私にとっての2017年度とは? | KEIO SWIM CONQUEROR BLOG

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OB・OGの方々、保護者の方々、受験生の皆様に向けて発信しています!!

こんばんは。
中西です。
今回は1年の総まとめをしたいと思います。
毎度のこと、長いのでやることを済ませてからお読みいただければと思います。



あっという間に過ぎて行った4月
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私は1日の練習から部員となりました。
不安と期待が入り混じりながらのスタート。
しかしキャンパスとプールがここまで離れていて、こんなに大変なのかと思い知らされました。
そんな中迎えた春季六大学。
初めて団体の中の個人として応援される立場になったということもあり、とても嬉しかったと同時に責任感を感じました。




色々と大変だった5月。

この時期から体重の増減が激しくなりました。今までは両親に毎日のように、そして当たり前のように食事を出してもらっていましたが、
寮生活なので全て自分で食生活は管理しなければなりません。その生活に慣れなかったからでしょう、それが原因でいい練習ができなかったのではないか、そう思っています。





人生どん底6月
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日曜日のオフを利用して家から1分足らずのクラブチームの練習に参加をさせていただいた時、
「そんなげっそり痩せてどうしたの?」
と皆に口を揃えて言われました。
そんな状態で良いパフォーマンスが発揮できるわけありません。

夏季公認では200.400IM.200BRでベスプラ17秒。もがき苦しみました。
練習を重ねても決して速くなることはありませんでした。その時の私は
「なぜタイムが出ないのだろう」とばかり考えていて、「どうしたらタイムが出るだろう」という考えにはまだ至っていませんでした。
写真はその夏季公認後の夕焼けです。
何か語りかけてくれているようでした。




心が揺らいだ7月。

関カレはもちろん専門種目である2.4IMでしょ。
そう思っていた矢先、4年生の宗一郎さんから一本の電話を頂きました。
「得点的に2バタの方がより点が取れる」と。
もともと専門種目であったバタフライでしたが、コンメの練習で泳ぐ最低限の練習しかしておらず不安でした。でも「やってみるか」というワクワク感が抑えきれず、2バタで決心しました。







何かが変わろうとしていた8月
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その何かはわかりません。
でも、何か変わらないといけないと思っていたのは確かです。
でもそれを行動に結びつけることができず、例えできたとしてもそのプロセスに問題があり、悶々としていました。

某部員の方にこのころの私ってどんな感じだったんですか?と聞くと
「辞めそうなオーラが凄かったよ」
とお言葉を頂きました。

結果が出ないからやめる、もしかしたらそれが当時、見出した答えかもしれません。

そんな中迎えたインカレ。
中学生の時のタイムに逆戻りしました。

「本当に嫌だ、もうやめたい」
そのような態度が出てしまったシーンがあります。

レースの後、サポート担当の選手やマネージャーの方々に感謝の気持ちすら生まれず、
一生懸命応援してくださったそのような方々の前で
「本当にもうどうしてこんな結果になったんだよ、意味わかんねえ」(一字一句間違っていません。)
と漏らしてしまいました。
その後、学生コーチの充さんから
「俺の前ならいいけど、その態度では速くなることはできない」と言われました。
でもその時の自分は半分聞き入れ、残りは上の空でした。
水泳は忘れたい。そう思っていました。

その後のことはこちらをご覧ください。


「大学まで続けられたんだから一緒に頑張ろう、泳ぎたくても泳げないその時の気持ちがどれだけ悔しかったか」

新たに出会った同期との会話を通してもう一度頑張ってみるかという気持ちに変わりつつありました。




言葉にできない変化から言葉にできる変化に変わった10月
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履修の関係で水曜日と金曜日は1時間弱しか練習できず、当初は本当に大丈夫かよと思っていましたが日数を重ねるごとにうまく対応できました。それは充さんに完全にメニューを任されたからです。
その環境がどれだけ幸せなことか、また私のためにマネージャーの方々を残して練習する意味を考えた時、自然と感謝という言葉が出てきました。
前シーズンでは考えられない出来事です。

その限られた時間の中で何ができるのか。
無駄を省くことで生まれる合理性。
感謝を形にする行動力。
そして1番は結果を出して恩返しする。
写真のカタツムリのようにゆっくり前進していきました。





