「Letters」「Change the world」読者の為の福岡案内(第5回) | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
  向坂がどう思っていたのかは知らないが、天神西通りの北端にある西鉄グランドホテルから親不孝通りは本当に目と鼻の先だ。明治通りと併走する昭和通りまでの一〇〇メートルにも満たない短いブロックを越えて信号を渡った先は、もう親不孝通りだからだ。つまり、西通りと親不孝通りは同じ一本道が途中で名前が変わっているということになる。
「へえ……」
 向坂はポカンと口を開けて感嘆のため息をついていた。ただ、それはどちらかと言えば予想外なものを見たときのような感じに見えた。理由は何となく分かる。
「寂れとうやろ?」
「あ、いや。なんて言えばいいのか分からないけど、想像とはだいぶ違うな」
「ここが盛り場やったんは、一〇年ちょっと前くらいの話やけんね」 

                             「Change the world」第23章より


『Go ahead,Make my day ! 』-MAP(親不孝通り)
(イラストマップのタッチが毎回違うのは作風が安定しないのと、元になってるデータが違うからです。あと、2人のイラストはあくまでイメージなんで、服が作中描写と違うのはスルーでお願いします……)

というわけで天神へ移動してきた2人ですが、まずは引用のところで真奈が言ってることは地図を見ていただくと一目瞭然ですね。
この”一〇〇メートルにも満たない短いブロック”がどっちの通り(親不孝or天神西通り)に入るのかについてはさんざん調べてみたのですが、明確な答えは見つかりませんでした。地理的には西通りと同じく大名2丁目(地図内水色の部分)天神2丁目(同、黄色の部分)の間なので西通りかなと思うのですが。

それはともかく。
では、2人と同じように親不孝通りの南側から入ってみましょう。尚、画像が昼だったり夜だったりするのは、
1 ネットで画像を集めたから。
2 夜に親不孝で写真撮りまくる人間なんかあまりいないから。
3 最近の親不孝は暗いので夜の画像だと何処が何処だか分からないから。
という主に3つの理由によります。ご了承くださいませ。

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(南側入口)
ずいぶん昔にちょっと違うアングルの写真を載せた覚えがあるのですが、アメブロの画像フォルダは使いにくくて捜すのが面倒だったので再録。
左側の1階にあるのが福岡ではあちこちで見ることができる焼き鳥屋チェーンの「戦国焼鳥家康」。真奈が両親に連れられて煙にむせながら焼き鳥を食べていた店(作中で触れてます)ですね。
微妙な造りの公式サイトによれば親不孝通り店は13号店(22号店まである)だそうですが、ぜんぶ合わせても11軒、中には”14・15号店”という謎の番号が割り振られた店もあるちょっと不思議なチェーンです。(笑)

ところで、九州の焼き鳥は他所とは違いがあるらしいので触れておきましょう。
全国的には焼き鳥とはその名の通り、竹串に刺した鶏肉を焼いて塩コショウ、またはタレで味付けしたものとされています。ところが九州においては他所では”やきとん”などと呼ばれる豚肉を同様に調理したもの、あるいは牛肉や海鮮類、野菜や茸なども焼き鳥の一緒と見做されていて、普通にメニューに並んでおります。ですから、九州の焼き鳥屋は”串焼き屋”と考えていただいたほうがいいかもしれません。
特徴としては、ざく切りのキャベツに酢醤油ベースのタレをかけたものが出されるというのがあります。これは料金に含まれない上にお替り自由というサービス品です。店によっては焼かれた串をその都度、客のキャベツの上に並べるところもあって、その場合は肉からにじみ出る脂がキャベツと絡んで非常に香ばしくなります。逆にそれを嫌って串は皿、という店もあるのですが。
ちなみにきキャベツのタレは店のオリジナルであることが多いのですが、最近はドレッシング・メーカーが市販タイプのものを出していてご家庭でもお店の雰囲気を味わうことができます。

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(案内標識)
通り沿いにはこんな標識がズラリと並んでおります。
経緯について作中でも触れてますが、親不孝通りは公式には看板のように”親富孝通り”と表記します。一時期は正式名称である”天神万町通り”になりましたがまったく定着しませんでしたので苦肉の策としてこんな当て字が使われているわけです。といってもコレも定着しているとは言い難いのですが……。
わたしは必要に迫られない限りは旧称表記で通してます。(だって変換が面倒なんだもん)

