今月初めに、東近江市で「300人のよし笛コンサート」に出演させていただいたのですが、その日は空き時間が結構あったので、近くを散策したのです。
さて、その場所は、東近江市といっても、町村合併前は蒲生町と言うところで、これは我が会津藩の初代藩主:蒲生氏郷が元々いた場所であるが為の名称である、と言うのが分かったのです。
この奇妙な歴史的つながりを感じた私は、我が会津若松に繋がるような史跡は無いものかと散策を始めたのです。
・・・とは言え、車が無いと色々巡るのは難しそうなお土地柄、しかし、私は散歩がしたいのであくまで徒歩で。
くいっと、外に出ましたら、この日一緒になった(というか、愛すべき酔っ払い:えぐちひろし氏に呼んでもらったわけですが)iL NeiLo
の ほりお みわ
ちゃんに出くわす。
みわちゃんも丁度散歩から帰ってきたところだったので、これこれ、こういう訳で散歩に出ると申しましたところ、蒲生とは関係ないけど、面白い神社あったよ、と。
面白いと言うか変わってるんだけど、言ってしまうとアレだから、取り敢えず後で感想を聞かせて、と。
思いがけず宿題をいただきつつ、向かいました神社は「雨神社」。
縁起は↑をご参照いただくとして、雨乞いの神社のようです。
さて、まずは鳥居が見えます。
規模こそ大きくはありませんが、なにやら、「古からつづく・・・」な感じ。
近づいてみると、なんか感じが違う。
↓参道から本殿へ至る直前に玉砂利よりは、ずいぶん大柄な石が敷き詰めてあります。
お賽銭箱はこの向こうにあるんですが・・・、進めない・・・。
あたかも、結界のように、小石群がありまして・・・。
その小石群の手前にある二本の石柱(みわちゃんによると献花台)が、「これより足を踏み出すべからず」と言ってるような気もしたり。
進めない、と言うか踏めないので、角をジャンプして横から本殿へ近づく。
果たして、本殿と思っていたのは、それを保護するように立っているプレハブ状の「囲い」で、実際はかなり小さい↓
中心の二つの丸い石が、これまた、何かを物語っているようで・・・。
さて、みわちゃんからのお題は、まさに、本殿前の「結界」を踏めたかどうか、ということだったのですが、私の答えは上記の通り。
多分、殆どの人は踏めないのでは。
せやけど、参道は明らかにそこに続いているわけで、これが何を意味するのか謎です。
木村的には雨乞い、と言う行為そのものが非常に神秘的に感ぜられるのですが、あの石の結界の辺りで、何らかの儀式が行われていたんではないかと、想像するのであります。
神社通のみわちゃんをして、珍しいと言わしめたこの造りですが、改めて縁起を読んでみても、それについては触れられておらず・・・。
私の感じたのは(雨乞いと言う言葉の響きからも)、とても原初的な、シャーマニズムにも近い儀式が行われていたのでは・・・と言った感覚だったのですが、本殿建立は1523年と言うのは確実である、とのこと。
ならば、シャーマニズムというよりは、もうちょっと、神道として洗練(?)された体系が出来上がってたんではないか?
とも思うんですね。
ただ、1523年、というのが、本殿にリンクしている年号だとすると、実は先に在ったのは、この「石の結界」であって、本殿は後で出来たものではないか?
と言った想像も出来たりしますが、素人なんでよく分かりません。
ところで、私はこのように写真撮ってしまいましたが(それでも、恐る恐る、な感じではあったのですが)、みわちゃんはそれも出来なかったそうで、そういったものへの「畏れ」には、やっぱり女性の方が強く繋がってるんでしょう。