速くなる予兆が毎日のように出ていた11月
波に乗り始め、水泳楽しい!と日に日にその想いが増して行きました。
三田祭強化期間最終日に行われたダイブ。
「これは確実に好タイムが出ること間違いない」
かなりレベルの高いタイムでこれ、(当時レベルが高いだけで今ではそうでもありません、そのくらい成長しております。)手応えを掴みました。
とにかく早く試合に出たい!
そんな気持ちが強かったです。







試合モードに切り替わった12月

諸事情により12月の試合に出場することはできませんでしたが、その代わりより一層レースを想定しての練習が多くなりました。
長らく練習していなかったバタフライでスピードをつけ、自分の動画を毎日見続けてタイムが伸びた平泳ぎ、この2種目を基盤に練習を重ねました。





気持ちの変化が激しかった1月

12月からこの日までdayオフはなんと2回。それも1回は正月。
そこまでするのには理由がありました。

「日本選手権突破」

その目標をなんとしても達成したい。
そのターゲットレースを母校で行われる2月の埼玉県室内選手権に持って行こう、そうシーズン当初から決めていました。

その時は4IMに半年以上出場していなかったのでタイム差はかなりあり、突破というよりかはそれを少しでも埋めるしか方法はありませんでした。
ですのでオフが2日しかなかったのでしょう。

六大学では10種目に出場しました。
本命の4個目に合わせたわけではありませんでしたが2BRでオープンまで2秒を切り、2FLYでもレース前心拍数が150回/分あったにも関わらず2分をカットできた、などたくさんの収穫がありました。
そして、
さあ1ヶ月後に向けて頑張ろう…。


とは中々なりませんでした。

そこまで出場してしまったせいか、数日間プールを見るのが嫌になってしまったのです。

それと同時に、本当に選手権なんて割れるのかな?という不安に陥りました。

そんな悶々とした気持ちが続き、気づいたらターゲットレースまで30日を切っていました。
ここで初心に戻ることにしてみました。
なぜ今水泳を続けられているのか。

それを考えた時、その悶々としていた時間がもったいないと強く思い始め、無駄なことをしたなと焦り出しました。





一年の総まとめが結果と表れた   2月

2月は2週連続辰巳でのレースがあり、1週空けてのターゲットレースでした。

その2週目の東京都冬季。
同期の航平がオープンを突破しました。

「このままでは本当に置いていかれる」

なんとしても切らないと、と気づいたらターゲットレースの前週は一年ぶりに週トータル50kを超えるトレー二ングができました。
自信を完全に取り戻した時、ふと思いました。
1月後半のあの時間、勿体無かったな、と。
でもその時の自分のお陰で自信を取り戻せたのです。なんとも言いがたいですね。


そして迎えたターゲットレース。
結論としてはあと1.8秒足りませんでした。

隣を泳いでいたクラブチームの大先輩、現銀行員で勤務後に1時間ほどしか練習をしていないであろう鮫島渓太選手はあっさりと突破してしまい、格の違いを見せつけられました。
「11年連続選手権に出れなかったら俺はやめる」

そう聞いていたので出場が決まった時には本当に嬉しかったと同時に私の情けなさが露わになりました。

でもあと1.8秒。
なんとかなる。
それは春季六大学もこの会場だからです。

私、高速プールで知られるこのプールとの相性は抜群です。

現在、その会場での突破を目指し、練習に励んでおります。

割れないかもしれない。
以前抱いていた、そんな不安はもうどこにもありません。
今は自信を持ってトレーニングできています。
自身を信じること、それが自信です。

読者の皆様、どうかこんな私を温かく見守っていただければと思います。



波乱万丈だった2017年度、
来年度は一体どのような経験ができるのでしょうか。
きっかけを作るのは自分はもちろんのこと、他人もです。
楽しみで仕方ありません。

お別れの言葉はこの言葉。

「失敗は成功のもと、ならばシュー16、
お前にはたくさん成功のチャンスがある。」

去年、クラブチームを卒業する際に担当コーチから頂いたメッセージです。

一年越しでこの言葉の本質を理解できました。

次は航平です。
お願いします。