はじめまして。心理アドバイザーのふくよしと申します。


心理学教育の必要性を認識してもらい、広める活動をしています。


心理学的思考法で、人生が変わる(気づきの心理学講座)


人は誰もが、楽しく、幸せに暮らして生きていきたい。


家族や近隣、職場での人間関係も良好で、皆と仲良く暮らして、生活をしたい。


そして、どうせなら、少しは、成功して、お金で悩む生活をしたくない。


そんな人生を描いてはいないでしょうか?



しかし、人生が窮屈に感じたり、不自由だと思ったり、不平不満を持ったりするのはどうしてでしょうか?



それは、ほとんどの人が、人生にアイデアがなく、バリエーションが少ないからだと思うのです。


その理由は、(心理学的な)思考に問題があると思っています。


心理学的な思考を習得すれば、人生がアイデアに満ち溢れ、バリエーションに富み、人生が豊になります。


この心理学的思考法は、心理学教育による学習と訓練で、誰もが習得できます。


私は、このブログとこれに関連するHPについて、次の3つを心理学教育(心理学的思考法)についての本質の言葉としたいと思います。それは、”セレンディップの3人の王子の話”、”ヘレンケラーの話”、ゲシュタルト療法を提唱したフレデリック・S・パールズ氏の話”を挙げたいと思います。

※長文なので、フリースペースに書いております。


私は、心理学は、とても有益だと思っています。現状人の悩みを解決するために必要不可欠な知恵であり、ツールだと思っています。


そして、この心理学教育による学習と訓練で、ひとりでも多く方が心理学的思考法を活かし、人生に豊かさをもたらす気づきのお手伝いができればと考えています。


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2010-02-10 07:02:50

主観的問題と客観的問題 その4-人生に気づきを与える心理学講座-

テーマ:心理学的思考法で考える

主観的問題と客観的問題 その3の続きです。⇒記事はこちら


人と人の関係の問題では、解決するためのアイデアは、原因⇒問題という関係式からのみ導かれるものではなく、少し視点を変える必要があります。


人間は、主観的な世界を体験しています。



例えば、私は、上司に期待されている。私は、母親から期待されている。


という期待は、主体者である私が感じているのであって、期待というものが存在するわけではないのです。


つまり、私は、母親から、期待されているのではなく、期待されていると感じた。という主観的な意味です。



しかし、全く存在しないというわけではありません。


それは、私が感じている期待を、母親が、”期待している”と言った時に、それは、主観的な意味ではなくなり、


私と母親との共通の認識、つまり、客観的な意味となるのです。



しかし、大概の問題は、このようなケースではありません。


私は、母親から嫌われているので、悲しい。きっと私より弟の方が好きなんだ。


というケースで、悩み、相談をするわけです。



これは、母親が、口に出して、確認したわけではないので、主観的な意味となります。


そんなことを聞かなくても、私は分かっている。母親の日ごろの態度をみれば、わかります。となるようです。


このような状態であれば、もし、母親が、嫌いではない。弟もあなたのことも同じように、好きです。


と言われても、きっと嘘だと思うのでしょう。


主観的な問題なのです。



一方、人間と物との関係では、車が動かない。という問題は、ガソリンがない。というものが原因であれば、ガソリンを入れてあげれば解決します。


車が動かないという問題もガソリンがはいっていないという原因も客観的事実です。

つまり、客観的問題なのです。


だから、問題⇒原因⇒対策⇒解決となるのです。




しかし、主観的問題では、母親が私のことを好きでないという問題は、主体者にしか存在しない主観的事実であるため、共通認識として存在しない問題ということになるのです。


だから、そのまま受け止めると「そんなことないよ。お母さんはきっと、あなたのことが好きですよ。大丈夫。安心してください」という、アドバイスをするケースが多いのです。



このケースでは、主体者が望んでいる解決目標が、例えば、「母親が誰よりも私のこと好きになってくれること」であっても、それが、適切な解決目標ではないことがほとんどです。


