アンドレ(ANDREE) 1933 〔高田博厚〕

高田先生には渡仏初期に住んでいた、パリ郊外のクラマールに、「クラマールの友」(女性)がふたりいた。ひとりは「クラマール小町」と言われた文房具書店新聞店の娘であり、いちどふれた。もうひとりは、晩年の回想録「分水嶺」で(はじめて?)実名を明かすシュザンヌ・ブリオー未亡人である。上に掲げた渡仏初期作品は、先生の初期文章中の「友」の顔立ちの叙述から、最初後者の女性であろうかと推測していたが、「分水嶺」の叙述でこの女性の実名が明かされているかぎりでは、作品の名前と一致しない。「アンドレ」はふつう男子の名だが、作品の名は女性形〔語尾にEを付加している〕のようなので、これは女性像であろう。先生は、当時、のちに名が明かされるシュザンヌの像に取り組んだことを、文章中で明記している。作品制作年と時期的にも符合しているので、作品公開時、名だけ架空のものにしたのだろうか。それとももうひとりのクラマール小町であろうか。ちょっとかんがえ難い気がする。あまりこういう詮索自体に僕は興味がないが、この時期の残された記念碑的作品のひとつである。この交友について書きたい。


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《・・・ 友は前から、私が妻子を日本に置いて来ていることを勿論知っていた。
「今日はあなたに今日は(ボン・ジュール)を言いに来たんじゃないのよ。あなたの小(プチ)さいのに……」
 そんな事を言って、私が、見ると尚思い出すので書棚の引出の奥に蔵(しま)っておく子供達の写真を引っぱり出して見たりした。中でも篤夫を好いた。写真に向っては、
「おや今日は(ボン・ジュール)。あんたも今日はって言わないの? 手に持ってるのは何? 林檎(ポム)? 蜜柑(オランジュ)? あんたのお母さん(ママン)は好い(ジャンティーユ)お母さんね……まあ、あんた達は何て靴をはいてるの! 今日は(ボン・ジュール)! 私に抱っこ(アンブラッセ)しない……」
 二番目の晴雄と三番目の篤夫が私によく似ていると言っていた。
「気儘(エゴイスト)で、意地悪(メシャン)で……そうして親切(ジャンティ)で……」
 などと笑った。
 ある時、私が何時も身につけている紙入の中に篤夫と和子の小さく切り抜いた写真を持っているのを見つけ、大きい眼をきらきらうるませて私を見つめた。そうして黙って私の手を握って強く振った……
「そんなに僕のところへ来て、僕が怖いことはありませんか?」 そう訊いたことがあった。
「あなたを信用しているから大丈夫……私はよわくて、自分には信用しないけど……」
「僕も同じことかも知れないな。本当にね、あなたが僕にこんなに信頼深いという事を僕が知っていなかったら、僕はもっと乱暴で獣的になるだろう……」。そう言ったら、友は手で顔を掩ってしまった。
 或る日何気なく私は友に言った。
「このあいだ写したあなたの写真を日本へ送った……」
「誰に?」
「勿論、私の妻へ……」
 彼女は驚いて私を見上げた。
「どうして?」
「だって僕は、僕がこっちでしている事を、何だって皆妻へ知らせてやりますよ。秘すようなことは何にもない。秘すようなことを僕がしないんじゃない。妻に秘す必要がないんですよ。そんなにも僕達夫婦が信頼しているのかとあなたは思うでしょう。勿論そうでしょう。けれどもその他にまた、僕達夫婦は互いが何も出来やしないという事を知りすぎているんですよ。多分僕達は人生で起こり得るすべての事に覚悟もし、またある諦めも持っているんでしょう。その上で、僕達がたとえ何をしたって、何事も出来るものじゃないという事を知り過ぎているんでしょう。僕達は結婚して十年経った。決して楽な十年じゃなかった。そうして十年の賜は到頭これだけの事を知る事だったんだ。ね、あなた達に解りますか? あなたはこれを一つの不幸だと思いますか? 決して! この気持は妙に淋しいような、しかし静かな落ちついたものだ。そうしてね、お聴きなさい、僕はね、この気持に想到する時に渾身の熱情と愛を感じるんですよ。何か天に向って拳を振りたいような、そうだ、怒りに似た気持をさえ以て、この熱情を護ろうと思うんだ。幸いなことに……少し悲しいけれども、僕は敢て言おう……幸いなことに、僕の妻も僕と同じなんだ……」


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これはきわめて、高田さんの人生観の根本(*)に迫る、自身による告白で、ぼくはたいへん重要なものであるとおもう。32歳の時、日本の雑誌に送られ掲載された。この高田先生の内面心情にどれほど沈潜し了解しうるかが、先生の正当な理解の条件である。了解の冒険をしなければならない。ここまでで既に大変な内実を孕んでいるが、つづく叙述と了解がますます大変である。ぼくにとってはそうである。


(*参照:246 魂の実証 ―記憶と意志― 序説(高田博厚論)16 など。また、友ライヘルへの言:「・・・なんだか非常に無精になってしまっているのだよ。なるようにしかならないという確信があってね、その底のところでは僕の精神力が明瞭なんだな。あとはなり行きに委せているのだ。・・・」〔「薔薇窓」第一部 VIII 〕)