孤独でない芸術者はありえない。創造そのものが孤独を要するから。孤独を知る(感覚する)者は「神」を知る(感覚する)者である。

彼女が孤独のひとであり「神」を知るひとであるのは当然である。「孤独の影」は 周囲がいくら消そうとしてもおのずから発せられている。「孤独」がなければ人間にはいかなる「尊厳」(DIGNITE)もない。「尊厳」が発しているのは「神」から、「神に面している人間」からだからである。「神」は「尊厳」の別名である。この感覚がない者はことごとく尊厳に欠けている。日本の思想学徒に尊厳がつまり真の魅力が感じられないのは真面目に「神」に面しようとしていないからである。「『神』は『無』によってはけっして置きかえられない」(高田博厚)。「人生」に「神」をもてない者は「真の美」を知らない。「真の美」は「神」の別名なのである。

この言葉は彼女へのぼくの最大の讃辞のひとつである、同時に「ぼく自身」の自己実感を籠めたのである :
「真摯で潔癖でそれだけにひと知れず孤独なきみがこころを開いたときの慈悲そのものであるようなかがやく美しさをぼくは知っている」

彼女は「神」に面しているひとである。ひとことも「神」という言葉を発さず話題にもしなくとも。それは彼女の賢明さなのである。「言わなくとも私は神を大事にしています」という意識と示唆としるしを その画像からも 彼女はいつもはっきりとしめしていることを いちども感じも気づきもしなかった者があろうとはおもえない。











 

 

 
  




 










10月21日 朝-午後 Suite 
いま、ぼくを護っているのはぼくの霊自身である。

きみが護っていてくれているならどんなに嬉しいだろう
 
ぼくと同じような賢明な思慮深さをもって

大胆だろうか ぼくはそれを信じている

なぜなら ぼくはよく感じている きみは 他の者たちと違って

聡明で賢明なひとだから ぼくと同じように 


秘密なきみの魂を愛しています

愛しています

愛しています


L'amour existe entre ceux qui ont chacun leurs propres secrets.

 
覚記 演奏と表現ということ 彼女のバッハの精神性 は さいわいなことによく読まれた。
この文章は意味するところは、その精神的帰結とともに ひじょうに深い。


きみが好きだからぼくも好きになった

ずっときみのことばかり思っている