![$世界映画博-嫌われ松子の一生](https://stat.ameba.jp/user_images/20120119/00/kitaco127/ac/c6/j/o0170024211742716462.jpg?caw=800)
2006年・日本
その女は、川尻松子という名前だった。
流転に流転を重ねて、堕ちては立ち上がり、また堕ちる。立ち上がる。堕ちる。立ち上がる。立ち上がろうとする。
その様は、スカーレット・オハラだ。
夢を見て、旅路を歩く。
その先に、愛があるのだと信じている。
その様は、ドロシーだ。オズの魔法使いのドロシーだ。
この女のように生きてはいけないと思うような、そんな一生。
この女のように生きてみたいと思うような、そんな一生。
松子の生涯は極彩色に彩られ、往年のハリウッド・ミュージカルを彷彿とさせる音楽に満たされ、おもちゃ箱をひっくり返したような喧騒に包まれている。
そこには人間がぎゅうぎゅうに詰まっていて、生きて、呼吸をしている。恋をしている。働いている。耐えている。抗っている。
極めて空想的なシーンの嵐の中で、しっかりと人間たちが生きている。
これは、奇跡的な融合ではないか?
リアリズムから遠く離れたような寓話的な映像の中で、とてつもないリアルが描かれていく驚異。
こんな邦画は初めて観たように思う。思いませんか?
中島哲也監督が俳優に怒鳴り、罵倒し、監督の傍若無人ぶりにスタッフがキレまくる。
そんな映画も、当方はあまり知らない。
作品の作り上げ方が、実に舞台的である。
蜷川幸雄や、つかこうへいを思い出させる。
実際、現場から逃げたという中谷美紀は、彼女史上、いや、女優史にも残るだろう芝居を見せてくれた。
あれは監督と女優との、ジリジリと熱い摩擦から生じた果実である。
物語の中で、川尻松子という女は生きて、生きて、生き抜いていく。
松子の生涯を美しく、不細工に、あれほどまでに演じた切った中谷美紀は、この作品を通してスペシャルな女優へと昇華していった。
その過程を、フィルムを通して目撃できた幸福。
作品中には、一人の人間の一生を描くには、かくも多くの人間が関わるのかというほどに、種々多様な俳優が顔を揃えている。
殊に、宮藤官九郎と伊勢谷友介。
ピカリピカリと光っていた。
クズな男を演じて、それぞれに得難い色気があった。
松子が惚れる理由が、わかる気がする。
親友役の黒沢あすかもピカリ。
あれはハマリ役だ。
瑛太もよかった。
ドラマ「それでも、生きてゆく」があまりにも超絶に傑作であったので、登場俳優を見たいシリーズとしてこの作品を観たのですけれども、狂言回しをうまいバランスで務めていた瑛太。よいです。
これほどの作品を作り上げるには、中島哲也監督はあらゆる手間と妥協を惜しまなかったのだろうと推察される。
結果、生じた現場での諍いは多くの人を疲弊させたかもしれない。けれど、これほどの作品が残ったのだ。
甲斐はあったのではないか。どうでしょうか?
賑やかなエンドロールが終わってからも、松子の一生が頭の中でフラッシュバックする。
何より、松子の必死な不器用さ、いつも負け目に転がってしまうサイコロを振り続けるような生き方が脳裏に焼き付いて、熱を発し続ける。
これは実話です、と言われても信じてしまうだろう。
キラキラと輝く松子の笑顔が胸に残る。
強く残る。
幸せは足元にある。
ドロシーが気づいたように。
そのことに気づけないことが、きっと不幸なのです。
『嫌われ松子の一生』
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