坂本龍馬の土木監督出向道(2) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[橘川~辻越跡]

市野瀬の次の集落は橘川で、入り口はY字路になっているので分かり易いのですが、その又の部分にはかつて常夜燈が建っていたと言います。今は祠の屋根のようなものが放置されてあるのみですが、恐らく、ゴミステーションをここに設置するにつき、撤去されたのでしょう。


車道はY字路なのですが、その自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-橘川の水路道 又の常夜燈奥には、水路に沿った自然の歩道が続いています。これが龍馬が通った頃の街道だと思われます。

街道は田の際を通り、酒店横に出ると車道に合流して、右折、左折とせわしく曲がり、集落を貫く主要道に合流します。


この道路もほどなく南に向きを変えて国道に出るのですが、その手前右手の三叉路に江藤新平関係者の捕縛地跡標石が立っています。新平はご存知、明治初期の自由民権運動家で佐賀県で「佐賀の乱」の首謀者となり、土佐に協力者を求めて来るのですが、新平本人は幡多から船で高知市浦戸湾に向かったとされています。


この集落には新平が滞在して、謝礼に金子を与えた家の伝承もあるのですが、関係者の伝承が新平本人とすり替わっているのでしょう。

自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-旧橘川橋の地蔵と道しめべ

国道を横断し、旧橘川橋を渡ると対岸の袂に地蔵と文化七年に設置された遍路道道標が残っています。地元の人等は、遍路道は北の大前橋から続いている旨、言いますが、それは昭和以降の話。大前橋が架橋される以前の往還は、橘川集落を通っていたのです。


道標に従い、斜め向かいの民家から右折しますが、この畑の法面沿いの街道は本来、途中から畑の中を斜めに横断していました。現在は法面をぐるぐる回って反転して車道に出ますが、北東の車道向いの墓下にまた自然の歩道が続いています。これこそ、街道の続きなのです


街道は築堤となって山際を進みますが、橘川と拳ノ川地区との境界の沢には、朽ちた木橋が架かっています。この道は小屋掛け左を過ぎると藪化しますが、常に街道は山際を走っているので、迷う可能性は低いでしょう。

自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-築堤となった街道

ほどなくまた道がきれいになりますが、すぐ国道のカーブ部に出ます。その先が 一里塚のあった辻越跡ですが、国道工事により、何メートルも掘り下げられているので、往時の面影はありません。

この日の踏査はここで時間オーバー。次の土日は東讃随一の桜の名所へ行ったり、写真展を撤収するついでに四国の三県の境界にある藩政時代後期の遍路道沿いの山へ登る予定です。それは今年後半若しくは来年出版予定の「四国の絶景」に掲載するためです。尚、当書には付録として山陽と近畿各県の絶景も収録予定です。