ニュースは商品、記者は売り子、歪曲は商品を売るための必然的作業 | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

アメリカで20年間大学教授として過ごし、その後さらに20年間著述家として活躍しているジョン・コジー教授(退官した哲学と倫理学の教授)がグローバル・リサーチ(2011年1月14日号)に寄稿した「アメリカのマスコミ: 意見を売って、ニュースと呼ぶ」で、アメリカのマスコミを徹底してたたいていました。アメリカを日本と置き換えても十分に通じるものと判断してご紹介することにしました。ただし長文ですので一部を抜粋し簡単なコメントを付けるだけにしました。抜粋した部分だけでも日本のマスコミ報道にどのように接触すべきか、如何に用心すべきかを考えるヒントを得ることができるでしょう。翻訳はブログ「マスコミに載らない海外記事」(http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/ )を利用させていただきました。


もっともマスコミ報道にどのように接触すべきかと言う問題の正解を得るのはとても難しいようです。そうした方法が見つかったとしてもそれが根本的解決方法にはならないことはすぐに分かるはずです。


コジー教授が言っているのはマスコミも企業である以上、記事は商品であり、その商品が消費者にとってより魅力的なものとなるために、いかようにも歪曲、でっち上げのフィルターをかけ、そのために記者は苦労しなければならない。視聴者は記者や専門家の個人的意見を、あたかも事実から成り立っている真実のように、ニュースとして受け取る以外になく、それ以外のつまり事実に立脚した正確な報道を求めるのは小売店でそこでは扱っていない商品を求めようとするのと同じだと指摘しています。


この意見に従うと資本主義社会では真に厳正中立、不偏不党、客観性、批判精神というジャーナリズム精神が生きている報道はありえないことになります。


さらに彼は記者は「詰まったトイレを直すために呼ぶ配管工ほどの能力も必要とされてはいない」のであり、「連中の雇用主が売りたがっている商品を売っている売り子にすぎない」ので、彼らに正義や真実を求めるのは無駄だと言っているようでもあります。


以下管理人が勝手に抜粋した部分をご紹介します。


「自由なマスコミは、あらゆる小売業がしなければならないのと同様、自社の商品を市販せざるを得ず、その方法の一つが、マスコミ企業が対象とする集団にとって魅力的になるような形で、ニュースを歪曲させることであり、それが、ある意味で、自由なマスコミが報道するあらゆる記事を偏向させるのだ。そして、自由なマスコミは、政治的見解が異なる二人の人物を起用し、バランスのとれた報道にすることで、客観性を維持していると主張するが、一方の側がいつも優勢に見えるような形で二人の人物を選び出すのは簡単だ。その結果、マスコミ自身が特定のイデオロギー集団に入ってしまっており、大部分のマスコミが、扇情的大衆ゴシップ紙と、あからさまに呼ばれていることは言うまでもないと私は指摘した。」


「メーシーズ百貨店が様々な種類の商品を販売しているのと全く同様に、ニュースというのは記事を売っており、マスコミ各社が自ら、各社独自にその商品を構成する歪曲によって、他社と差別化するのだ。ちょうど、マクドナルドが、同社のバーガーを、バーガー・キングが販売するものと差別化するように、ABCは、自社の記事を、NBCが報道するものと差別化するのだ。要するに、自由なマスコミでは、主要な読者層にとって魅力的になるような形に歪曲してニュースは売られ、しかも記事を語るより、歪曲の方が、余計時間を占めることが多い。往々にして、キャスターは記事を語り、そこで、いわゆる専門家は、それを歪曲させることで、潤色するのに起用されているのだ。残念ながら、"専門家達"は論じられている問題に関して、普通の視聴者達が知っていること以上には何も知らないことが多い。多くの人々が事実から成り立っていると思い込んでいるニュースは単なる意見になっている。」


「実際、ジャーナリストは、詰まったトイレを直すために呼ぶ配管工ほどの能力も必要とされてはいない。要するに、現代のアメリカのジャーナリストは、ドライブインの「ソニック」で、注文したホット・ドッグをローラー・スケートに乗って、車まで配達してくれる十代の若者や、メーシーズ百貨店で、カウンターの向こう側に立っている店員にたとえることができる。大手マスコミが、正直、中立、あるいは、客観的でないといって批判する人々は皆見当違いなのだ。そういうものを、大手マスコミが売っているわけではなく、それを非難するのは、ラム・チョップを売っていないといって、マクドナルドを非難するのと同じ位、理不尽だ。」


「ズビグニュー・ブレジンスキーが最近述べたように、"大半のアメリカ人は、世界に関して全く無知に近い。彼等は無知なのだ。" この無知が、どれほど、アメリカの"自由なマスコミ"に、報道を偏向させる必要がある結果なのだということを、人々は理解しようとしない。ブレジンスキーは、これを"不健康"だと見ているが、彼は正しい。アメリカの"外交政策が遂行されるべきなのであれば、国民によって承認されるべきなのだ。" そして、この無知のおかげで、政府は、かなりの数の破滅的政策を妥当だとして、国民を容易に納得させてしまえるのだ。」


「アメリカのジャーナリスト達は"ネタさがしに熱心な記者"というわけではない。彼等の一人一人がこれを侮辱と見なすだろうと私は思うが、彼等は連中の雇用主が売りたがっている商品を売っている売り子にすぎない。現在、テレビのニュース・キャスターを務めている美男美女、そう、少なくとも醜くはない人々は、他の商品を売るために使われている美しいモデル達と何ら変わるところはない。アメリカの"自由な"マスコミは、対象とする読者を喜ばせるために偏った記事を売る、多数の小売店から成っているに過ぎない。そういうものとして、マスコミはでたらめをうりつけるために存在しているにすぎない。」


以上です。原文はこちらです。

www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=22782

日本のマスコミもコジー教授が指摘したアメリカのマスコミと大差ないでしょう。何しろアメリカに学んでいるのですから。