天白公園から桃介橋を渡り、渡り終えたところで福沢桃介さんの肖像画(?)の辺りに差し掛かると、道の先のトンネルが目に留まりました。蛇抜沢に架かるJR中央西線の橋です。県道の蛇抜橋から見ると、トンネルの中壁の色が途中で変わっているのが見えます。「これはもしや?」と直感した隊員若干1名は、ほかの隊員の顰蹙も顧みず、ひとり斥候に出るのでした。

木曽路名水探検隊のブログ-石積のトンネル1


 民家の脇から階段で河床に降りてトンネルに近づくと、トンネルの中ほどで構造が変わっているのが分かります。手前はコンクリート、奥の方は切石積です。切石積の橋といえば、ここに来るまでに見てきた十二兼の「名もなき橋」久保洞水路橋 と同じ構造。どうやら、この切石積のトンネルもこの地に中央西線が敷設された明治42年(1909年)ごろ建造されたものでしょう。

木曽路名水探検隊のブログ-石積のトンネル2


 当時、まだ南木曽町はありませんから、駅名もこの辺りの地名にちなんで「三留野駅」。駅は今より少し名古屋寄りにあったといいますから、橋としてそれほど幅を取らなかったのかもしれません。その後、駅が現在の位置に移され、昭和44年(1969年)に十二兼-南木曽間が複線化された折に線路が増設され、コンクリートの部分が継ぎ足されたのだと思われます。

木曽路名水探検隊のブログ-石積のトンネル3


 トンネルのポータルは一部拡幅によりコンクリートに隠れてしまっていますが、アーチ状に整然と詰まれたそのたたずまいは、当時の職人たちの仕事の丁寧さを窺わせます。中島誠之助の決め台詞ではありませんが、昔の人は、手間を惜しまず「いい仕事してますねぇ」。(aki
木曽路名水探検隊のブログ-石積のトンネル4