韓国前大統領の盧武鉉が、昨日、投身自殺した。午前中、最初にネットニュースで
それを見た時、一瞬、凍り付いた。
その初報は、登山中の転落死という速報だけだった。自殺には触れられていなかったが、直感的に自殺に違いない、と確信した。その後、もう1つの可能性が頭に浮かんだが(後述)、それは短い遺書があって自殺、という続報で、可能性が消えた。
在任中、韓国を混迷させた
盧武鉉は、大統領在任中の07~08年、家族を通じて政商から計600万ドルの不正資金を受け取った包括的収賄疑惑がもたれていた。これについては、4月12日付日記「韓国前大統領の盧武鉉、塀の向こう側へ落ちる絶体絶命:太陽政策、包括的収賄、青瓦台」をご覧いただきたい。盧武鉉が捜査の対象になった経緯を詳しく述べている。
去る4月30日、最高検察庁に出頭した盧武鉉は、待ちかまえた報道陣に「失望させて申し訳ない」と言葉少なに語ったという(写真上)。
過去に、私は繰り返し盧武鉉の政治姿勢を批判してきた。悪の帝国の北朝鮮と金正日体制を無条件に経済的、政治的支援をする一方、朝鮮戦争で5万人以上もの死者を出す犠牲を払いながらも韓国を金日成の侵略から守った同盟国のアメリカに反抗的で、米韓同盟関係を最も悪化させた。日本に対しても厳しく、金正日への配慮から拉致問題に終始冷淡で、竹島問題でも強硬な態度をとった。韓国国内の拉致に対しても、冷淡な姿勢は一貫していた。経済的には無策で、国内で多数の非正規労働者と失業者を作り出し、ただ07年の訪朝と金正日とのトップ会談をもったことに象徴される北対朝鮮関係の蜜月化だけでもっていたような政権だった(写真中)。
それでも、自死ということに対しては哀悼の念を表明したい。死者は、死ねば自由となり、過去の罪から切り離される。
「権力は腐敗する」
韓国の政治風土として、大統領に権限が集中しているために、どうして政商が家族や側近を通じて本人に近づき、いつの間にか腐敗に陥るという歴史がある。そして政権が変わる度に、検察が動く。今回も、また同じパターンだったが、韓国民を動揺させ、かつ失望させたのは、盧武鉉は歴代大統領と異なり清廉な人士だったという思いが裏切られたことにあるという。
しかし、この人たちはイギリスの歴史家アクトンの「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という警句を知らないようである。盧武鉉がいかに貧窮の中から身を立て、商業高校卒から司法試験に合格したという苦学生であり、さらにまた軍事政権下で弾圧された民主活動家の弁護を引き受けた清廉な人権派弁護士だったといえ、彼もまた普通の人間、権力の罠に落ちた凡人でしかなかったのだ。
10行ほどの短い遺書
報道によると、盧武鉉は、昨日の午前5時45分頃、警護担当者1人と自宅裏山に登り、午前6時40分ごろ、高さ30メートルほどの岩の上から飛び降りたという。頭部に大けがを負い、午前9時半に死亡が確認された。
警察当局は、10行程度の短い文章の遺書が残されていたことから自殺と断定した。
遺書の中で、「とても多くの人々に面倒をかけた。私のせいで人々が受けた苦痛はあまりに大きく、今後受けるであろう苦しみもはかりしれない。余生も、他人に負担をかけざるを得ない」と不正を詫び、「誰も恨まないでほしい」として、最後に「家の近くに、とても小さな碑を1つだけ残してほしい」と記していた。
報道のとおりに自殺だとすれば、引き金になったのが、最高検察庁の事情聴取であることはされた間違いはない。軍事政権の圧制下でも屈しなかった盧武鉉だが、大統領選と在任中もずっと清廉を訴え続けたのに、汚職という破廉恥罪で訴追される不名誉と屈辱に耐えられなかったのだろうか。
もっとも最高検察庁筋では、前大統領という経歴と功績に敬意を表し、盧武鉉は収監せずに在宅起訴に留める意向が伝えられていた。全斗煥、盧泰愚の両元大統領が金泳三政権下で逮捕起訴され、獄舎に送られた「報復」に比べれば、寛大な措置である。
それでも、耐えられなかったのか。
盧武鉉の胸中を推し量れば、大統領職まで務めた誇りが起訴で損なわれ、自分を信じていた大衆に申し訳ないという気持ちから、ということだろうか。
北朝鮮の対韓国交渉の最高責任者の粛清
しかし、本当にそれだけだったのだろうか?
実は冒頭に述べた、頭に浮かんだもう1つの可能性とは、北朝鮮による謀殺というものだったが、それと関連する疑惑がある。
実は、1週間ほど前の18日、韓国の聯合ニュースがある未確認情報を流していた。
それによると、北朝鮮の対韓国交渉を統括していた崔承哲(労働党統一戦線部首席副部長)が昨年処刑されていたというのである。崔承哲は、南北協議で北朝鮮首席代表を務めるなどした北朝鮮側の対韓国政策の責任者であり、盧武鉉が北朝鮮を訪問した07年の南北首脳会談を推し進めた人物としても知られる(写真下=盧武鉉=左=と握手する崔承哲)。
その崔承哲は、07年12月の韓国大統領選で李明博大統領が当選した後、公式の場から姿を消し、その後に職務も解かれたことが判明した。その崔承哲が昨年密かに処刑されていた、と聯合ニュースが伝えたのである。表向きの嫌疑は汚職だが(もちろん汚職はしていただろう。北朝鮮で汚職をしていない高官は皆無だから)、真の理由は対韓国穏健路線を進めてきたにもかかわらず李明博大統領の当選を防げず、これまでの経済協力が受けられなくなった責任を問われたという。
実際、李明博大統領の登場で、北朝鮮の対韓姿勢は強硬姿勢に一変している。
北朝鮮コネクション疑惑は?
ただこの報道について、韓国統一省は翌日、内容の確認が取れていないとの見解を示した。しかし北朝鮮で対韓国交渉という微妙な問題で失脚すれば、粛清されることは99%の確率であり得る。
したがって、4月30日に最高検に出頭し、失意の底にあった盧武鉉は、このニュースにさらに衝撃を受けただろうことは想像に難くない。
盧武鉉は、退任に当たってた青瓦台の重要機密文書を大量に持ち出したとも言われる。韓国治安当局の間では、これが北朝鮮に渡る可能性が憂慮されていた。
前述のように崔承哲と盧武鉉の間には、太いパイプがあった。また韓国内には、推定1万とも言われる北朝鮮スパイが潜んでいるとも言われる。そうしたネットワークの中で、盧武鉉が北朝鮮にカネと情報を流していた可能性は十分にあったと見なければならない。北朝鮮の金正日にとって、対韓国情報網が暴かれない前に、手を打つ必要はあっただろう。
一方、盧武鉉にとっても、検察の捜査の手が、その部分にまで及んでくることは当然予想したに違いない。収賄疑惑は「別件」であって、それで裸にされた後、そこに踏み込まれたら……。自らと口裏を合わせてくれる北朝鮮側の要人が粛清されたとなれば、盧武鉉にとって、もはや絶体絶命である。
盧武鉉が死をもってしても秘匿したかった「闇」は、ひょっとすると底知れないほどだったかもしれない。
なお最高検察庁は、盧武鉉の死で、捜査を打ち切る。