平安時代の「もののけ」の概念を考える | 西陣に住んでます

平安時代の「もののけ」の概念を考える

西陣に住んでます-崇徳院



NHK大河ドラマ「平清盛」では、白河院が自らを「もののけ」と称し、
さらにその言葉をうけて後年他者が院を「もののけ」と呼びました。
このことに対して一部の視聴者が強く抗議しているようです。


この記事では、白河院が活躍した平安時代
「もののけ」という言葉がどのような意味を持っていたかについて
詳しく論じてみたいと思います。



メモメモメモメモメモメモメモ



まず、この「もののけ」の概念について論じる前に、
「もののけ」と関連が深い「怨霊」という概念について考えます。


「怨霊」とは、不合理に非業の死を遂げた人物の霊が
その死の原因を作った不合理な人物とその家族に対して
災いを与えるというものです。


古くから指摘されている有名な怨霊の例としては、
蘇我入鹿、長屋王、早良親王、菅原道真、平将門、崇徳院、

後鳥羽院、浅野長矩などの歴史上の人物が挙げられます。
これらの人物の死後には、敵対勢力の死や災害など、
不吉な出来事などが次々起こったとされています。

特に、以前、[崇徳上皇の記事] でも書きましたが、
怨霊が発生した時点で天皇経験者が若くして崩御する事例が
増えた事実は深刻な問題となったものと考えられます。


西陣に住んでます-歴代天皇の崩御時の年齢


もちろんこのことは偶然であると思いますが、
当時の人たちに疑念を与えるには十分な状況でした。


これらの出来事を問題視した朝廷は、
怨霊を鎮魂するために様々な対策を行った形跡が見えてきます。
例えば、長屋王の死後には都の鬼門に東大寺が創建されたり、
早良親王の死後には御霊神社が創建され、また
菅原道真の死後には天満宮が創建されるなど
徹底的な怨霊対策が行われました。
特に平安時代はこの怨霊信仰が強かった時代で
マクロな対策としては、王城鎮護と呼ばれる都の鬼門守護
怨霊を作らないための死刑廃止
死を伴う穢れ対策の専門職である武士の創設
怨霊の鎮魂のための御霊会やフィルタリングのための祇園祭の創始
などが挙げられます。

なお、これらの詳細ついては、本記事では省略します。

詳しくはこちらの記事をご覧ください→[平安京の王城鎮護]


また、怨霊と同様の概念で説明されるのが生霊というもので、
不合理に不当な扱いを受けている人物の霊が
その死の原因を作った不合理な人物とその家族に対して
災いを与えるというものです。
源氏物語の登場人物の六条御息所
配流先で特定の人物を呪った崇徳院がこれに当たります。


この怨霊(死霊)と生霊の概念を統合したものが
「もののけ」というテクニカルタームです。
もののけは漢字で書くと、「物の怪」と書きます。


このうち、「物」「霊」を意味する言葉です。
三輪山の霊とされる大物主の神の「物」も
古代に祭祀を行っていた豪族である物部氏の「物」も、
「もののあはれ」の「もの」も、物忌の「物」も
すべて「霊」を示すものという説が有力です。
原始宗教のアニミズムでは「物」と「霊」が同一視されますが、
このあたりが深く関連しているのではないでしょうか。


さらに、「物語」の「物」も「霊」であるとする説があります。
物語、すなわち霊を語る著作と言うことになりますが、
非業な扱いを受けた人物を主人公にして
物語の中で活躍させることで、鎮魂したとする説があります。


例えば、
「竹取物語」は時の為政者の藤原不比等らしき物をを悪者にし、
「伊勢物語」は非業の人物の在原業平を活躍させ、
「源氏物語」は藤原全盛時代に源氏を大活躍させ、
「平家物語」は非業の死を遂げた安徳天皇の哀愁を描き、
「雨月物語」は日本の大魔王と呼ばれる崇徳院が語りますが、
これらはまさに「霊語(ものがたり)」ですね。


一方、「怪」は、神秘(mystery)不確実(uncertainty)
という意味です。基本的にわからないものということで
畏れの対象を意味します。


配流先で髪や爪を切らなかった崇徳院の影響で、
「もののけ」はネガティヴにヴィジュアライゼイション
されるようになりましたが(冒頭図版参照)、
本来の語源は「神秘的な霊」と言うのが正しいと考えられます。
現代感覚で言う「怪物」や「化け物」というのはあたりません。

むしろアニメーションの「もののけ姫」に近い概念です。


ここで一旦まとめておきますと、
平安時代に考えられていた「もののけ」とは、
「不合理に非業の死を遂げた人物や、
不当な扱いを受けている人物の神秘的な霊のことで、
不合理な扱いをした人物とその家族に対して
災いを与えるもの」
ということができます。
「もののけ」の概念は、実際に平安時代の思想をひも解く
中心的な概念を示すテクニカルタームとして学術界でも使われています。



メモメモメモメモメモメモメモ



ここで、このような概念の「もののけ」が
白河院のケースに当てはまるかどうか考えてみたいと思います。


白河院の父の後三条天皇は、170年ぶりに誕生した

母が藤原氏ではない天皇でした。
この時代、藤原氏は常に天皇の祖父という形で天皇を補佐して
朝廷の実権を握っていました。これがいわゆる摂関政治です。
そんな中で170年ぶりに与えられた摂関政治を打倒するチャンスです。
後三条天皇は、天皇の父が朝廷の実権を握る院政と言うアイデアを発想し、
子の貞仁親王に譲位して、自らが太上天皇(上皇)として
朝廷のガヴァナンスを握るシステムを構築しようとしました。