通りの中ほどにある居酒屋の前にはこんなモニュメントがあります。
『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(モニュメント2)
確かにバブル末期の頃の親不孝通りの乱痴気騒ぎは度を越していましたし、近隣住民の方々にとって親不孝通りに集う若者は最早「親に心配をかけながら予備校通いをする子供」ではなく「他人の迷惑など考えもせず遊び歩く馬鹿者ども」だったのは事実です。ですが、それが安直に自主規制や言葉狩りに向かったのは残念と思うのも事実です。難しいところなんですが。

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(夜)

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(夜2)『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(居酒屋1)

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(居酒屋2)『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(レコード屋)
現在の夜はこんな感じ。
中洲と違って街灯もあるのにこれだけ薄暗いってどういうことだよと思うのですが、あるいはそれはわたしがこの街の最盛期を知っているからかもしれません。
また昔話になりますが、当時の親不孝通り周辺は週末の夜になると携帯電話の回線がパンクして繋がらなくなることがしょっちゅうでした。その頃はまだ2Gの黎明期で現在とは比較できませんけど、逆にいえば今ほどの普及率でない時期からそうだったのですから、やはり週末の夜の人口密度はかなり高かったんだと思います。ちなみに歩道はまっすぐ歩けませんでしたし車は常に渋滞してました。

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(めいどかふぇ)『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(風俗)
現在の親不孝通りを示すものとしてこの2つを挙げるのはいささかフェアではない気もしますが、実際のところ、北天神はこの手のマニアの店(すぐ近くにアニメイトもありますし、渡辺通りを挟んだ反対側にはまんだらけのビルもあります)と風俗店、あとは飲み屋とテレクラくらいしかないのです。(あと、老舗のオカマバー「あんみつ姫」もあります。どうでもいいけどこのURL、ストレートだな……)

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(長浜公園)『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(舞鶴交番)
さて、親不孝通りを北へ進みますと左側に見えてくるのが長浜公園。真奈の父親、佐伯真司が麻薬の密売人の少年を殺害した現場です。ある意味ではすべての物語はここから始まったといっても過言ではない場所です。その割にはこれまでしっかり描いてこなかったのですが……。

これまた作中で真奈が言ってますが、長浜というのは本来は親不孝通りの北端が接する那の津通り(イラストマップ参照)の向こう側の地名です。なので、公園前の交番はこの辺りの地名をとって舞鶴交番といいます。
どうしてこんなことになっているのかは不明ですが、ラーメン屋台で有名な”長浜”には北天神の別称としての認識があるからかもしれません。父親の事件の話で雰囲気が悪くなったときに永一が長浜屋台の話題を(強引に)持ち出したのは、実はこの公園名が伏線です。真奈は普通にスルーしてますが。(笑)

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(ドラムロゴス2)こちらは公園前にあるライブハウス「Drum Logos」。
地図では「Drum Be-1」となってますが、同じグループの別の店なのでお隣です。そんなにキャパはないのですが意外と大物が来るみたいで、そのときは向かいの公園も賑やかになるようですね。『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(ドラムロゴス)


さて、ここまでくると親不孝通りも北端(さっき書きましたね)まであと少しですが、ここには親不孝通りのかつてのランドマークである2つの予備校跡があります。

「ウチの父親と母親が出会ったんがここなんよ」
「ここ?」
「二人とも予備校の生徒やったと。父親のほうは水城の現役コースで、母親は英数学館で二浪しとったらしかけど。やけん、よう昔話で聞かされよったとよ」
「お母さんのほうが年上なんだ?」
「一歳だけね。学年は二つ違うけど。まあ、本人は大学行く気とかなかったけん、適当に授業サボってパチンコ行きよったらしか。英数学館は別名”パチプロ養成所”って有名やったけんね」
「へえ……」 

                            「Change the world」第23章より


『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(水城学園)『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(英数学舘)
親不孝通りの呼び名の元でもある2つの予備校。左が水城学園、右が九州英数学舘。
大手資本の予備校の進出でどちらも大学入試予備校としては閉校となりましたが、水城学園の建物は福祉系専修学校として、英数学舘は日本語学校として今でも営業はしています。(英数学館には芸大・美大受験専門の特殊な学科があって、こちらは少し離れたところに今でもあります)
両校はライバル関係にあったような印象を持たれることがありますが、実際は向かい合わせにあったというだけで、水城が九州大学などの国立志望の生徒が多かったのに対し、英数学館は他校のレベルに着いていけない生徒が集まってました。当然、まともに通わないで遊んでばかりの学生も多く「日本一楽しい予備校」と呼ばれていたそうです。
(そんな予備校で二浪していた真奈の母親の学力は推して知るべし。笑)
「Change the world」ではこれまで断片的にしか描写してない榊原奈緒美(故人)についても書いてますけど、設定資料によれば真奈を3割増くらいでパワーアップした上にあんなに考え込まないという、かなりぶっとんだ人です。ある意味では一番主人公向きかも(笑)

