農業研修生、外国人の暮らしを受け入れる』について、何の違和感もなく普通のことだと思っているが、ただ受け入れるにあたって、その人たちの暮らしが普通にできるような土台を作ることは必要ではないか、と感じている。

前にも書いたことがあるが、空き家などをリニューアルして、家族や個人の体系で暮らしたい人にはそうできる住まいにし、グループで住むならシェアハウスにするなど出来ないのだろうか。

 

また国や町の法律や条例など基本をわかってもらっておくことも必要だと思う。

そうした土台を作って、互いの敬意や信頼を育みながら生活をともにするのは、子供たちへの教育にもいい影響になるだろう。

 

実際に外国の農業研修生の多い町に住んで、行政側にそういう意識が必要ではないかと思えてならない。

 

 

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窓から、この前植えた水仙の咲き具合やチューリップの芽の伸び具合を見ていたら、我が家の第二駐車場に白い車が止まる。『誰だろう』とそのまま見ていたら、行政の方らしいとわかる方が私を見て礼をされた。

 

玄関に回ってドアを開けるとやはり動物指導センターの方である。

外は寒いから玄関に入っていただいてしばらく話す。

我が家の犬や猫のことについて聞かれたことを話すが、最近よく思うのだけど、我が家に猫や犬を置き捨てれていきはじめた三十前と比べて、動物行政に関わる人たちはずいぶん変わられた。

こんな言いかたをするとエラソーで失礼極まるが、意識がとても高くなられて、また私のような個人で動物を抱えてしまった者に、公正な視点で接して下さる。

昔は、捨てて行く人が悪いとわかっておられながらも、処分の方向にいかず守り抜こうとする人間をよくは思ってもらえなかった。そのことにどれだけ辛い思いをしたかわからない。命がけで担当者と喧嘩をしたものである。

私はいつも一人で対した。猫おばさんたちは決まって群れてわめきたてる、とそういう行政の側の人たちも、いつも一人で一歩も引かず対する私を不思議がったものだ。

でも私は運動家でも活動家でもなかったし、また非力者だったから、結局はなんも出来なかった。ただもっともらしい理屈をこねて相手を黙させ、自分だけせいせいして帰っていった。

今思うと、自分の未熟と非力が悲しい。

若い方々がしっかりした活動体を作って、行政とも連携していっておられるのを、本当に立派だと思う。

 

今日は行政の方と久しぶりに話して、それやこれやをいろいろ思い出したり考えたりした。

私は今日、指導センターの方がこられた真の目的をすぐに直観的にわかっていた。

お二人は、私が高齢になっていることを当然わかっておられるから、ちゃんと動物たちの世話が出来ているか、そして、もしもの場合、現在私と暮らしている動物たちを見てくれる人や体制は出来ているのか、心配も含めてそれらを把握されたかったのだろうと。

 

それはセンターの側からしたら当然のことだ。もし今私が死ねば、残された30匹近くの猫犬たちは多頭飼い崩壊ということになって、行政に大変な負担を強いることになる。

呑気者で抜けている私でも、ここ何年か前から心底気になっていることだ。

アドバイスを下さる方や、自分が引き受けると言って下さることもあるが、いざとなったら簡単にはいかないだろう。

 

などなど物思いがわいてくる今日の寒い日、わびしさと寂しさに生きているのが辛くなってしまった。

 

ナアンチャッテ、実際明日死ぬと決まってるわけじゃねーし、何をくよくよしてるんだ、お前は、と自分を叱っていたら、そうだよ、ちゃんと、みんなを看取って逝けるほど長生きするかもしれないじゃないか。という気になってきた。ハハハ。

 

もう寝る。明日は温かくなるんだっけ?

