【再アップ】高橋大輔という人〜いかんともしがたいことを受け入れる事によって起こること。 | ボディーワーカー小笠原和葉オフィシャルブログ

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ココロとカラダに安心を再教育していく『プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド』を主宰、また横浜市都筑区、緑と光があふれるボディーワークスペース『BodySanctury(ボディ・サンクチュアリ)』でクラニオをベースとしたオリジナルのボディーワークを施術しています。

一年ほど前の記事ですが、
北海道に全日本を見に来ている記念に再アップ^^

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<2014-10-14 20:01:42>




高橋大輔の記者会見を待ちながらこれを書いています。


テレビではまだ断定を避けた形で(引退へ、みたいな)
伝えられていますが
ここで会見するということはもう
そういうことなのでしょう。


高橋選手、お疲れ様でした!!


うちのお嬢さんを妊娠中に見たオリンピックのレポートはこちら。
矢印にんにんフィギュア

さーせん!選考基準忘れてましたてへぺろ!に翻弄された記録はこちら。
矢印今までのような生ぬるい私ではなく・・

ひとこと「うなぎ犬」だけですが。
矢印【カズハ版】観たぞ、ソチオリンピック!

そして男子シングル。
矢印【カズハ版】観ーたーぞー、ソチオリンピック!【男子シングル編】




思えば彼を最初に見たのは・・いつだろうね??
オリンピック後のメダリストの凱旋のショーがあって
(スターズ・オン・アイスとか)
国内のジュニアで目立ってる子とかが
混ざって出たりする、そういうので見たんだと思います。


若くて可愛くて色気のある子だな~みたいな感じで。


けがをする前の彼はカラダの使い方に基本的な癖があって
あんまり好きじゃないタイプのスケーターだったけど
あるときから完全に「アスリート」の顔になって
エゴが抜け落ちて
怪我のあと、カラダの使い方も変わって
大人のスケーターに生まれ変わった気がしました。


多くの選手がそうであるように
彼も怪我との戦いでした。


メダルを取ったのはバンクーバーだったけれど
(そしてその前はうなぎ犬でした)
今回のソチが、やはり印象的。


あの、大騒動の(笑)全日本のあと
「今までのような生ぬるい自分ではなく」
もっと追い込んで・・・と思っていたけれど
怪我が思わしくなく、
追い込むことすら出来ず
そのやりきれない感情をリンク上で爆発させていたこともあったと
本田武史さんも言っていたし
競技開始前の
「最後まであきらめずに」という、本人と周囲のコメントが
その状況の厳しさを物語っていました。


状況は厳しさを増す一方
ソチに入ってからのインタビューの表情を見ると
逆にどんどん、静かに、目の色は深さを増していって
そんな彼を見るたびに
ある言葉を思い出していました。


私の周りでずば抜けて実力ナンバーワンであると思っていて
以前「ホロスコープdeビジネスコンサル」というタイトルで
宇宙塾に来てくれたこともあったゆかさん
そのイベントの中で語ってくれた言葉。


『いかんともしがたいことを受け容れることによって起こる癒やし』



いかんともしがたいこと、の連続だった、
特に最後の一年。


追い込むことすら出来ず
ただ迫り来る時間の中で
その時に出来る、ほんの少しの事をやるしかなかった数週間。


本来の力とは程遠い演技。
努力と根性で、克服できないことばかりの、その焦り。


だからこそ、それを受け入れる、ことしか為す術がなく
でもだからこそ見えた景色、というのが
あったのだと思う。


ブライアン・ジュベールもまたそうだった。


前回大会の演技が納得行かず
リベンジ!で大会に望むベテラン選手たちというのが
どの大会にもいて。


でもそこに至るにはやはり皆
年齢的な経過が大きく
その最初の強い気持と裏腹に
「いかんともしがたいこと」の壁の大きさは
増すばかりだっただろう。


若ければ、練習とがむしゃらさで乗り越えることが
出来たかもしれない
出来たからこそそこまで来ていた選手たちが
その精神力を持ってしても直面する
「いかんともしがたいこと」


