【雑感】大江健三郎『取り替え子』 | うんちくコラムニストシリウスのブログ

うんちくコラムニストシリウスのブログ

ブログの説明を入力します。

あれはどんな出来事だったのですか?せめてあなたにわかっていることだけでも、決してウソをつかず、飾りも隠しもしないで書いてくれなければ、私はなにも知ることができません。私はもちろん、あなたも、もう人生の時間は残り少ないのですから、ウソをいわず正直に生きて、その通りに書くこともして……終わってください。アカリが四国のお祖母ちゃんにいったように、しっかり元気を出して死ぬためにも、ウソでないことだけを、勇気を出して書いてください。

 同作品は、大江健三郎氏が義兄である伊丹十三氏の自殺後に書いた作品である。伊丹氏の自殺に関しては作中で巧みに動機が示唆されている。その自殺に至る(心中の)動機に関しては具体的に指摘する事はできるがあえて触れない。それこそが最大の魅力だからだ。

 他方で同作品の魅力は上記の点に留まらない。それはタイトル「取り替え子(チェンジリング)」である。「チェンジリング」とは、美しい赤ん坊が生まれると小鬼のような妖精が醜い子供と取り替えるというアイルランドの伝承であるのだが、「チェンジリング」の伝承と「義兄の自殺」を絡めることに同作品は見事に成功しており、かつその組み合わせが素晴らしいラストにしているのだ。

 改めて同作品を通して思ったのは、大江健三郎は「タイトル」を付けるのが天才的に上手い作家だと思う。

「死者の奢り」「芽むしり仔撃ち」「見るまえに跳べ」「われらの時代」「セヴンティーン」「個人的な体験」「万延元年のフットボール」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「みずから我が涙をぬぐいたまう日」「ピンチランナー調書」「新しい人よ眼ざめよ」…

 この独特なタイトルこそ、大江健三郎氏が優れた作家である最大の証左だと私は思う。

最後は義兄が理想の映画について語るシーンからぴかぴか(新しい)

 そこでおれはね、幾度も繰り返して見る必要のない映画を作りたい。一回こっきりの、新鮮な目ですべてを見てとれる映画を作りたいんだ。クローズアップを多用して観客に見るべきものを指図するというような、セコイことはしないよ。画面いっぱいに、その情景の全体をまるごと撮るのが、原則だ。そして映画を見る人間みなに、シーンの細部全体をしっかり見てとれる時間をあたえる。
(188頁)