希望というとテーマ的には大ききて高邁なイメージがあるが、実際に自分の日常にそれを見るのはちょっとした出来事などのなかにある。春先の土に隠れている雑草の新芽のようにね。
私の場合、最近では、警戒区域のなかに触れた原稿をある出版社の方にお渡ししたら、「私たちは、過去の大戦からも、なにも学ばなかったのでしょうか・・・
せめて、人から人へと伝え、一人一人の意識に刻まれねば、と思います。
と返信を下さった、この文の中に希望を感じたのだ。
それは、私はずううううっと警戒区域のどうぶつの置き去りの政策は、戦争のあとの事態によく似ている、と感じていて、ブログなどでも何度も書いてきた。でも若い方は戦争の体験がないこともあって、私の主張はピンとこないようだった。そのことがちょっと落胆だったのだが、今回、別にそのような表現は一切していないのに、私などよりずうっとお若い方がまずそのことをとらえて下さったのが、希望ってあるものだなぁという感慨になったのだ。
それに、考えてみれば、警戒区域の問題は、溶けようのない傷の塊を心の底にぶちこんできたが、でも、昨年の行動のひとつひとつを思い出すと、そこで出合ったり、すれ違ったり、向きあったり、助けてもらったりした人々の全部から、私は救われてきたんだな、と思う。
私は弱いから、ちょっと何かあると、すぐにその人が嫌いになったり疑ったりするけれど、もういいかげん年なんだから、そんなところに留まらない強靭な優しさを培いたいね。・・・・ナアンチャッテ、ウソだよ~。優しくなんかなりたくないね。←ここに私の希望があるんだからして。(笑)
毎度ながら、意味不明のブログですみません。
それからアニマルエイドさん、私、至らないレスキュー人間で、首にされていたんですね。さっきブログ拝見して、この首にされた複数の人の中に私も入っているのだろうと、察知しましたよ。
私ね、ほんとに純粋な気持ちで無私に頑張っていたので、役に立つ仲間だと思われているとばっかり信じていたんですよ。私も結構お人よしなんですよ。(笑)
それが、私は迷惑な厄介ものだと思われていたとは。
アニエイさん、桜ママさん、どんなにかやりにくかったでしょう。でも年も上だし、はっきり首とはいえないから、やめざるを得ないように仕向けられたんですね。今にして思うと、ヘンだなぁ、という気持ちの悪い感じはありましたよ。だけど、そう感じる自分が悪い、そんな作為や裏表のあることをするなんてことあり得ない、と疑いを持った自分を諌めていたんですよ。
それほど私は迷惑をかけた、ということなんですね。お二人が思われたのなら、お二人にとっては、どんな扱いをしても、どんなことを言ってもいい、という本当のことなのでしょう。それに対しては、お詫びますよ。
でも悲しいですよ。こういう排除の仕方、人間としてよくないです。
警戒区域に入れなくなる、という名目を使えば、あなた方は自分を絶対化、正当化できるでしょう。そうやって懸命に協力し志をともにしている者を否定し、罪人にする・・・どうぶつたちが言葉を話せば、何と言うでしょうね。
私はどうぶつたちと天に問いたいですよ。「私は、みんなに罪を犯し、害を及ぼしたの?」と。みんなが言葉を発してくれたらどんなにいいでしょう。もし「そうだよ」と言ったとしても、どうぶつたちの真実の思いを知りたいです。