新しい敵と戦ううちに
克服する課題の大きさではなく
そうして積み重ねていく時間の大きさが
今度はその人の魅力となっていって
気づくと違う地平に立っている。


ジュベールも、高橋大輔も
4年前、立とうと目指していたところには
立てないことを
演技前すでに受け入れていたところがある。


それは諦めとか自己否定ではなく
もっと大きなものを見た人の目。


勝つことが、競技者に求められることだと
それだけを思っていた時代とは違う
もっといろいろな色を含んだ演技。


結果だけ見たらうまく行かなかったけど
人生ってこうだよね
でもまあ、悪くないよね
って、ちょっと苦笑いを含んで
でも前より自分の人生をずっと愛しているっていう
そんな温くつつむような空気を持っている、


そのことに見ている方もいっしょに癒やされる。


その人の時間が「無駄じゃなかった」ってことを
みんなで確認し合えるという、癒やし。


真央ちゃんが見せたのが
ダイヤモンドのような
みんなの胸を射抜くような輝きだったとしたら
高橋大輔の演技は
琥珀のような、
まろやかでしっとりした
単色ではない甘い輝きだと思った。


以前、
『受容に関する方程式』 
っていう連載を(笑、文筆業か!)書いたことがあったけれど
あきらめるって、敗北ではない。


自分が立っている位置を静かに抱きしめるような
そんな、痛みのあとの優しいプロセスがあるのだと思う。


やりきった!っていう満足感とも
それはちょっと違うだろう。



ソチに入ってからの
特に演技後の高橋大輔の目は
なんだかお坊さんのようにどんどん澄んでいって
ああ、今彼はほんとうに「自分自身と一緒にいる」んだなって
「いかんともしがたいことを受け容れることによって起こる」
ある種の癒やしを、経験した人の目だなあと
勝手にそんなふうに思っていた。



いつも青い顔をしていたジュベールも
なーんか結局ガツーンと力をアピールできなかったな~
っていう苦笑いをしながらも
いい顔をしていたよ。


私たちの人生は
思い通りに行くことばかりではない。




「人生とは
自分の有能さとか資質とかを”行使して”
何かを勝ち取っていくものだ」
と思っている間は
人に「邪魔される」感じを感じるだろう、と
ある方に言われたことがある。


アスリートたちも
(特に採点競技という、いろんな意味でびみょーな競技に関わる選手は)
「力を行使して」「勝ち取る」時代の終わりを
受け入れざるを得なくなる時が、いつかはやってくる。


私はその時を迎えた選手たちの演技が
とても好き。


復帰後のカタリナ・ビットの
「花はどこへ行った」。





これなんかも、
いかんともしがたいこと・・・のもう2つぐらい先の
プロセスを踏んだ人の演技だよね。


幼い頃からの鍛錬の積み重ねを
テレビの前でぼーっと見てるだけの私たちに見せてくれる
若くて輝きと勢いと希望に満ちた演技も良い。


でも「いかんともしがたいこと」をたくさん乗り越えて
その時間を自分の中に抱きしめて
結果を受け入れているベテラン選手の演技もまた、良い。


やー、なんてすばらしんでしょうフィギュアって!(フィギュア愛爆発!)


たくさんの感動を、
なんてヒトコトでは言えない。


あなたの人生を
リンクの上で見せてくれた
高橋大輔選手、
ほんとうにどうもありがとう。


でもなんですかアノ煮え切らない引退会見は!笑


と言いたい気持ちをぐっとこらえて
「ありがとう、お疲れ様」

「もしかしてまた会える?」の
気持ちを、ハーフハーフで。
(そういやあの人はどうするのか・・)



ダイスケと真央ちゃんがいないシーズンが、はじまるね。



終わりは始まり!