ご訪問ありがとうございます。
保育・子育てメンタルコーチの小松田百余です。
じつは先日、父に怒りの電話をしたんです!
姉の病気や検査のことで、ずっと、
「もう、いい子はやめた!」と宣言。。。
え~っと、わたくし8月で40歳です^^;
ほんとは、この怒り・・・
目の前に起きていることだけに反応してるわけじゃなかったのです
過去に起きて、未消化だったこと。
閉じ込めてしまったこと。
それが、リンクして反応してしまったのです
さみしかった
かなしかった
つらかった
認めてほしかった
今さらズルイ
いろんな気持ちがグルグルしました。
父に反抗したことなんて、これまでほとんどなかったわたし。
怒りの目的は
「怒りをぶつけたかった!」「ただ、怒りたかった」です。
電話で怒りながら、ずっと自分の腕をつねっていてね^^
しばらく傷が痛かったです。
ずっと、わたしは被害者でいたかったのです。かわいそうなわたしで。
わたしにとって、怒りをぶつけるのは加害者
自分から選んで加害者になったものの、こわくてこわくて
自分を傷つけずにはいられなかったのですね。
あとで、気づきました^^
たいした傷じゃないですけどね。
でも、その傷の痛みが日に日に和らいでいくことが怖かったのです。
痛みがあれば、わたしだってこんなに苦しいんだからって、いいわけできると思っていたんです。
ほんとは、被害者も加害者もないのにね。
怒りの根っこにあるのは
父にわかってもらいたいという期待。
父なるもの、こどものこころを理解すべき!というマイルール
本音は、もう我慢したくない。
冷静に伝えることもできたはず。なのに、怒りを選択したわたし。
その結果、ぜんぜんすっきりしませんでした。
「怒りは破壊だな~」と思いました。
ちょっぴり後悔しかけたときに、相談した友人からメッセージをもらいました。
そこでね、気づいたんです。
そうだ、わたしが本音を言うと、悪いことが起きるとおもって、
いつも言えなくって、我慢してきたんだ。
そんな自分が苦しくって、どうにかしたいと思ったんだ。
じゃあもう、そういう自分を丸ごと受け入れよう。
そう思ったら、自分を責める気持ちもす~っと引いていきました。
そして、そこはかとなく寂しい気持ちがでてきました。
やっぱり、父に愛されたいんです、わたし。
笑っちゃった^^
小さなころから、罪悪感がいつもこころにあって、それを相殺するために、これまでずっと自分を責め、自分を傷つけてきました。
自由に生きたいと願うことも
愛されたいと思うことも
どれも、罪じゃない。
きっと、どこにもはじめから、罪なんてなかったんですね。
なんのオチもなくって、ごめんなさい。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
わたしが相談したのは、この方 です。