祈ります

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例の学園の問題で、首相夫人がメールに”祈ります”と書かれていることで物議を醸していたが、私も”祈ります”はよく使う。

友人や知人がある事態があったというメールなどを下さった時は必ず”祈ります”と記す。事態が改善し癒されますようにという気持ちと祈るしか自分には出来ないという思いからだ。動物たちの苦しみや社会に子供や若い人がむごい目にあった報道などをあった時なども、実際必死に祈る気持ちが起こる。


だからというわけではないが、首相夫人ももし今問題やこの人たちから離れたいという本音があったとしても、”祈ります”の言葉には真摯な辛さがあったのではないかと感じる。



ちょっと話を少しずらしますが、私は結構祈る。

どうすることもできない辛い現実、例えば息子たちのこと、動物たちのこと、継母の健康のことをしみじみとしみじみと祈る。


そしてちょっと何かあると癇癪を起したりイライラしたり面倒くさがったりする自分を、叱咤と後悔と自分への落胆と自己嫌悪をこめて必死やたらと祈る。「優しい心のひろい愛の在る自分になりたい」と。

そしてすぐ忘れ、傲慢と冷淡と自己中心のありのままの自分で生き、「もんくあっか?」と平然としてる。


やれやれです。トホホホです。

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忖度(そんたく)

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実は私、今ある問題でテレビでやたら出てくるこの”忖度”。意味がわからなかった。


それで今、ネットで調べた。


”他人の心をおしはかること”という風に出た。


他人の心をおしはかるっていい意味じゃないか、つまりは思いやりでしょ? と思ったのだが、そういう単純な浅い意味ではないらしい。


つまりは率直でないということでしょ?


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『そうかあ~、私は人を忖度ばかりしてる人間だったんだ、だから、かえって自分の真意が歪曲され、人間関係がこちらは何の作為もないのに妙なことになっていくんだ・・・』

と、つくづく、しみじみと自分の心の寂しさを思った。


でも・・・私自身も、人から忖度ばかり受けて、そして寂しい気持ちで傷ついていたと思う。

どこの分野、特に愛とか平和とか優しさetcの言葉が重要なところでこそそうだった。

みんな他者、特に自分たちの中で異質を感じる者のことは、忖度ばかりで仲間内で決め合い、それが真実と決めている気がする。


忖度とは、決して善なる結果を招くものではないんだな。


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こういうことが少しわかって、私は今、自分をもう一度見つめ直し、自分の躓きの多くが自分の忖度心からきていたことをしっかり考えようと思っている。


そうして、書いておくべきことは書いておかなくては、と思う。

手始めに、自分がこれまで書いてきた著書を見つめ、そこに生じていた忖度の躓きは絶対書いておかなくては、と思った。ずうっと後日になるかもしれないが。


今日は早いうちに犬たちの散歩と猫たちの世話をしておきたいからこれから、「猫の家犬の庭」のほうに行く。

その後、いただいた新ジャガイモの調理にとりかかろう。何にするかな。


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森友学園問題 続私感

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昨日ここで森友学園問題についてちょっと私感を書いたが後悔している。


土地の購入の問題が出た時から基本的に教育者として籠池氏や夫人を認めていなかったし、むしろ嫌悪してしていた。(教育の方向ややり方に対して)(ほかの政治的な問題はわからなかったので無関心だった)


それなのに、昨日の証人喚問の様子から、世間知らずの愚者で作為や欲望だけの経緯ではないのではないか、教育者としての資質や思想は別にして、教育に打ち込もうと信念を持たれているのはそうなのではないか、という感じを受けたのだが、一夜明けても尚気になるので、新聞読んだりテレビ報道を見ていると、実際のところは私などが理解できるレベルのことではないのだとわかってきた。


何か事をはじめようとすれば、自分の描いた通りの純粋で清潔な経路ばかりではなく、思いもよらない抱えるものが生じてきて、それを解決しようとしているうちに尚思いもよらない泥をかぶったり、誤解が決定的に真実のようになってしまうのは、社会的に力を持たない私の経験の中でも味合ってきた。

それはとても悲しかったことだし、今もひどい人間不信におちているほどだ。


そんな自分が、真実のわからないことを、何をエラソーにわかった風に言ったり書いたりするのか。・・・と後悔したという次第。




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森友学園問題に思う

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森友学園についての関心は、ニュースで知った頃は、「土地購入に8億円だかも安価で行われた」ということだけだった。購入した側にだけではなく、8億も安くしていった側に腐った卵の臭いを感じたのだ。

そしてこどもたちの様子が報道されるにつれ、なんてことだろう・・・とぼう然とする感覚が起こった。

この二点だけに関心が起こり、あとのことは実際の真偽はわからないし、報道やワイドショーの流れにも影響されるということもなかった。無関心にはなれなかったけれど。



昨日の籠池さんの証人喚問で、少しわかったと思うことがあった。

籠池さんという人は、土地を8億も安くさせる凄腕、悪辣の経営者という人ではなく、事を成すのに必要な知識を重視しない世間知らずの愚者のような人なんだなぁ、ということだ。