試しに、主体者の望んでいる解決目標を「母親が誰よりも私のことを好きになってくれること」であったりすると、


母親に、私のことを好きになって欲しいという行動を繰り返すことになるのです。


感情面では、そもそも出来ないことをする⇔出来ない私はダメだと、負の感情を繰り返します。

そして、主体者は、落ち込んだり、悲しくなったりをするでしょう。⇒同情を求めるでしょう。


これが、偽の問題(目的)⇔偽の問題解決行動を繰り返す関係なのです。




つまり、母親が好きでない(問題)⇒母親が誰よりも好きになってくれる(解決)。ではないのです。


母親の愛情不足ではなく、主体者の愛情飢餓だったりするわけです。


主体者の問題は、例えば、母親に対して好き、嫌いに過剰に反応し、過剰な保護を求めること。過剰に気にかけすぎることなのです。


それが、問題解決の主目的となるということなのです。


人間関係の場合、原因を見つけ、除去するのだけでは解決しないケースが多いのは、このような理由です。


解決を構成する場合、主体者がそもそも問題をつくることで、人間関係の不足分を埋め合わせしようとしているということに気づくことが必要なのです。(つまり、自立の問題なのです)





2010-02-09 06:37:27

自立と尊敬と協力と貢献-人生に気づきを与える心理学講座-

テーマ:心理学的思考法で考える

心理学の学習と訓練の目的は、自分の人生が、この世界(社会)と、適切に適応することにあります。


適切に適応した状態の時、人生が上手く、そして、有意義で、便利なものになるでしょう。


その目指す方向は、”自立”、”尊敬”、”協力”、”貢献”の状態にあります。



自立していなければ、世界は、同情と保護、軽蔑と傲慢の世界になるでしょう。


尊敬していなければ、世界は、競争と評価、価値の世界になるでしょう。


そして、自立と尊敬のない状態は、協力と貢献ではなく、同情であったり、保護であったり、軽蔑であったり、優越であったりします。



自立とは、できようが、できまいが、OKなのです。


自分で、何でもすべてできること。という意味ではないのです。


自立しておれば、自分が困っている時、出来ない時に、他者に協力を求めることができるようになります。


しかし、自立していなければ、協力ではなく、保護を求め、保護されることを情けないという自己に対して、不必要で、無意味な感情を向け、人生を不便にするのです。


つまり、感謝すべきところを、自分はダメだというのです。


このような人は、人生というフィールドで、未来永劫、無意味なループを繰り返すでしょう。


人間は対等です。尊敬の関係にあります。


競争と評価、価値は違います。


不適切な習慣です。分離して、そこに意識を向けて下さい。


競争に負けようが、勝とうが、すべての人には、同じ価値があり、対等であることには変わりません。


評価とは、競争した”こと”。その”こと”に、評価があり、その”こと”のみに価値があるだけで、人間に向けられるものではないのです。


ダメな人間はいません。ダメだと思う(自己を評価)人間がいるだけです。



”自立”。”尊敬”。”協力”。”貢献”。の状態でなければ、人生が不便で、逃げるべき嫌なものに感じるかもしれません。


でも、安心してください。


気づいたならいつでも変更は可能です。


私たちは、不適切な学習と訓練をしてきただけなのです。


ただ、やり方を知らなかっただけなのです。やり方がわかれば、後はするだけです。


もう一度、心理学を使った適切な学習と訓練をすればいいだけなのです。





2010-02-08 14:22:43

それではダメなんです

テーマ:心理学的思考法で考える
人間は、当たり前だと、わかっていても、気づいていないことがよくあります。

当たり前だと思っていることをわかっていることと。気づいていることとは違います。

だから、気づいている人は、無理をしません。

それは、無理している。と努力している。とは、そもそも意味が違うことに気づいているからだと思うのです。


例えば、無理とは、私は、○○○でなければ、ダメだ。だから、○○○でなければらないという意味のことです。

努力とは、○○○でありたい。という目標を達成する方向に、感じるものです。

つまり、無理とは、目標そのものに、良い、悪いなどの評価されるべきものであると信じているということです。

もし、無理から生まれた目標を、達成するために、他者にコミットをした場合、

二重の困難を背負うことになるかもしれません。

無理に無理を重ね。
本当の自分ではないと、
叫ぶはめになるかもしれません。

あなたは、無理をしてますか?

それとも、それは、目標に向かうための訓練という意味の努力ですか?


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