隼人〜入院から退院まで〜① | babyを亡くしたママのブログ

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09年8月3日息子は天使になりました。

病名は・・先天性心疾患『総肺静脈環流異常症』2ヶ月と17日一緒に生きた幸せを大切にして前を向いて明るく笑顔で生きていきます。1人でも多くの方に勇気&元気をプレゼント出来るようにブログをスタート♪

8月8日…明け方から14時頃まで検査や入院手続きで病院にいた。
付き添いのため、宿泊用の簡易ベッドの手配もした。
⇒子供や家族の長い入院生活に宿泊で付き添う場合、看病する人のために簡易ベッドも出来るだけ負担の掛からないものになれば…と感じた。少しでも眠りの時間で体力温存して欲しい。
無駄な税金を使うならこういう部分にも配慮を!そう願わずにはいられない。

肉体的にも、精神的にも産後すぐの身体には隼人の入院が本当にキツかった。夢であって欲しかった。
でも自宅には、状況を必死に理解しようとする健気な賢人と麗夏が待っていた。
私は笑顔を見せて帰宅した。
早朝からパパママ、そして隼人までがいなくなり、母と祖母にフォローしてもらった麗夏。賢人が一生懸命面倒みてくれた。

こぼれんばかりの笑顔で出迎えてくれた。
『ママ~病院行ってたの?隼人くん大丈夫かな?注射した?麗夏は、けんちゃんに隼人くんが早く治りますように!ってお願いしたからね!』
一生懸命私を励まそうとしてくれる。
自分も不安で寂しくて仕方無いのに…。賢人と麗夏を思いきり抱きしめた。
また、夜には病院に戻らなきゃいけない。
少し身体を休めなきゃいけないが、不安でお昼寝出来ない麗夏の気持ちを考慮し、一緒にシャワーを浴びた。
ちゃんと説明した。隼人が入院したこと。付き添いで病院に泊まらなきゃいけないこと。
麗夏は、ママと寝たいと泣いた。
とにかく今は麗夏を安心させたい。
賢人は妹をいつもフォローしてくれる。
賢人にも我慢させている。
パズルをしたり、お話ししたり、2人でつかの間の昼寝をすることにした。
気が付くと自分も眠くて仕方無いのに、私をトントンして寝かせてくれていた。
小さな手で優しくトントンしてくれた。
『ママ大丈夫だからゆっくり寝てね』
賢人と麗夏2人分の優しさを受け取った。
賢人の時は大人だけで闘い、賢人を守った。
今は子供達も一緒に闘っている。
この先なにが起こるのか。不安な気持ちは消えないけれど、隼人を早く連れ戻すしか無い。
麗夏の小さな手にPowerをもらった。
彼女は本当に気を遣う子だ。
一生懸命その場の空気を読む。麗夏のストレスを最小限にしたい。
その夜…
私と午後、一旦自宅に戻ったあと出勤して会社から帰宅した主人と祖母、母、賢人、麗夏と病院へ送ってもらった。
自宅で外出間際、母が階段で足をくじいた。
こういう時は重なる。
負のスパイラルに陥る。

父は出張。妹夫婦はスペインで不在。

車で、主人と賢人麗夏祖母に待機してもらい、足をくじいた母を車椅子に乗せ病院の中へ。
なんか踏んだり蹴ったりだね…
車椅子押しながら2人で笑った。
もう笑うしか無いのだ。

隼人が心配で仕方ない母。
賢人に重なってしまったのかも知れない。私達家族は、賢人の闘病生活が深く深く残っている。
もう経験したくない過去なのだ。
賢人をただ助けたい。その一心だった。
この病院は綺麗だし、清潔で新しいし明るい。
それだけで救われる。
病院が暗くて古いとそれだけで重苦しい空気になる。
賢人の時は日赤が建て替え直前の歴史ある古い病院だったからつくづくそう思った。
賢人が亡くなった翌年全て壊され綺麗に生まれ変わった。
賢人の闘病は記憶の中だけに刻まれた。

母に賢人と麗夏をお願いした。

帰りの車から掛かってきた電話の向こうから麗夏の泣き叫ぶ声が聞こえる。
『ママが良いよ~。ママ~会いたいよ。ママのお顔が見えないよ~。大好き~。会いたい』一生懸命訴えている。
何とも切ない。
気持ちが折れそうになる。
クタクタだった。
看護師さん達は優しくフォローして心配してくれる。また更に発熱しないか?
血液培養検査は問題無いか?
考えたら眠れない。
私が倒れたらどうしようもない。
12時をまわるとバースデーメールが届いた。私の誕生日だった。
誕生日を病院で迎えるとは…。
あっという間に朝を迎えた。

入院している子供達の声が明るいフロアに響く。
朝になると、入院している子供達がみんな集まって来る。
点滴をしたり、薬を投与されていたり…それでも明るい笑顔で遊ぶ子供達。
みんな寄り添いお互いにエールを送る。
全員、付き添いの保護者がいるわけでは無いのだ。1人で闘わなければならない子供達がいる。
ここは国内でも大きな病院。
遠方から治療のため、入院している子もいる。保護者も毎日来る事が出来なかったり、離れ離れを余儀無くされる親子もいる。もちろん保護者がいない子供もいる。
これが現実だ。
『おはよう!』子供達に声を掛けると
『ママおはよう!』フロアで遊ぶ子供達と挨拶を交わす。
手術を控えた子供達がいる。辛い治療、
辛い検査をしなければいけない子供達がいる。
外の世界は御盆休み直前。みんな元気に家族で遊びまわる!
ガラスのこちら側は、病気に立ち向かわなければいけない子供達。
それを支える家族。

この境界線はいったい何だろう?
答えは誰にもわからない。

でも一つ言える事はある。

未来も同様に、誰にもわからない。
健康は未来永劫保証されていない。

誰にでもたくさんの可能性があるように、今元気でも明日はわからないのだ。

その時は他人事でも、自分の事になる可能性があるのだ。
自分の事になってみないと理解出来ない現実があるのだ。
健康の有難さ。
命の有難さ。
当たり前の日常は贅沢過ぎる奇跡。

フロアの子供達を見て願う。
みんな健康で、退院し、安心した生活が出来ますように…。
みんな平等に…。人生は平等。
幸せと苦しみの数はみんな平等。
必ずセットだから。
フロアにいる子供達。支える家族。みんなは必ず幸せになる。
大丈夫。苦しみが早く解決しますように。

自分の誕生日2013年8月9日…長崎原爆の日にガラスの向こう側を見つめてぼんやりつぶやいた。
4年前の夏…ゴールが見えない毎日。広尾の街をぼんやり見つめていた私を思い出す。

隼人を必ず一日も早く連れ戻そう。
誓うしか無い。2009年8月3日に賢人が亡くなってからの8月は私達家族の試練が多い。
いつも以上に賢人を想う。