道成寺奇譚(3・完) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

安珍・清姫の一件があった数日後、道成寺の住持の夢枕に蛇体と化した安珍と清姫が現われた。


二人は死後、あの世で夫婦となったが、成仏できず、蛇道自然、戦跡、ときどき龍馬-道成寺の安珍・清姫木像 に堕ちたという。故に経文にて成仏させてほしい旨、住持に懇願した。

翌日、住持は一門を集め、妙法蓮華経全八巻を写経し、盛大な法要を営んだ。


その夜、再び住持の夢枕に安珍と清姫が立ったが、安珍は都率天(とそつてん)、清姫は刀利天として生まれ変わった姿で現われ、成仏できた礼を言ったという。


それから約400年の年月が流れた正平14(1359)、源万寿丸の寄進により、新しい鐘楼が建立され、法会を執り行っていたところ、いきなり辺りが暗くなり、清姫の亡霊が現われ、妨害し、釣鐘が落下した。自然、戦跡、ときどき龍馬-釣鐘が落下した再興鐘楼跡


その後も釣鐘を設置しようとするものの、様々な事故があり、寺側も遂に鐘楼を破却せざるを得なくなった。

そして釣鐘は近くの山林に持って行って地中深く埋めてしまった。


が、それ以後、地中から不気味な鐘の音が鳴るようになったという。


なぜ一度成仏した清姫の霊が現れるのか不思議に思うかも知れないが、霊魂とは人間の人智を超えた存在であり、「個にして個ではない」。例えば神道では、一つの霊魂でも和(にぎ)御魂や荒御魂に自然、戦跡、ときどき龍馬-妙満寺の鐘 分かれる。


世俗的に解釈するなら、「いくら成仏したとは言え、鐘楼を再建するとはあんまりだわ。」と清姫の霊が思ったのかも知れない。


更に時代は200年流れ、時恰も戦国時代の天正13(1585)、豊臣秀吉による紀州根来攻め時、武将・仙石権兵衛が残党狩りでこの地に進軍した折、この釣鐘の話を聞き、それを陣鉦として用いようと、掘り返してしまう


そして釣鐘を京への運搬途中、京洛手前の坂でどうしても釣鐘を載せた台車が上れず、仕方なくまたその付近の地中に埋めた。

が、それ以後、近隣に数々の災いが降り注ぐようになる。


そこで天正16(1588)村人が掘り返し、寺町二条の妙満寺へと運び、妙満寺貫首・日殷大僧正によって供養され、以後、寺の鐘として使用されることになる。


尚、寺は昭和43(1968)、現在地左京区岩倉に移転しており、道成寺の釣鐘は鐘楼に吊るされることなく、大切に保管されている。

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