日刊ゲンダイの記事ですが、安倍政権が海外メディアにまで報道圧力をかけていたことがドイツ人記者の暴露により判明したようです。

 

安倍政権「海外メディア」にも圧力 ドイツ紙記者が怒りの暴露

 

内容を簡単に解説すると、海外メディアがエネルギー問題やアベノミクスの危険性について調べるため政権に取材をしようとしても政権側がまともに対応しようとしないのだとか。

 

さらにまともに対応しないだけではなく、批判記事を書こうとすると外務省を通じて圧力を掛けてくるとか・・・。

 

 批判記事を書こうものなら、外務省を使って、本国の本社に直接“圧力”をかけるという行動にも出ている。

 ガーミス氏が安倍政権の歴史修正主義について、批判的な記事を書いた時のことだ。在フランクフルトの日本総領事が、ドイツにある編集部に乗り込んできて猛抗議したという。

 対応した編集者に向かって「(あの男は)金が絡んでいると疑わざるを得ない」と信じられない暴言を吐いた上、安倍批判の記事を書くのは中国へのビザ申請を承認してもらうためではないか、と妄想としか思われない見解を示したという。

 

もう本当にどうしようもねーなこの政権は、と思うのですが、厄介なのはこのようなメディアコントロールが結果的には功を奏してしまうという現実なんですね。

 

私が思うメディアコントロールの問題点は2つあって、一つは、メディアコントロールが行われている場合、当の問題を伝えるメディア自体が抑圧されているため国民は真実を知ることが出来ないという事。一時、伊勢志摩サミットの前後には海外メディアがこぞって盛んにアベノミクス批判を行いましたが、それまで国内の主要メディアではほとんどアベノミクスを批判するような記事は書かれておりませんでした(書籍や雑誌は別)。

 

ほとんどギャグのような話ですが、安倍政権誕生後テレビと新聞では不況という言葉は(少なくとも現在進行形の経済状況を示す言葉としては)使われなくなり、なんとアベノミクスは文字通り(まさに文字通り)不況を消し去ってしまったワケです。

 

不景気という言葉は消え去り、代わりに「緩やかな景気回復」という言葉に置き換えられました。

 

戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり

 

とはジョージ・オーウェルの『1984』で出てきたダブルスピークとして有名なワードですが、現在コレに付け加えるなら、

 

「不況は景気回復なり」

 

といったところでしょう。

 

国内では、「三橋貴明ブログ」と「日刊ゲンダイ」というマイナーメディアで(あとは2ちゃんねる? 笑)細々とアベノミクス批判が行われ、そしてほとんど無視され続けてきたワケですが、海外メディアは少なくとも一時期は容赦なくアベノミクスを批判し、海外メディアの報道を国内に伝えるというカタチで「アベノミクス全然ダメじゃんw」ということが国内でも伝えられてきました。しかし、どうやら現在では海外メディアにも積極的に圧力をかけているようです。

 

 元外交官の天木直人氏はこう言う。

「今まで聞いたことがない衝撃的な内容です。安倍政権のあまりの下劣なやり方に、ドイツ国民は腰を抜かすのではないでしょうか。圧力をかけた点と外交官の暴言、二重の意味で権威を損ねている。圧力を受けたのはドイツ紙だけとは思えません。今後、世界各地で同じような話が出てくるのではないか。国際的に大問題になりますよ。これを報じない日本のメディアも終わっています」

 英語で書かれた今回の記事は、インターネットを通じて世界に拡散していくだろう。安倍政権のやっていることは、日本の恥でしかない。

 

天木直人氏は、このように言っていますが無駄ですよ。だって、そもそも国内の政治家を決めるのは日本国内の有権者であって、どれだけ海外メディアで安倍政権の悪評が高まったところで、そのような悪評について国内メディアに報道させなければ政権を維持するうえで大した障害にはなりませんし、以前書いた記事(『高齢者の現状肯定と現行システムの強靭性について』)で説明したように、日本の政治を実際に動かしているのはネットではなくテレビなどを中心的な情報源とし、現状維持を好む高齢者世代ですから。

 

かつて「インターネットが政治を変える!!」などという幻想を抱いて、誇大妄想的な電脳政治ユートピアを描いていた論客の予言がことごとく実現せず、期待外れの結果に終わった理由の一つは、そもそも現在の日本の状況においては、金と政治的権力の中心がネットなどに大した関心も抱いていない高齢者層にあることかもしれません。

 

みぬささんが、コチラの記事『反日勢力とネトウヨ達』で「政治ブログを書いても世の中に何一つ影響を与えないのがツライ」と書いているのですが・・・

 

『連戦連敗は、厳しい』
 
政治ブログを書いていて何が辛いかといえば当然過ぎますが、個人の影響力は全くゼロという点です。つまり、幾ら正しいと思われる事を主張しても、それが実現するか否かは全くの未知数。どちらかと言えば、真逆の結果になるケースが多数という点です。常に連戦連敗でタマに引き分け試合がある程度の勝率ですよ。

 

インターネット上で盛り上がった運動というものも、どうしてもコップの中の嵐になってしまって、現実に政治を動かすパワーになっていかない。「日本死ね」の待機児童問題なども一時的にTwitterなどを中心に盛り上がった感もありましたが、アレなども結果としては、「希望出生率の実現」という安倍政権のうわべだけのペラペラなスローガンの中に取り込まれるカタチで収束してしまった感があります。まあ、あの運動なども私は、少なくとも政権に打撃を与えるという意味においてはあまり有効な手段だったようには思えなくて、何しろ保育園に児童を預ける親というのは基本的には比較的若い男女であって、やはり政治を実際に動かしていくような層ではないですから。

 

まあ、こういうと悲しいパラドクスが存在することが分かります、年寄り世代を優遇し若い世代をもっと助けるような構造に社会システムを改革していかなくてはならないのに、何かを改革しようと思えばジジババ世代の投票行為というカタチでの承認を取り付ける必要がある。

 

つまり、もう若い世代にはなすすべはないのですね・・・やはりかくなる上は革命しか((((;;OдO;lll))))

 

えー、結構長くなってしまったのでメディアコントロールの問題点の二つ目の問題点はかなり簡潔に説明しますが、それは「メディアコントロールを行うことによって被る政権のダメージが、メディアコントロールを行うことによるメリットを常に下回る」という問題です。

 

メディアコントロールを行う上で政権にとってデメリットやリスクとなるのは、当然「メディアコントロールを行っていることが国民に知られることによる支持の低下」ですが、そもそもメディアコントロールとは「政権がメディアコントロールを行っていることを国民に知らせる役割」を担っているところの当のメディアに対して行うものなのですから、むしろメディアコントロールを行っていることがバレることに対する最大のリスク対策が「さらなるメディアコントロールの圧力を加えること」となってしまう(笑)

 

要は何が言いたいのかというと、「どのような状況であれ基本的にはメディアコントロールはやれるだけ厳しくやった方が常に政権にとって利益になる」ということです。

 

コレは、国民の知る権利を守ろうと願う個人や団体にとっては極めて厄介な問題であって、出来れば現在のように可能な限り積極的にメディアに圧力をかけていくという手法を今後の政権が踏襲しないことを願うばかりです・・・(;'∀')

 

 

 

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