西陣に住んでます-院政期天皇系図


ところが、後三条天皇の子の貞仁親王はやはり藤原氏の母を持ち、
いずれまた摂関政治が復活する恐れがありました。
そこで、後三条天皇は貞仁親王に譲位するとすぐに
源氏の母を持つ生後間もない2人の子である実仁親王輔仁親王

を皇太子に立て、貞仁親王の後を継がせる体制を確立しました。
実仁親王と輔仁親王を立太子することイコール
貞仁親王の子孫を皇統からはずすという意味です。
そしてこの冷遇された貞仁親王こそ白河天皇なのです。


そんな中、事態は一変します。


わずか1年後に御三条院が崩御すると、
白河天皇は政権基盤を揺るぎないものとします。
その後、皇太子の実仁親王も若くして亡くなりますが、
この場合、皇位継承順位の1位は輔仁親王ということになります。
ところが、白河天皇はこの時唐突に
実子の善仁親王を皇太子に立て同日に譲位してしまいました。
このとき即位したのがわずか8歳の堀河天皇です。


そしてことのとき同時に、
後三条院が強く望んでいた院政というアイデアが

皮肉にも白河上皇の手によって完成したのです。
なぜならこのとき既に
(1)白河上皇の母方祖父であたる藤原能信(母の養父)は他界していて
(2)堀河天皇の母方祖父は源氏(養父は藤原師実)なので
今後上皇がガヴァナンスを手放さない限り、
藤原氏の摂関政治は復権しないことになります。


さて、後三条院による弟の実仁親王と輔仁親王の立太子によって
一時期、長男でありながら将来がほぼ消えていた白河天皇ですが、
この時、後三条院が白河院を切り捨てた非業な措置に対して
強い怨念をもっていた可能性があります。
そしてその後、非常に都合良く
御三条院が崩御すると同時に実仁親王が死去しました。
他者に対して不合理な苦しみを与えた人物が、
苦しみを与えられた人物の生霊あるいは怨霊によって罰を受ける
というメカニズムがあるということが科学的に信じられていた時代に
白河天皇が御三条院と実仁親王の死が
自らの思いによって生じた生霊に関連していたと考えることは
理に適っていることです。

大河ドラマで白河院が自らを「もののけ」と称したとき、
このことを言っているのでは?と私は反射的に思った次第です。


平安時代に自らを「もののけ」という場合、
他者から不合理な苦しみを与えられていたと同時に
思念によって不合理な人物に対して災いを与える特殊能力を
持ち合わせていること宣言しているのであって、
あくまで自分の立場が正しいことをプルーヴするものです。

けっして現代の価値観における「怪物」ではありません。


なお、白河院が怨霊というものを強く信じ、
高い関心を示していたことはよく知られています。
まず白河院は、怨霊が侵入してくる鬼門とされていた
都の東北にあたる岡崎周辺を開発し、
日本最高の高さを誇った法勝寺九重塔をはじめとする
仏教インフラを多数創建しました。
また、院政の拠点であった白河北殿の東北(鬼門)には
白河院という聖の鬼門を護るために聖護院を創建しましたし、
裏鬼門に当たる都の西南の壬生では
今の世にも残る怨霊封じの大イベントである節分会を創始しました。

参照→[節分会記事]


ちなみに、「もののけ」は、皇室や公家では恐れられていた概念ですが、
平素から「死」というものに接して、
時に殺害を実行していた武士には一般的に恐れられていませんでした。
死期を迎えた妻に加持祈祷をさせる清盛忠盛が一喝したシーンは
まさにこのことを示す見ごたえのあるシーンでした。


このような事実関係の中で歴史的な観点から見た場合、
白河院が自らを「もののけ」と称することは
けっして不合理ではないと言え、
現代の上から目線で「もののけ呼ばわり」などと批判する人物は
限りなく青に近いブルーな人物と言えるかと思います(笑)


論理学に立脚すれば、
白河院をもののけと呼んだドラマを放送したことで

「NHKは反日である」とする命題が

実際には真でないことは容易に証明できます。
これはこの命題と同値である次の命題が真でないことを
容易に証明できるからです。
・反日でなければNHKではないことを証明する(対偶法
・NHKが反日でないことが偽であることを証明する(否定
・NHKの社員に反日でない社員がいないことを証明する(背理法
これらの命題が真でないことを証明するには
NHKの社員のうちたった一人でも反日でないことを示せばよいのです。
現代人の常識で「おかしいに決まっている」と

手前味噌に解釈するnaiveな人物が、鬼の首でも取ったかのように

インターネットでNHKを反日と断定している状況には、
強い危うさと嫌悪感を感じます。


ただし「NHKの一部社員は反日である」という命題も偽とは言えません。
現代人には一般的でない「もののけ」の概念を巧みに利用して
視聴者を貶めるという行為が一部の人間によって意識的に行われたことも

否定はできず、この命題の真偽は判定することができません。

この点から言えば、「もののけ」という言葉が
平安時代にどのような概念をもっていたか
視聴者に対してわかりやすい説明を加えることは
公共放送であるNHKにとって道義的な責務であると考える次第です。