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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、今日は、『体育の日』。
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私たちの世代には、体育の日と言えば、今日のように10月10日がやっぱりしっくりきます。
今日は、連休の最終日、朝から清々しい秋晴れでしたので、スポーツで気持ちのいい汗を流された方もたくさんいらっしゃるかもしれませんね。
私は、午前中に仕事を済ませ、昼からは洗濯と掃除に汗を流しました。
まあ、洗濯は、洗濯機がやってくれるので、汗を流すことはありませんでしたが。
ただ、掃除をしていていつも思うのは、「もっと物が少なければなあ」、ということ。
こう書くと、まるで部屋中に贅沢品が溢れかえっているように聞こえますね。
それならいいんですが、現状は、要らないガラクタが捨てられずにそこら中に散らばっているという有様です。
掃除をしながらその光景を見ていると、そんなときには、ミニマリストに憧れます。
ミニマリストと言えば、「物にあふれた生活」と「物を持たない生活」というのは、一見すれば、まったく異なる価値観のように思います。
しかし、実際には、両方とも同じ価値観の下にあります。
つまり、物というものに価値を見出しているということです。
そして、一方は、物をあふれるほど持つということで、自らの価値を高め、他方は、本来価値がある物を敢えて持たないということで自らの価値を高めようとするものです。
言わば、同じ価値の両方の端に位置すると言えばいいでしょうか。
ときに、極端から極端に走る傾向が見られるのは、このためです。
そして、この価値観が高じると、高級品ばかりを買い求め、そのことに執着する人を生み出したり、逆に、極限まで何も持たず、台所で立ったまま食事をするという極端な人を生み出したりもします。
それゆえ、どちらの生き方により価値があるか、という議論は意味をなさないのです。
ただ、物を持つという同じ価値の線上のどこに位置しているかという違いがあるだけです。
私たちは、悲しいかな、自らの価値に振り回される傾向にあります。
それゆえ、もし私たちが、価値という線上の丁度真ん中あたり、つまり『中庸』ということに価値を見出すことができたならば、もっと楽に生きることができるのかもしれません。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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