





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