西国第18番札所。

自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?
(この日は電車でGO。京都駅まで
自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?

(地下鉄烏丸線で京都から烏丸御池まで)

自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?

(烏丸通を南下すると、看板出てきます)

自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?
(自動車の場合、山門を過ぎたところに有料駐車場ありました)


(縁起:以下はWEBサイトからの転用です)
聖徳太子が幼い頃(物部守屋と争っていた頃ですが)、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、太子が蓋を開けると中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。太子はこの如意輪観音に物部守屋への勝利を祈り、「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と誓いを立て、自分の持仏として大切にしました。結果、勝利をおさめた太子は用明天皇2年(587年)大阪四天王寺建立のための用材を求めてこの地に来られました。
ある日泉のかたわらにある多良の木の枝に護持仏をかけて沐浴をされ終わって仏を手に戻そうとされたが、どういうわけか枝から離れません。その夜、「お前の守り本尊となってから、すでに7世が過ぎた。これからは、この場所にとどまって衆生の救済に当たりたい」、という仏のお告げを夢で見られました。
太子は、ここにお堂を建てることにし、ちょうどやってきた一人の老翁に「この辺りに観音のお堂を建てるにふさわしい木はないか」と尋ねました。老翁は「この近くに杉の巨木があります。毎朝紫の雲がたなびく霊木です。あの木を使うとよいでしょう」と言って去りました。老翁に教えられた場所に一本の杉の木があったので、それを伐ってこの地に六角の御堂を建てて護持仏を安置されたということです。



自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?



(鐘楼。山門より外にあります。)
自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?
(山門)
自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?



(へそ石:以下はWEBサイトからの転用です)

山門をくぐると、すぐ左前方の敷石の中央にまるい穴があいた六角形の石があります。もとは門前の六角通りにあったものを、明治初期にこの場所に移したのですが、かつてここが京都の中心地だったので「へそ石」、または「本堂古跡の石」と呼ばれます。

「元亨釈書」によると、平安京造営にあたり、六角堂が条坊制による東西の小路の中央に位置して邪魔になっていたので、勅使が南北のどちらかに移動してもらうことを祈願すると、黒雲が現れて六角堂が自ら北方へ5丈(約15m)動いたと記され、その跡に残った礎石が「へそ石」だと言われます。



自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?

(本堂を上から見たところ。隣接するビル「WEST18」のエレベーターで見れます)
自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?

(本堂:以下はWEBサイトからの転用です)
上空から見ると六角形になっていますが、「六角」とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことを言います。人間の欲望、つまり煩悩を脱して角を無くし、円満になること。つまり「六根清浄を願う」という祈りを込めて六つの角を造ったと伝えられています。
自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?



(親鸞聖人像)

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(親鸞堂:以下はWEBサイトからの転用です)
親鸞上人は、建仁元年(1201年)29歳の時、毎夜叡山を下りこの六角堂に百日参籠した。95日目の暁の夢で、如意輪観音より「法然の許へ行け」との示現を得ました(その頃法然は吉水で新しい専修念仏の教えを説いていた)。親鸞はこのお告げによって法然の許へ行き、引き続きまた百日参籠して六角堂から法然の許へと通った。それから2年後、親鸞はまた夢で如意輪観音の声、「行者宿報設女犯・我成玉女身被犯・一生之間能荘厳・臨終引導生極楽」を聞きました。
このお告げは今まで僧として禁止されてきた、妻を娶ることの肯定であり、法然の宗教から逸脱させる物であった。このように六角堂の本尊は二度にわたって親鸞にお告げを与え、日本に新しい救いの教え・浄土真宗を生み出したのである。親鸞堂には、夢のお告げを聞いておられる姿「夢想之像」と六角堂参籠の姿を自刻されたと伝える「草鞋の御影」を安置しています。



自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?

(太子堂(開山堂):以下はWEBサイトからの転用です)
境内東北の池の隅に浮かんでいます。聖徳太子自作と伝えられる南無仏の像(聖徳太子2才の像)が安置されています。
自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?



(太子朴浴の池跡。この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として知られるようになり、いけばながひろがりました。)

自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?


自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?
(石不動:以下はWEBサイトからの転用です)
手前に安置されているのは不動明王。大日如来が一切の悪魔を降伏させるために身を変じて怒りの形相をされた、強い法力を持った仏様です。一心に祈れば災難の種を消滅させ、人間の苦しみの身代わりとなって願いを叶えてくださるといわれています。



自分に十分な力がないから、足らない分を神仏に頼るんです。それが何か?

(十六羅漢以下はWEBサイトからの転用です)
『羅漢』とは仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊様。『十六』は方位の四方八方を倍にした十六を表し、あらゆる場所に羅漢様がおられることを意味しています。羅漢様は「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践しいつも「にこにこ」されています。「和顔愛語」の教えとは、いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあると説かれたものです。皆さんも、この羅漢様のように一日にこにこを心がけましょう。この羅漢様の周りには邪鬼がいます。仏教をなかなか理解せず、ひねくれて仏教信者とならない。そんな衆生を邪鬼といいます。中には改心した邪鬼もいて、ここ六角堂には、羅漢様の周りで仏法を学びながらお守りしている者や、本堂前にある大香炉を自分から大喜びで背中に乗せるけなげな邪鬼もいます。ここの邪鬼は皆、自らすすんで縁の下を支えています。



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