 

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ある書き物をしていたら、以前に書いたこんな自分の文章が出てきた。

前のエントリーに共通するものなので、この文章をそのまま載せようと思う。

 

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夫の病気による退職後、私と夫は、茨城県内の人口三万に満たない町に居を移した。一九九一年の冬であった。

『東京から東北線で一時間半、駅から車でほぼ一時間、電車の通らない、いわば陸の孤島のような町です。

でも、ただいま町は白菜の青臭い香りに包まれ、農道には収穫したそれを市場に運ぶトラックが行き来し,都市暮らしでは知らなかった活気があります。夏には田畑の殆どをメロンが占め、甘い香りが町中に漂うようです。

遠くに名山、筑波山を擁し、いかにも豊かな田園の村、いえ一九七二年から町になっています。ぜひ、遊びにおいで下さい』

私は友人たちにこのような便りを送った。

『のどかな田舎暮らしを楽しんでいるのですね。羨ましいなぁ。必ずお訪ねしますね』

友人の一人が、こう返信してきて、数年経って遊びに来てくれた。

そして、この友人は、都会に帰る前に町の感想を訊いた私に、滞在中に案内した田畑や筑波山や筑波大学やつくば市の街並みなどには触れず、妙なことを言ったのである。

「いたる所に、箱型の小さな建物があるのが印象的だわ」と。

私はこの後、“箱型の小さな建物”を意識して探した。それは探すまでのこともなく見つかった。日常的によく見ていたものだった。六畳間ぐらいの小さなプレハブの建物である。

私はこれを、「農家の納屋」と何の怪訝な思いなく思っていた。

友人のひとことから私は、この小さな箱型の建物が、白菜やメロンを作るために外国から来る研修生の“家・住まい”であることをやっと知ったのである。

私は今、豊穣の実りの町の住民の一人として、小さな箱型の建物の存在と実態を、息苦しい思いで見ている。

 

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この短文に加えて行政の在り方を含めた『農業研修生、外国人の暮らしを受け入れるということ』について書いておきたいのだが、これから継母の昼食であるし、その後用事もあるのでひとまずここで止めておきたい。

 

 

 

 

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精霊の守り人は毎週楽しみに観ているが、さる国の暗殺事件が起きてから重なってならず妙に怖いし不安感にとりつかれている。

 

この不安感はドラマとあの国の陰惨な事件によるものちうより、我が家の近隣に起こっている現実に対してなのだ。

 

難しい問題を含むことなのでここでは書けないが、このままでいいわけのないことで、行政がしっかりと問題を把握してそれなりの対策を立てるべきことだと思うのだが、これがさっぱりで町に暗黒が覆っている気がするくらいなのだ。

 

書けないと言ったが、私はじかに独りで確かめに行った。

近くにかって新鮮農作物の売り場だったという小屋にかなりの人数の外国人が住まわれるようになったのだが、その小屋のまわりの森がガンガン切られて土が掘られていってるのだ。

役場に訊いたら、土地の所有者が自分の土地の木を切ろうと掘ろうといいのだ、という。そこで、失礼と思ったが、「あなたがたが木を伐り土を掘っている土地はあなたがたの所有ですか」と訊いたのだ。その森は、春になるとまるで湖水が顕われたとうな青草に覆われ美しく、大きな木々には鳥の巣がここかしこにある。鶯もその森で歌う。

 

すると、所有者の名前も知らないと言われるではないか。

私は、無断でこの見事な森を壊していくのはいいことではないですよ。役場できちんと問い合わせてみたらどうでしょう、と言った。

 

そして私にとって大きな気がかりは猫や犬のことなのである。地域の当番の人が、別の場所だがやはり外国の人たちが多数で住まわれたところで、それまでいた猫や犬がみんな姿を消し、庭に繋がれた犬のロープがはうzされていなくなった、というのだ。

これは根拠のない無責任な作り噂であるかもしれない。結構どうしようもない作り噂で他者を痛める人はいる。だから、騒ぐつもりはないのだが、ある気がかりなことを実際感じ、それに役場が無関心であるなら、誰かが言っておかなくてはならない。

 

そこで私は言った。

「私が気になったことがあるので言うのですが、日本では、犬や猫を殺したら犯罪になります。そのこと、誰かに教えてもらっていますか?」

こういうことは疑いをうやむやにしておくのはよくない。思い切って言った。

「日本では、犬や猫は食料ではないのです。少なくとも私は、そうされていると知ることがあったら黙っていないです」と。

 

