$世界映画博-CURE

1997年・日本


たとえば、恐怖はどこからやって来るか。

背後から。
足元から。
窓の外から。

その恐怖が、気づいたら懐に入り込んでいたらどうだろう。
この部屋の中にあったら、どうなるだろう。
自分の内側で呼吸を始めたら。

しかも、理由がわからない。
どうしてそうなったのか、思い出せない。

ただ結果としての血が流れる。
怖い、と思う。


これは絶品であった。
とても好きな作品だった。

このわずか3年後に同じ黒沢監督が作った『回路』が、あんなにもフワフワと怪しかったのはナゼかと不思議になるほどだ。


冒頭の短いカットの羅列、暴力、血飛沫。
一気に暗闇に引きずりこまれるような錯覚。

事件を追う刑事の立場にいきなり立たされる観客。
わけもわからず、流れる血の数が増えていく。

そこに浮かび上がってくる顔。
その、あやふやさ。
実体があるようで、無いようで。

意思があるようで、無いようで。


この恐怖の出所がよい。
本当に怖いものは、現実の上にあるのだと教えてくれる。

面白いホラーの共通項は何かといえば、我が身に降りかかる可能性の大きさであろう。
この物語の中に埋め込まれた仕掛けは、もしかしたらこれから我々が出会うかもしれないものであった。

あの角を曲がったら、待っているモノかもしれなかった。

しかも一見、荒唐無稽なアイデアを実に説得力をもって描いている。
素晴らしい。


役所広司という俳優は、何だろうか。
「化け化けの実」を食べたとしか思えない。
この人が駄目だったことがあるだろうか。いや、ありません。
役所広司の唯一無二な点は、いつも役柄そのものであるということかと思う。

うまく言えないのですけれども、この人の演じたキャラクターというのはいつも、人物として覚えている。
あの映画の役所広司よかったな、ではなくて、あの映画の中で出会った男、今頃どうしているだろうと考えてしまう。

今日もどこかで生きているような男を、いつも演じて見せてくれる。
これは、凄いことだと思う。思いませんか?


萩原聖人が出色の出来!
この人は本当に上手い。
近年は声優業も多いけれども、カイジも冬ソナも一級品であった。
実態の掴みにくい役であるのに、奥深い。
色気もある。素敵である。

でんでんは、鉄板。

黒沢清監督は、この作品で名を売った。
おそらく、黒澤明監督の息子という誤解も解けた。
ここには、黒沢清監督の良さがぎゅうぎゅうに詰まっている。

美術装置もよい。
無機質な部屋、壁の質感、それらが非現実感を彩っていた。
ロケーションも雰囲気がある。

音楽はほとんど使わずに、効果音で緊迫感を煽っている。
ざわめきや自然の音や。
その音感がザラザラとして、不安感を高めていた。


得体の知れないモノほど怖いものはない。
日常の中にポツンと一滴、危うさが落とされる。

その水滴が漣を作って、同心円が広がって、派生していく、そこここに。

その只中に置かれるのは、怖い。



『CURE』

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