青酸ガス工室跡の先には、島最大の毒ガス貯蔵庫「長浦毒ガス貯蔵庫跡」が姿を現します。その巨大な外観はまるでアテネ宮殿を彷彿させるかのよう。
庫内は六室あり、台座も残っていますが、戦時中はそれぞれに10 0トン入りの超巨大鋼鉄製の毒ガスタンクが置かれていました。
島全体での毒ガス貯蔵量が約3,000トンと言われているので、ここにその五分の一の量が貯蔵されていたことになります。
3,000トンもあると、確実に一億人以上は殺すことができるでしょう。
入口側の小さな部屋は、真空ポンプと換気設備があった所。
また、各室内壁面は黒ずんでいますが、これは終戦時、毒性を完全に除去するため、火炎放射器で焼いた跡。
戦時中は外壁が迷彩色塗装されていましたが、今は色が落ち、入口前に擬装のため盛っていた築山も既にありません。
そこを過ぎると道は右に急カーブして進路を東に変えますが、カーブの北西の浜は発煙筒型毒ガスの点火試験場跡。’90年代後半の浜の清掃時、数十個の燃えカスが発見されています。
浜の南西隅には廃棄物焼却場がかつてあり、そこから管を前述カーブ先の右手まで這わ せ、現存する三個の長方形の煙道口に繋いでいました。
煙道口上部の丘が煙突跡。
その先には芸予要塞北部砲台施設が道路の北 側と南の山中にあるのですが、まずは道を東進し、北側に三基ほど残る砲座や地下砲側庫を見学します。ここには12cm砲が設置されていました。
毒ガス施設が島に建設されて以降は砲座も毒ガスタンク置場として利用され、その台座が残っている砲座もあります。
次は道を引き返すのですが、南の山中に上がる道は二ヶ所あったような気がします。
記憶が定かではないのですが、最初、一本の道を上がった時、それが山上の中部砲台跡に繋がる道ではなかったため、また道路に引き返し、別の道を上がったような気がします。
兎に角、南の山中にある北部砲台施設は、南北に走る痩せ尾根を挟み、西と東に分かれており、その痩せ尾根には短い隧道を貫通させています。
こちらは赤煉瓦の地下兵舎が一列にずらりと並んでいます。各所に石段もあるので土塁上に上ることもできます。
こちらもかつて12cm砲が四門据えられており、同様に砲座が残っています。
探訪者は殆どいないのですが、北部砲台の観測所(指揮所)跡も探訪をお勧めします。場所は施設北東の北側に若干張り出した支尾根上。
観測所の機能は過去、何度か他の戦跡の説明で触れていますが、計測器を使い、発射された砲弾の方向、着弾地と目標物との距離等を測り、命中率を上げるために指揮する場所で、全ての砲座と海を一望できる箇所に設置されます。
砲台施設跡の東方から上部へ上がる狭い階段を見つけるとそれを上がって行きます。その最上部に円形の露天の観測所跡があり、先ほど訪れた道路北側の砲座を樹林越しに見下ろすことができます。西方の砲座は木々が茂って伺うことはできません。
観測所内部壁面に開く穴は伝声管跡。
次はいよいよ島最大の中部砲台跡へ。
未来に向けて発射(?)したい方は次の二つのバナーをプリーズ・クリックonMe&東日本義援金にも善意を。