この愚者が、社会に教育者として立つために、成り行きも含めて己の持つものの不足の現実を二の次にして、懸命にやるべきことをやってきた結果が今回なのだろう、と。


そうした彼に近づき彼が”協力者”と信じた人たちは、別に欲にかられてということではなく(欲にかられた人もいるかもしれないが)、籠池氏を常識を備えた知識、方向性を持つ事業者と思い込み流れに入り、その流れを強めたに過ぎないのではないかとも。


首相夫人も体質的に籠池さんに共通した世間知らずの愚があったのだと思う。

昨日のフェイスブック上のコメントを読むと、私人の位置であることを逃げ道にしていた人は、公人として守られようとしているんだなぁと思い、思わず鼻先で笑ってしまった。


でも、なんだか籠池さん、首相夫人ともにそのお人よしさんには同情してしまう。

私なんか、ごく小さな個的なレベルのところで、ただ世間知らずの常識知らずのお人よしの、そして自分も認められたいという寂しい空洞を埋めようとして自分の全部をどこでも出し切って周りとともに歩を進めているつもりが、気が付けば、まったく的外れの作為に満ちた疎外をされている、という事態になっていることが結構あるから。


ナアンチャッテ。

人間て、社会て、世界って、案外こんなレベルで成り立ってんじゃないのかな・・・・・つまるところ、腐った卵、というのは言い過ぎかもしれない、いやすべて腐った卵なんだよ、世界が一人のこらずそうなっちまってしまってるうんだ・・・・・iと、こんなエレジーを感じている森友学園問題です。


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WBCは準決勝で敗退したらしいけれど、面白かったですよね。チームみんなに感謝感謝、拍手拍手です。





しばらく前から、犬のオリョウが自分の小屋を破壊するので困っていた。オリョウは身体が18キロぐらいあって我が家の犬の中では大きいので、小屋もそれなりの大きさのしっかりしたものにしている。我が家の家計の中では相当の高額である。


それなのに、自分が小屋の下に潜り込み転がし、思わぬところをガジガジと齧りまくる。つまりは壊れるわけだ。大雨のときに小屋を遣えない状態にして自分はびしょぬれなんてこともある。


これはきっと欲求不満だと、日に二度は散歩もいき、せっせとマッサージやブラシかけも頑張ってみる。でも破壊はますますひどくなる。しっかりしたつくりの大きいがっしりした小屋が三か月ともたない。

うちは経済の問題も深刻だからほとほと困った。


最近、ひらめいた!

ある意味、オリョウの今の状態は、要介護4であった夫の認知症時代に似てるではないか!? と。

夫は落ち着いて眠るということができなくて、15分ごとに起き上がり、そこらへんのものを壊すつもりはないようなのだが結果的にバラバラにしていったりした。


考えてみれば、オリョウも年齢的には夫が認知症を発症してどんどん変貌をしていった70代ぐらいだ。

たいていのことは猫も犬も人間もかわらない、というのが私の体感的な自覚なのだが、とすると最近のオリョウの困った変化は”認知症”なのではないか、ということにいきつく。


ま、仕方がないので、オリョウの届くところに小屋を複数おいて、雨が降ったら無事な小屋に入る、ということにしている。オリョウも雨が降ると濡れるのはいやのようで、無事な小屋に自ら入っていくのだ。(笑)


知人から聞いた話では、高齢で認知症になった犬の症状として、鳴き声がひどくなる、ということだが、そうなるとご近所にご迷惑になるので困るだろうなぁ。


まぁ、その時は家に猫たちと暮らすとか、なんとかなるだろう。幸い、継母は耳が遠くなっていて多分聞こえにだろうから。・・・と、継母にもう打診しているのだが、「大丈夫よ、わんちゃんが鳴いても寝ちゃえば聞こえないから」と言ってくれた。


ありがとうございまする!




夕べの憂鬱の続き

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生きて目が覚めた。神様、仏様は、私をまだ働かせていたいらしい。(笑・感謝)


結構、気分のいい朝だ。毎朝野菜嫌いの継母のために作るスムージーもフルーツをいつもより多めに入れて、継母は「今日のは美味しい」と言ってくれたし、猫の家犬の庭のほうのバンタたちもベランダに注ぐ朝陽を受けて元気そうだったし、明るい気分で今日を生きよう。


でもひとこと、いつもながらのモンクを言っておきたい。


佐々木の家の近くに置いておけば、飼うわよ。あの人、ほかにやることがないんだから・・・と言ったとか言わなかったとか、また猫を捨てたとか捨てなかったとかのあなたへ。


あなたのその性根を私は悲しみます。どれだけの猫や犬、その猫や犬を哀れに思い掬い上げる人をどれだけ苦しめてきたか。あなたの唇から出る「人権や平和や思いやりや愛など」の寒々しさが、私たちはどれほど辛かったか。自分の非力で苦しんで死んで逝く動物たちへの、深い自責に苦しみながら動物たちを看取ってきた私や多くの人々がどれほど、酷薄なあなた方を許してきたか。


