何かで埋めてゆくことで孤独から開放されることについて僕が考える幾つかのこと...。
結局、昨日も昨日のうちに昨日を終えることができず、誰もおかえりを言ってくれない部屋に戻ったときには、時計は今日になっていた...。
リミットが明後日に迫る案件をAEとクライアントと詰め、制作会社にディレクションする仕事に没頭していると、本当に時間があっという間に過ぎてゆく。
来週の頭にも、少し大きめのミーティングを控えていてドキュメントを作成しなければならず、うーん、そちらも進めねば...。
しかしまぁ大好きな仕事に没頭できて、過ぎ去る時間があっという間に感じられるというのは、多分、幸せなことだと思う。
”哀しみ”や”孤独”なんて忘れ去ることなど出来なくて、何かで埋めてゆく以外に手立てが無いということが書かれていたのが、春の半ばに読んだ、小池真理子さんの『愛するということ』
『愛するということ』 小池真理子 幻冬舎文庫![](https://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=kohhei1970-22&l=as2&o=9&a=4344410513)
![$What happened is all good ! ~新しい価値を創造する、ある広告プランナーの呟き~](https://stat.ameba.jp/user_images/20100417/12/kohhei1970/03/d5/j/t00730111_0073011110499849137.jpg?caw=800)
ちなみにこの小説、今は僕の手元になくて、最近知り合ったある女史の手元にある。
どうやら主人公のマヤと同じような境遇や環境にあって、この小説に対して強く強く感情移入しているらしい...。
さて、本題。
40を目前にして、妻と離れ離れの生活となり、事実上三度目の独身生活を迎えて、もしこんな好きな仕事に恵まれるのではなく、いやいやながら仕方なく会社に行っていたら、一体、自分はどうなっていたんだろう?と思う。
人は淋しさから逃れるために、仕事をし、恋をする...。という名言を残したのは幻冬舎の見城さんだけれど、戦う男は孤独なんだと僕は思う。どんなにわかりあえる友がいても、一緒に戦える仲間がいても...。
もしかしたら離れて暮らす妻だって、同じように孤独と戦っているかもしれないし、故郷で暮す母親だって孤独かもしれない...。
つまり誰だって、一人、ふと自分の時間に戻った瞬間に、孤独や淋しさというものから逃れることなんて本当は出来ないのかもしれない。
つまり、そこから完全に開放されることなんて、それから完全に逃れることなんて、それを完全に消し去ることなんて、一人で暮している以上、出来ないのだと思う...。
そう、だから、僕にはそれを埋め合わせる方法が幾らかあることを幸せに思うのである。
好きな仕事、たくさんの小説、たくさんの音楽、料理に掃除に洗濯、そして、時に飲むお酒...。
そんな風に孤独を何かで埋め合わせようと、必死であがいているうちに何かポンとひとつ扉が開いてみたりするってことを、僕は何度か経験してきた。
つまり、淋しさや孤独を消し去ったり、逃れようとするのではなく、それを埋めあわせるために、何かに臨むことによって、新たな視界が広がってくるのだと思う...。
しかし、まぁ、鼾や歯軋りや寝言に対して誰からも小言を言われなくて、好きなものを好きなだけ美味しく食べることが出来、ワインを幾ら飲んでも誰からも文句を言われないというのも、ある意味、孤独が与えてくれる、ひとつの幸せかもしれない...。
そして、今日も僕はその孤独を埋め合わせるために、仕事をし、本を読む...。
リミットが明後日に迫る案件をAEとクライアントと詰め、制作会社にディレクションする仕事に没頭していると、本当に時間があっという間に過ぎてゆく。
来週の頭にも、少し大きめのミーティングを控えていてドキュメントを作成しなければならず、うーん、そちらも進めねば...。
しかしまぁ大好きな仕事に没頭できて、過ぎ去る時間があっという間に感じられるというのは、多分、幸せなことだと思う。
”哀しみ”や”孤独”なんて忘れ去ることなど出来なくて、何かで埋めてゆく以外に手立てが無いということが書かれていたのが、春の半ばに読んだ、小池真理子さんの『愛するということ』
『愛するということ』 小池真理子 幻冬舎文庫
![$What happened is all good ! ~新しい価値を創造する、ある広告プランナーの呟き~](https://stat.ameba.jp/user_images/20100417/12/kohhei1970/03/d5/j/t00730111_0073011110499849137.jpg?caw=800)
ちなみにこの小説、今は僕の手元になくて、最近知り合ったある女史の手元にある。
どうやら主人公のマヤと同じような境遇や環境にあって、この小説に対して強く強く感情移入しているらしい...。
さて、本題。
40を目前にして、妻と離れ離れの生活となり、事実上三度目の独身生活を迎えて、もしこんな好きな仕事に恵まれるのではなく、いやいやながら仕方なく会社に行っていたら、一体、自分はどうなっていたんだろう?と思う。
人は淋しさから逃れるために、仕事をし、恋をする...。という名言を残したのは幻冬舎の見城さんだけれど、戦う男は孤独なんだと僕は思う。どんなにわかりあえる友がいても、一緒に戦える仲間がいても...。
もしかしたら離れて暮らす妻だって、同じように孤独と戦っているかもしれないし、故郷で暮す母親だって孤独かもしれない...。
つまり誰だって、一人、ふと自分の時間に戻った瞬間に、孤独や淋しさというものから逃れることなんて本当は出来ないのかもしれない。
つまり、そこから完全に開放されることなんて、それから完全に逃れることなんて、それを完全に消し去ることなんて、一人で暮している以上、出来ないのだと思う...。
そう、だから、僕にはそれを埋め合わせる方法が幾らかあることを幸せに思うのである。
好きな仕事、たくさんの小説、たくさんの音楽、料理に掃除に洗濯、そして、時に飲むお酒...。
そんな風に孤独を何かで埋め合わせようと、必死であがいているうちに何かポンとひとつ扉が開いてみたりするってことを、僕は何度か経験してきた。
つまり、淋しさや孤独を消し去ったり、逃れようとするのではなく、それを埋めあわせるために、何かに臨むことによって、新たな視界が広がってくるのだと思う...。
しかし、まぁ、鼾や歯軋りや寝言に対して誰からも小言を言われなくて、好きなものを好きなだけ美味しく食べることが出来、ワインを幾ら飲んでも誰からも文句を言われないというのも、ある意味、孤独が与えてくれる、ひとつの幸せかもしれない...。
そして、今日も僕はその孤独を埋め合わせるために、仕事をし、本を読む...。