原発に依存した街づくりでいいのか | ようこそ!かっちゃんげえへ

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原発に依存した街づくりでいいのか


 原発に依存した街づくりを観光の面から考えてみたいと思います。
 毎日新聞の3月13日付に「玄海原発:町が描いた夢/7 「共存」ゆえのジレンマと題して次の一文が掲載されました。
 「玄海町(一部旧鎮西町(ちんぜい))内に15ある旅館は原発と共に発展してきた。原発に続く国道204号の両脇に旅館が軒を連ねる様は、原発との「共存共栄」の象徴とも言われる。
 戦前からあった唯一の旅館が「唐津屋旅館」だ。場所は炉心から約1キロの外津(ほかわず)漁港。全10部屋の宿で家庭的な雰囲気が漂う。
 館主の湯浅一行(49)は高校卒業後、関西で調理師として働いた後、25歳頃古里に戻った。ちょうど3,4号機の増設が認可された頃で、「4号機(97年運転開始)建設まではずっと宿泊客が途切れることはなかった」
 それ以降では、1,2号機の改修工事があった01年が最後のピークとなった。
 今は約13ヶ月ごとにある約2~3ヶ月間の定期検査が主な収入という。しかし、その期間も満室になることはない。検査が最盛期を迎えると、約1000人の作業員が原発を訪れるが、宿泊先は唐津市のビジネスホテルにも分散するようになった。旅館組合が宿泊者らにアンケートを実施し、町内に宿泊しない理由を尋ねたところ「個室の方が良い」「遊技場がない」などがあげられた。
 組合の中では度々、観光客の呼び込みが話題にあがる。だが、定期検査期間の他は休業する旅館もあり、ハード面を見ても、ほとんどの旅館は原発で働く作業員向けのため、トイレや風呂が男女別になっていないなどの不便がある。また、定期検査は決まった時期に行われないため、季節にあわせた観光キャンペーンも打ち出しにくい。
 湯浅さんは「観光客の宿泊がほとんど無い中で、観光向けに設備投資しても元が取れるのか。踏み切れないのが現状です」と胸の内をあかす。
 このようなことは玄海原発の周辺だけでおこっているできごとでしょうか。
 薩摩川内市でも観光に与える原発建設の影響を次のように語る人がいます。観光客を対象にした温泉旅館を経営しているA氏は、「原発の建設労働者の宿泊はあてにしていない。うちはあくまで観光客を対象にしている旅館だ。労働者の滞在は長期間なので、宿泊料を安くしなければならないし、旅館ではなく宿泊所になるので部屋が傷みやすい。原発に頼るといろいろ問題はある」と述べていました。
 さらに観光の問題で専門的な立場にいる人が「これまで川内では原発の定期検査のときに部屋が満杯になって観光客から問い合わせがあっても断ってきた経過がある。川内に観光が本格的に定着しなかった要因のひとつだ」と分析しています。

 農業の面から考えてみます。
 一回目の質問で紹介した福島大学の山川論文で原発建設の第2段階で「地域の産業構造に大きな変化がみられ、建設業が極端に肥大し、逆に農林漁業は発展が停滞する」とあります。薩摩川内市はまさにそのとおりの産業構造の変化がみられます。
 農業センサス累計統計書でみると農業就業人口の構成比をみると薩摩川内市は、1985年に9.0%、1990年に7.7%、1995年に5.9%、2000年に5.3%、2005年に4.5%とどんどん下がっていきます。2005年の鹿児島県の平均は5.2%なので平均よりも5年早く農業人口の割合が減少している。
 年齢別にみると薩摩川内市の農業就業者人口の65歳以上は2005年で69.4%を占めており、鹿児島県平均の60.3%よりもはるかに高齢者の人口が増えています。
 耕作放棄地の面積をみると薩摩川内市は、2005年で16.8%が放棄地なのに対して鹿児島県全体の平均は6.9%です。
 これらは山川論文でみられる原発立地自治体の特徴を薩摩川内市に現れているとみていいのではないでしょうか。