アニマルエイドさんhttp://ameblo.jp/animalaid-jimunikki/ のレスキュー隊員として、給餌に行ってきました。車は別ですが桜ママさんと一緒です。http://blogs.yahoo.co.jp/iihiroi324
今日は残念な悲しいご報告をしなくてはいけません。
子牛のいる囲い込み柵の牛たちはもういなくなっていました。
※七枚目の写真は生き物の死んだ姿です※
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≪今の町の姿の一片≫
無人の町を彩るあじさい
今もよく起る地震で日ごとに破壊が進む
≪給餌の道々≫
とある中学校。黒い車の下にフードを置きます。
ある駅前の公衆電話ボックス。この中にフードをひとつ置きます。上の電話帳が開かれたままになっているのが切ない。
↑と↓は同じお宅の庭の餌やりの光景。↑の缶詰は、この納屋の裏手で犬か猫を見ないかと呼んだ時、草むらで見つけた。以後、缶をいっこづつ開けてフードに乗せておく。毎回、缶詰を出すのに使った用具についた缶詰や缶のなかのこびりついた缶詰もきれいになめられている。
上の犬小屋のあるお宅を出た道端に、小型犬か狸かと思われる動物の死骸があった。抱き上げると、紙のような軽さであった。背中は多分疥癬だったのだろう、泥が乾いたような皮膚であった。
せめて早く土に還るよう木茂みの下に穴をほって寝かせる。
上のお宅でこの子の色合いと同じような毛色の動物が逃げていったことがあるので、その子だろうかと胸がつまる。あの後、この家の私が置く餌を食べにこなかったのだろうか・・・と。もしそうなら何のためにごはんをはこんでいる?
猫でも犬でも狸でも兎でも牛でも、みんな食べに来ていいんだよ。そのために私は来ているんだよ。
生きていってほしい。力尽きて紙のようになって死んでいくなどかわいそう過ぎる。
あるお宅に置いたフードの空き袋にある猫の糞。以前もこの近くの集会所の敷地に同じように空き袋に糞をしていたことがあったから同じ猫ではないかと、しばらく探してみるがわからない。
≪牛はいなかった≫
がらんとした囲い込み柵。ドロドロの地面に、屋根もない柵に死を待たされていた牛たち。
それでも生きていた。私が二度目に餌を持って行った時、私の姿を見るとすぐに、二三頭の牛が餌箱に寄って行き、頭をこつんこつんとぶつけた。「はやく、はやく、ごはん、ごはん、ここに!」と言ったのがわかった。
三度目のこの日、もういなくなっていたのだ。
牛たちは、ここから中に入れられた。入れられると、ドアではない柵がはられた。二度と生きて柵外に出られないように。中は雨が降れば歩けないぐらい足が埋まるドロドロであった。屋根もなかった。そして餌も貰えなかった。そうして殺された。
私はここの後、もう一方の囲い込み柵に行った。そこで見た。大きなコンテナ風の車に囲い込み柵から並んで入っていく牛たちを。白い服と帽子の男性が数人いた。
※ここの牛もこうしてみんな殺処分されたと思ったのですが、桜ママさんが今日1日に行ってみたら、7頭の牛が生きていたそうです。2頭処分されたのですね。
私は自分が正しいとも優しいともそんなことのために給餌に行くのでもなく、近隣の捨てられたどうぶつを助けてきたのでもない。善とも悪とも、そんなどうでもいいことは露も思ったことはない。
ただ、自分の心の奥が、どうぶつたちの悲しさ寂しさ辛さを訴える。その思いに従っているだけだ。
だから、飼い主さんやそれぞれの職務について、それを果たしている個人を責めようとも憎もうとも思わない。人間はそうした自分の立ったところで、みんな懸命に生きている。そこのなかで、暮らしを営む人の愛や正義が命をもって在るのだとも知っている。
特に牛の殺処分については、飼い主さんの辛さはいかばかりだろうと、常々気の毒でならない気持ちだ。
だが、国よ、自治体よ、私たちと同じ地平に生きていた、私たちとなんら変わらない痛みや思いをもつ命の同朋を、なぜ、救おうと一筋の蜘蛛の糸ほどにも思わなかったのか!
日頃牛たちに人間はどれだけ命をもらって生きているか、それすらも思わなかったのか。
感謝も敬意も慈悲もなく、苦痛を与えるだけ与えて殺す。
そのことを、私は自分の生涯をかけて問い怒る。悲しい国。貧しい自治体。悲しみと怒りがこみあげる。
子牛も大人の牛も誰もいなくなった柵に、せめてものヌカとフードを供える。
(略)罪なきものよ、安らかに。・・・・・手が震え、涙が溢れ、思いは乱れ、こんなことしか書けなかった。
フードには切れ目を入れた。通りがかった犬や猫や放れ牛が食べてくれたらいいと思った。
≪故障した車≫
私は帰路の車を走らせながら思い続けた。
給餌を牛を一番にすればよかったのに・・・。そうすれば、牛たちはもう一度、ヌカとフードを食べられたのに・・・。せめてそうしてやればよかった・・・。とこんなことがかり思いベショベショ泣きながら高速を走っていたら、車がすうっと止まってしまった。いわき湯の岳のあたりである。
いつも車のお世話になる私の町のK自動車整備工場に電話をしたら、そこから保険会社に連絡して下さり、無料がきく距離だけを日立の業者さんが搬送してくださることに。
オレンジの彼がその担当さん。なぎらけんいちさんにそっくりの人。
早速、私の車を搬送車に乗せる。
なぎら氏の車はオーディオルームみたい。話したら「なぎらけんいちがアルバイトしてる?」と思った。似てる。
無料距離の日立中央に、K自動車整備工場の青年社長が搬送車とともに来て下さる。
前社長の時代から、新社長の奥さまともども、本当に本当にお世話になっている。
今回の事態はどうお詫びをしたらいいのやら。
ありがとうございます!!!!!!!
日立の搬送車から八千代の搬送車に乗り換えて、無事に町に戻れた私と車、
私は牛たちのことで落ち込みがひどかったことも影響してるのだろう、家に入ったとたん目眩がしてぶっ倒れてしまった。