『かぐや姫の物語』 2013年・日本
度肝を抜かれた。
もしかしたら今、自分は大変な傑作の誕生を目の当たりにしているのではないか。
その作品に傾けてきた人々の情熱が迸り出て、空気を作る。
その空気が劇場に満ちて、心を持っていく。
たとえばそれは、見たことのない旧知の少女。
裸足の足の裏。
足音ドタドタと走り回って、アパート住まいであれば苦情が殺到する騒々しさ。
クルクル回って、腹から笑う。
地べたの匂いを知っている。
これが、姫とは。
こんな、かぐや姫は見たことがない。
とにもかくにも、とてつもなく可愛い。
かぐや姫のみならず、ジイさんバアさんまでも可愛らしい。
可愛い人々が、必死に思う。
相手を思って、空回りの愛。
なんと、昔々の日本で繰り広げられる子育て問題じゃないか。
親が思う子の幸せは、子が思う幸せと同一ではないこと。
子育ての険しさ。
人を育む大変さに、子育て未経験ながら感じ入ったり。
何といっても、作画がスゴすぎる!
疾走感、解放感、浮遊する昂揚!
『風立ちぬ』を観た時に、作画に不安を感じたものだった。
腕利きのアニメーターをみんな取られた!と宮崎駿監督がキレていたのも納得。
色指定も素晴らしい。
これが、スタジオ・ジブリの本気だろう。
高畑勲監督は『アルプスの少女ハイジ』を生んだ人。
このかぐや姫はハイジそのものだ。
純粋で無鉄砲で元気で健気。
違いは何かといえば、高畑勲監督の描く少女は幼児である。
宮崎駿監督はロリコンである。
この差は大きい。
声を当てた俳優陣がいい!
声優か俳優かではなく、上手いか下手かなのだと再認識。
遺作の名に恥じぬ、地井武男の声のふくよかさ。
宮本信子の芯の強さ。
ずっと聞いていたくなる。
久石譲の音楽は映画の旋律を形作り。
さらに、音響の凄さといったら!
風のゆらめき、木々のささやき、ドラムのようなダッシュ!
と、このように興奮していたわけなのだ。
が、終盤、どうしたことだろう。
なぜか失速しかけた。
持ち直せたのは、絵柄と作画のレベルの高さがあったから。
日本人ならば誰もが知っている物語。
けれど、このかぐや姫には未知の香りがした。
だからこそ、終盤が惜しまれる。
それでもこの映画は、好き。懐かしくて、新しくて。
スクリーン
[関連作品]
スタジオジブリ作品 『風立ちぬ』
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