『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(マリアクラブ)『Go ahead,Make my day ! 』-親不孝通り(マリアストリート看板)
親不孝通りの中ほどから奥まった路地の奥にあった、九州最大のディスコ「マリアクラブ」
福岡のバブル時代を語るときに必ず名前が出る「冬野観光」のディスコで、当時の親不孝通りは冬野観光の店ばかりだったといっても過言でないほど幅を利かせていました。オープニング・アクトは作中でも触れているとおりTM NETWORK。ただし、この頃のTMはまだブレイクしておらず(「Get Wild」発売はこの5ヵ月後)どちらかと言えば後から伝説扱いになったフシがあります。
残念ながら中に入ったことはないのですが、何故か同じビルに24時間営業の書店があったりして、暇つぶしにはもってこいの場所でした。
バブル崩壊とディスコブームが衰退するのに合わせて1997年に閉店しましたが(冬野観光はその4年後に倒産)建物は長らく買い手がつかず巨大な廃墟状態だったそうです。今ではすっかり取り壊されて跡地にはバカでかいマンションが建ってます。
(上の画像を捜すのは大変でした。何せ、現在は跡形もありませんので。右の看板は永一が見つけたマリアストリートの看板。うーん、ちょっと無理があるか……?)

さて、ここからちょっと番外。

 美穂は階段を上がってきたところで突っ立ったまま、訝しげな目であたしを睨んでいた。昭和通りに面した窓際のテーブルにいるのがあたしだけだったからだ。
 比較対象が真奈なのでそれほど長身じゃないような気がしてたけど、あらためて見ると、ブーツのヒールを差し引いてもそれなりに背は高かった。今日は胸下で切り替えになったシフォンチュニックにデニムのミニスカートで、手にバッグとベージュのダウンジャケットを抱えていた。髪は後ろで無造作に束ねてあってメイクもほとんどしていない。こういう格好をしてれば彼女もちょっと大人びた程度の高校生に見えた。
 あたしは天神のタリーズで美穂を待っていた。
 スタバにしか行かない真奈のせいでタリーズに足を踏み入れるのは初めてだった。どうせエスプレッソなんて飲めないので大した違いはないと思ってたけど、ロイヤルミルクティが意外と濃厚で美味しいのは発見だった。

                            「シャル・ウィ・ダンス!?」第17回より


『Go ahead,Make my day ! 』-昭和通り(タリーズ)作中で登場する親不孝通り近辺関係のものはほとんど架空で、逆に実在のものは交番と公園くらいしか出してませんけど、こちらは実在のタリーズ天神店。上記の場面の舞台ですね。
わたしがコーヒーショップといえばスタバしか出さないのは単にわたしが大のスタバ党だからなのですが(笑)、タリーズのミルクティーはホントに濃厚で美味しいです。ただ、フードメニューがいまいちピンと来ないのですよね~。
 
『Go ahead,Make my day ! 』-ピエトロ セントラーレで、その真向かいにあるのがピエトロの本店。
本社ビルの1階部分がレストランになっているのですが、他の店舗とはずいぶん趣きが違いますね。あまりにもクールな店構え(褒めてます)なせいで、わたしは何度かここが食べ物屋だと気づかずに通り過ぎたことがあります。
作中では上の場面で窓の景色を見ながら由真が呟く場面と、「パートタイム・ラヴァー」でパーティ後の由真と村上が食事に行くシーンでほんの少し触れてます。ここにはサラダバーがないという理由で村上はIMS店へ行きましたけどね。笑)

さて、そんなわけでちょっと駆け足の親不孝通りでしたが(いや、そうでもないか?)いかがだったでしょうか。正直な話、親不孝通りの衰退はわたしが熊本に移った後の出来事なので、その過程にしても現状にしても今ひとつピンとこないのですが(そういう意味では永一と同じ)、夏に福岡ひとり旅に行ったときに現地のお店の方と話した限りでは状況は厳しいままですね……。
ただ、最近知ったのですが親不孝通りにはクラブ(踊るほう)が20軒以上もあるらしくて、若い人たちが結構足を運んでいるようです。まあ、客層によっては治安にも影響しますけど、少しでも活気を取り戻すきっかけになればいいのですが。

(第6回へ続く。← まだやるのか……?)