こうした件に関して、日本のこの地方はまことに悲しい。

日本人に話しても、「昔はみんな食べてたよ」と笑って言う。他者の森を荒らしてもそこに鳥の巣があるとしても、問題にするほうがおかしいというぐらいのものだ。

 

こうした体質をほとほと感じて、妙な不安に付きまとわれているのだ。

 

私はこういう町で要介護4の認知症の夫を守って20年を暮らし、言葉に尽くせぬ孤独を味わい私なりの闘いを続けてきた。殆ど誰とも接点も持てなかった。

 

愛護の原点はやはり、町の人々ひとりひとりの胸に慈しみの灯をともす努力を忘れないことだと40年を経てもなお思う。

 

なんてことを言うが、実際の今、私は本音を言えば、うちお猫たち、犬たちと、森の猫たち、倉庫に居ついている猫たち、そして継母を連れて、こんな町を出ていきたい。

せめて一人でいい、慈しみの共感を持てる友のいるどこかに行きたい。

自分のこうした言いぐさもまた傲慢で浅はかではあるがこの町を去りたい。

 

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ドラマの感想を書くつもりがめんどうくさい愚痴ぼやきになってしまった。つい気を晴らしたくて。晴れないけれども・・・・。

 

衝撃

金正男氏が暗殺されたというニュースに慄く。

 

過去に正男氏は、「自分や家族を殺さないで」という手紙を弟に送られたという。

これは自分の命乞いではなく、家族、特に子供を守りたいための手紙であったろうと思う。

それでも正男氏は殺されてしまった。

 

せめてご家族、お子さんに未来永劫危害が及ばないことを心から願う。祈る。

 

 

体重

体重が7キロ減った。

「えー! 7キロも減ったの? 検査したほうがいい!」と知人は心配してくれるが、私の体重が減ったのは口内炎がひどくなる一方で食べ物、飲み物が口に入れられないからであって、別にどこかが悪いというわけではない。悪いのは相変わらず頭。ポロポロポロポロみんなそこらじゅうに忘れおとしている。でもいいか。それで生きていられるんだから。

 

ほんとはもっと忘れてしまいたい。何も覚えていたくない。悲しかったこと。怒り。無念だったこと。やりきれないこと。辛いこと。寂しかったこと。みんな忘れてしまいたい。いなくなった猫たち、犬たちのこと。死んでいった子らのこと。守れなかった自分への悲哀。

 

それらを忘れるために、今、眠り薬を一粒のんだ。眠りたいんだ。何もかも忘れて。

 

おやすみ。また明日。

 

 

正月に痛めた右手がまだ具合が悪くて、また強風もあったものだから、ここ数日犬たちの散歩をさぼっていた。可哀想だな、ごはんよりも散歩を楽しみにしているのに、ごめんね、ごめんねと心で思いながら、スルーするのだ。

 

でも今日はなんとしても行くゾ。

 

喜んで喜んで! 涙が出そうになるほど嬉しそうだった。

 

頑張らねば! 自分の体調はやっぱ二の次。

 

それにしても春が待ち遠しい。

体調重く気持ちも晴れないまま本を手にする。

すぐに取り出せるようにそばに置いている本の一冊、吉本隆明の「最後の親鸞」を開こうとして、その前にちょっと調べておきたいことを思い出して、なんやかや検索すると、『webちくま』のページが出た。

そこに、日本思想史の名著を読むと題したシリーズがあって、苅部直さんの連載が載っている。

開いたページは、親鸞の歎異抄で、私がちょうど手にしていた吉本隆明の最後の親鸞が書かれていた。

 

とても面白くて読み入ってしまった。↓のURLにあります。

http://www.webchikuma.jp/articles/-/477

 

私は前にブログでも書いたが、最後の親鸞を読んだ時、(吉本隆明こそ親鸞の生まれ変わりだ)という直観に胸を刺し貫かれた。

 

それからもっと前にどなたかの書かれた親鸞を読んだ時、自分が勝手に思い浮かべるイエスの姿と重なってならず、私は以後、自分が、イエスと親鸞の白い衣の裾を握りしめて必死に歩いてきた、それは勿論妄想なのだが、その感覚が今も離れないのだ。

 