どうか、いつか、わかってください。


私も生きてる間、懸命に考えます。

私は何をしてきたのか。ずうっと絶え間なく心を痛くした事柄、出来事を、受け止め続けてはきたけれど、それは正しかったのか・・・・・、私はいったい何をして年老いた今もこんなに寂しく辛く苦しいのか。神はなぜいつまでも私を生かしているのか。私が間違いの道を来た者なら、なぜとうに打ち殺して下さらなかったのか。を。

安らぎたい。ただもう安らぎたい。


継母の記憶

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今一緒に暮らしている継母は、私が二十歳の時に父が結婚した人で、家が世田谷の太子堂、三軒茶屋の商店街近くの住宅地にあって、そこで父と継母と私が三人で暮らした時期があった。

今夜、その頃のことを継母が話しだした。


「和恵さんが幼稚園に勤めていて、いい友達がたくさんいてよく遊びに来られたわよね」と、継母は何がきっかけだったかそう話し始めたのだ。

「そういわれるとそうだったかも。私は今は動物たちを抱えてすっかり人生がかわってしまったけれど、あの頃は毎週日曜日に友達がきて楽しかったんだ」

「そうよ、同じ年ぐらいの男の子が三人、時々きてたわよね。夜だっていうのに、門の外から、”なかむらくーん”と和恵さんを呼んで、お餅をたくさん焼いてノリでまいて出してあげたら、あの子たち泣くほど喜んでくれて・・・・・・」

継母は懐かしそうに話す。

「そうそう・・・あの人たちは同人誌で詩を書いていた仲間だったんだけど、みんな地方から出て貧乏で、今思うと、ほかに行き先がなくてああしてうちに来て、お母さんがその時その時に何か出してくれるから、救われていた気がする。あの頃はただ遊びにきたって思っていたけど」

私も思い出した。

「和恵さん、その子たちにも幼稚園の友達にもわけへだてなくいつも気持ちのいい迎え方をして、私、感心してたのよ。だから私は何か見繕っていたの」

継母は次々に思い出していく。


そう・・・私は誰にでもその日に合った人にも同じく家に来た人を何の警戒もなく迎えた。誰にも心を開いていた気がする。

「あの頃は優しかったんだ、私・・・今はすごい人間嫌いで、偏屈な引きこもりになってしまった・・・」

と言ったら、継母は、「和恵さんは、今も一つも変わってないわよ、ほんとよ。ほんとにそう思ってるのよ」とほほ笑んだ。


ふいに泣けてきた。ほんとに今は人との付き合いが辛い。みんな、欺瞞の花園を躍起になって咲かせて、それを自分の飾りにしている。・・・・そう感じて、その辛さがおもりのようになって自分の肉体も精神も、魂さえも衰えさせている。・・・・・一度泣くと、その辛さが増大して自室に立てこもるように入り泣きt続けた。

結局は私は何も成熟せず成り行きにまかせて茫々と醜くなるままに生きているだけだ。

無能もの、役立たず、能無しの馬鹿年寄り、と自分を心中で罵る。



ま、いいか。こういう夜があっても。ほんとのことだし。(笑)


明日、生きていたら、ケロリと継母のごはを作り、猫たち犬たちのごはんを用意するだろう。もし、目覚めなかったら・・・・・それはそれで神の最良の決定ということになるだろう。

思わぬことが起こる

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お隣に伝言があって訪ねたがお留守のようだったので家に戻り、玄関を開けて家に入ろうとする。・・・と、ちょうどそのお隣さんが自転車で帰ってこられた。「あ、○○さん~」と大急ぎで呼ぶと、○○さんは慌てて自転車を止められたのだが、なんと、転んで仰向けに倒れられてしまった。


びっくりと、突然声をかけた悔いで私は一瞬呆然とし、それから焦りまくって傍に駆け寄った。

幸い、頭も腰も打っておられず事なきを得たのだが、それにしても、こんな何気ない日常の中でも、何の悪気も作為もないところから思わぬことが起きるもんだなぁ。




夢の記述ーチャクちゃん

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眠れない日が続いていたせいか、ちょっとぼんやりしているとウトウトと眠りに入る。


すると、チャクが、二階にあがる階段の上の窓から差し込む日差しを見上げながら、タタタタと三本の脚で駆け上がっていく夢を見る。不思議なことにウトウトするたびに顕われる。


チャクは決して不幸そうではなく、まるで微笑を浮かべているように見えるのに、その光景を見ている私自身は、とても寂しくてどうにもならない気持ちになっている。


目が覚めた時に、何かで気を晴らさねばと、相撲を見たり野球を見たりスマホのツイッターを書いたリしてみる。


それにしても春が待ち遠しいと思いながら。私の眠りの夢は寂しいけれど、春はきっと来る。温かな目覚めの春。


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