600冊目 カラマーゾフの兄弟/フョードル・ドストエフスキー (再読) | ヘタな読書も数撃ちゃ当る

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ある日突然ブンガクに目覚めた無学なオッサンが、古今東西、名作から駄作まで一心不乱に濫読し一丁前に書評を書き評価までしちゃっているブログです

「カラマーゾフの兄弟」フョードル・ドストエフスキー著 亀山郁夫訳・・・★★★★★

父親フョードル・カラマーゾフは、圧倒的に粗野で精力的、好色きわまりない男だ。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人兄弟が家に戻り、その父親とともに妖艶な美人をめぐって繰り広げる葛藤。アリョーシャは、慈愛あふれるゾシマ長老に救いを求めるが…。

 

600冊目!ヘ(゚∀゚*)ノ

 

全5巻(文庫版約2100ページ、解説文を除く)を読み終わった~(´∀`)

10年ぶりの再読で、拙ブログの記念する1冊目の本である。(当時の書評が酷いな。。。(~_~;)

さて、何から書いていいものやら。。。(・_・;)

 

本作はご存じの通り、ロシアの文豪ドフトエフスキー(1821-1881)最後の作品であり、「罪と罰」と並ぶ彼の最高傑作としてだけでなく、世界の小説の中でも最高傑作と賞される作品である。

1879年1月(亡くなる2年前)雑誌「ロシア報知」に連載を開始、1880年11月に完結、その後単行本として刊行された。

 

哲学者ヴィットゲンシュタインは50回は精読し全文を諳んじられる程であり、サマセット・モームが著書「世界の十大小説」で取り上げた一冊であり、村上春樹が「これまでの人生で巡り合った最も重要な本の3冊」(その他「グレートギャツビー」「ロング・グッドバイ」)に挙げた作品でもある。

 

 

前置きはこのぐらいにして。。。

 

本作は4部+エピローグで構成されている。

物語の舞台はロシアの田舎町、時代は執筆当時の時代(日本の明治時代、伊藤博文初代総理の頃)だと思われる。

 

カラマーゾフ家は、粗暴で好色な田舎の地主である父フョードル(59歳。著者と同じ名前というのも興味深い)、前妻の子で放埒で堕落した生活をする長男ミーチャ(28歳)、後妻の子でインテリで合理主義・無神論者の次男イワン(24歳)、同じく後妻の子で博愛で純粋な心を持つ修行僧(後に還俗する)の三男アリョーシャ(20歳)の4人。

その他登場人物は多数(ちょい役も含めて総勢50人位)のうえ、名前の呼び方が本名だったり、愛称だったり、苗字だったりしてこんがらがる。

 

あらすじを書くと膨大になるので割愛するが(興味がある方はウィキペディアをご覧ください)、大きく括ると4つになる。

1.1人の女性(グルーシェニカ)を巡る、父ヒョードルと長男のミーチャによる愛と嫉妬の愛憎劇(カテリーナという女性も絡んでくる)

2.無神論者である次男イワンによる宗教論

3.アリョーシャと兄たちや師である高僧ゾシマ、偶然道で出会った少年たちとの関わり合い。

4.ミーチャが父殺しの罪で裁かれる裁判劇

 

このように本作は多面的な構成を持った作品で、この4つが幹となり、これに様々なエピソードが枝葉となり物語が展開していく。

 

読み終わりまず感じたことは、これだけの長尺物でありながらも展開が面白く、途中で飽きることもなく一気に読めてしまったという事だ。

ただ、たまに出てくる海外古典作品にありがちな、論理が意味不明で大時代的なセリフ回しや、イワンによる難解な宗教論(「大審問官」なる創作物語など)は理解に苦しんだ。

 

本作を古典的な純文学と思われる方もいるかもしれないが、これは一大エンターテイメント作品である。

 

本作の日本語版は現在、原卓也訳、米川正夫訳、そして本書の亀山郁夫訳の三冊が刊行されている。

読み終えて調べてみたところ、本書の訳について国際ドストエフスキー学会副会長・木下豊房から、余りに誤訳が多いなどの批判がなされたそうで、Amazonで低評価をされてる方々もそれを指摘している方が多い。

私が初めて本作を読んだのもこの亀山郁夫訳で、他の訳書は読んでないので何とも言えないが、これは他の訳本を読んでみるしかなさそうである。

そしたらまた違った感想を抱くかもしれないが、それもまた一興である。

 

まあ、何はともあれ本作は物語の面白さと奥の深さから★5つにした。

(しないとまずいだろうな~!(´Д`;))

ヴィットゲンシュタインのように50回も読む必要は無いと思うが、2〜3年したら読んでみよう。