苅部直さんの文章をたった今読んで、自分のこうした妄想を明確に真理づけられた確信を感じてぼうぜんとしている。これも勿論私の浅はかかつ愚かな妄想なのだが、こうした妄想に光明を得て生きるのもいいんじゃねーか? と独りで晴れ晴れとした笑い顔に浸っている。

 

年をとるというのはいい。

どんなひとりぽっちという煩悩に苦しもうと、こういう瞬間に出逢うのだから。ニコニコ

おばあちゃんの検診

テーマ:

今、夜中の3時台だが目が覚めてしまったのでこれを書いている。

今日は土曜日だが継母の検診に病院に行かねばならない。

本当は水曜日に行くはずだったのだが、雑事が多かったのでつい延ばしてしまった。

 

薬がなくなるので、今日は何としても行かなきゃ。

天気予報によると、今日はこのあたりは温かいようで助かる。ニコニコ

 

モアちゃんの鼻水

数年前に数匹の大人の猫がいっぺんに捨てていかれた。

夫の介護が大変になるばかりの時期だったから、数年というよりもっとまえだったかもしれない。

どの猫も筋肉質の立派な体格をして、人に慣れてるようであるが何かの拍子に噛みついてくる猫たちで、たいした傷ではなかったが私の手は始終傷だらけになった。

こうしたことが何年か続いて、冬になると数匹の大人猫が森に置いていかれ、私は手術に追われ、何匹も家に増えていった。

夫の様態も認知症が進んで辛い時で、そうしたこちらの事情など露も考えていないのであろう置いて行く人に、本当に悲しい思いを抱いたものだ。

 

こうした重荷ばかりが疲れた背中に張り付いてくる中、人や風の噂で、私がどこかの団体などに猫や犬を捨てていってるとひそやかに拡散している人がいると聞いて、どうしようもなく虚しい思いが重くなったものだ。

私は欠点の多い人間だが、そうしたコスズルイ仕業はしない。

 

だが、動物の問題の場所だけでなく、どこの分野、場所でも、妙な陰口をまことしやかに拡散され、それを知ると過剰に気にするものだから、陰口をきく人たちの都合の良い情けない言動をとってしまい、私は他者からというより自分の弱さ愚かさで冤罪を真実に見えるようにしていくのだった。

本当に自分の社会性の未熟に、どれだけ崖から落ちたかしれない。(苦笑)

 

やれやれ、またほかの方向に滑ってしまったが、こうした我が家の世界の中に、ロシアンブルーっぽいモアちゃんがいた。

元気で活発な大きなモアちゃんだったが、今は老いもあり大分小さくなって性格も穏やかになっている。

そのモアちゃんが、昨日、鼻水を出していた。

モアの家は”猫の家犬の庭”のほうで、大きなテーブルの下にこぶりのソファを入れ、電気座布団を置き、わきにパネルヒーターを立てて、それらの上に木製の古い家具をかぶせ、それらを二畳の広さのカーペットで覆っている。

カーペットの中は温かい。そして電気座布団もあるから、モアちゃんたちは極寒の夜でもぬくぬくと眠れるのだ。どの部屋もこんあもんでしかも二軒の家でそうだから、冬の間の電気料金には苦しめられるが仕方ないのだ。ひもじさと寒さは猫には辛い。福島の冬にこの思いで必死に通ったもんだった。・・・が、通うきれず今は痛みだけが胸中にたまっている。

 

また話がずれた。

モアちゃんだが、こんなふうに温かくしているのに、昨日、鼻水が垂れていたのだ。

あ、と思い、電気座布団に触ってきたら温かさが薄いではないか。

これではほかの猫たちも風邪をひくと、昨日の夕方電気毛布を買ってきて、毛布を敷きその上に電気毛布をふかふかと敷いた。

 

今朝、早朝に猫の家のほうに行ってみたら、モアも他の猫たちも、温かそうにゆったりと眠っていてほんとにほっとした。モアの鼻水もとまっていて、食欲も十分あった。

 

よかった、よかった。

 

とはいうものの、実は私自身があまり調子がよくない。

これから継母にお昼を出して、少し休むつもり。

終着駅に着くにはまだ間があるといいのだが。・・・・・・・・・。